第3話
「旦那、聞いたかい!」
「こら、サジェ。手ぶらとはどういうことだい?使いもまともにできないのかね」
「お使いは後でちゃんと行くよ!それより、中通りに<来る人>らしいのがいるってよ!」
歓楽街の店に駆け込んだ下男が店の主人に話しかける。小物屋の主人は下男を窘めながら、帳簿をつけていく手は止めない。下男は主人に、自分が見たものを夢中で報告していた。
「中通りの花屋の若が<来る人>と話してるって!花屋の若はあの<来る人>を保護する心積もりらしいって話でさ!」
「そうかい……そりゃあ、その娘も気の毒なことだ」
下男と店主の話を入り口で立ち聞きしていたフェイは、そこでとうとう話しに入った。
「待ってくれ。ご主人、どうして娘とわかった?なぜ、気の毒だと?」
店の主人はフェイににんまりと笑みを向けて、こう言った。
「お客様、そこの髪飾りお安くしますよ」
「え……」
「お気に入りの妓に、贈ってみては?」
「サジェ、奥の棚のとっておきもお持ちしなさい」
「はい、旦那。今すぐに」
サジェと呼ばれた下男は、主人の指示をうけて店の奥へと駆けていく。
「あ……」
「まさか、店に入って何もお買い求めにならないなんて無粋なことはなさいますまい?」
ここは小間物屋ですからね、と店主は筆記具を置くと立ち上がってフェイの方へ歩み寄る。
「旦那、お持ちいたしあした」
フェイが店主の勢いに気圧されている内に、下男が布を敷いた箱を持ってきた。濃い紫の敷布の上に銀の細やかな細工の簪が置かれている。長い柄の先には、花籠が再現されている。花には小さくて透明な輝石が埋め込まれている。遠目からみると全体がまとまっているので、この歓楽街の妓たちに贈るとしたらいささか地味といえた。
この国では結婚を前提とした告白の際、装身具を贈る習慣があった。歓楽街の妓に貢ぐ物としてよりも、本命の女性に贈る品といった印象を受けた。お気に入りの妓に贈るならば、店頭に置いてあるような華やかな品が良いはずだ。
「この街の妓たちに贈るには華が足りませんが、意中の娘に贈るならこれくらいのほうが良いと思いませんか?」
「……口に出てましたか?」
「顔には出てましたよ」
店主はにこやかに笑い、「品物はいいですからね。別れた後でも、換金ができてお相手にも喜ばれますよ?」と付け加えた。
「……別れた後」
「そ。娘さんは、現実主義な方が多いですからね」
店主は、他の細工物も取り出しフェイの眼前へ広げていく。フェイの前は女性への贈り物があれやこれやと並べられていく。この商店は、娼館へ行く前のお客がお気に入りの妓への贈り物を見繕う店であった。そしてこの商店が娼館への取り次ぎも担っていた。
「ところでお客様。品物には、買い時というものがあるのは勿論、ご存知でしょう?今がそうですよ。今なら、わたくしどもがお客様の知りたい情報もオマケにつけましょう。品物に買い時がある以上に、情報も買い時があるのですよ。勿論、ご存知でしょうけれど、ね?」
フェイはそっと目蓋を閉じて、手近にあった手巾を示した。
「その手巾を戴きたい」
「手巾でよろしいので?」
「……先ほどの簪も追加しよう」
オマケもつけてくれ、とフェイが苦い思いで伝えると、店主は晴れやかに「まいど」と微笑んだ。フェイは支払いを済ませ、下男に品物を持ち運べるよう包んでもらう間に主人に話し掛けた。
「それで、どうして娘とわかる?どうしてそれが花屋に保護されると気の毒なんだ?」
「簡単ですよ。あそこの花屋の若はね、女好きで有名なんですよ。だから、あの若が話かけて気に入ったんなら、まず娘でしょうね」
主人はそこで一区切りおくと、唇を湿らせてから続きを口にした。
「気の毒というのはね。……あの花屋の商品は、芸妓だけじゃなく、娼婦も男娼も傭兵も奴隷も扱ってるところだからね。<来る人>には馴染まなかろうよと、こう思ったのさ」
「まあ、若のお気に入りなら、囲われになるんかね?その<来る人>が商品でないなら、いい暮らしができるとは思いますよ」
「何せあの花屋はこの歓楽街で一番の大棚ですからね」
店主はフェイが購入した商品が入った箱を手渡して、下男にフェイを花屋まで送るよう言いつけた。店主はくふくふと笑って、フェイを店の外へと追い立てた。
「今後とも御贔屓に」
◇◇◇
「あちらです」
下男の案内で、フェイは歓楽街の中通りへ出る辻に到着した。下男が示す先には、店頭に大振りで華やかな植物が見映え良く並べられている花屋があった。その花屋の店先で、禿頭の男と優男が襟巻きをした女性を引き留めて話し込んでいた。フェイからは女性の後ろ姿しか確認できないが、この歓楽街どころか王都の服装とはどこか違う装いをしていることから彼女が<来る人>だろう。
女性は2人の男をじっと見返しているようだが、話し掛けられても言葉を返すことはない。その様子を中通りの店々から人々が首を伸ばして垣間見ていた。
「ねぇ、見たあの服。今、向こうではあの手の衣装が人気なのかしら?」
「あの<来る人>はなんだかパッとしなくねぇか?」
「今回の<幸運>は若の独り占めか?」
「いや、そもそも<来る人>とは限らんだろう」
中通りの品定めの声に、フェイは苛立つ自分を感じていた。
「サジェ、案内をありがとう。ここまでで十分だ」
「……へぇ」
下男は驚いたようにフェイを見たあと、「頑張ってくだせぇ」と言うと小間物屋へ帰っていった。
「なにをするっ!」
鋭い声にフェイは花屋の方へ意識を戻す。女性の首に巻かれていた襟巻きが、獣の姿をとり2人の男に威嚇していた。女性が禿頭の男に腕を掴まれたようだ。
「クゥ……?!」
女性の肩の上で禿頭の男と優男を威嚇している獣は、フェイの師匠の精霊であった。
「師匠がなぜこの国の言葉を……?」
精霊は同族の言語と精霊の共通語として採用されている<来る人>の言葉しか話さないと、フェイはほかならぬクゥから聞いていた。
『……ぃ、痛いっ!放してくださいっ!』
女性がが<来る人>の言葉で話すと、優男は笑みを深めて禿頭の男に手を放すよう指示した。
「これは、失礼をしました。お嬢さん。彼を許してあげてください、彼は貴女を歓迎しようとしただけなのです。よろしければ、私共の店へお越しください」
優男は一歩女性に歩み寄ると、花屋を示した。禿頭は女性の後ろにまわると、彼女に店の方へ進むよう促した。優男は店の奥へ茶を仕度するよう声をかけた、再び女性に微笑んだ。優男の視線が女性を上から下へと異動していく。
「お嬢さんは、どんな花がお好きですか?」
女性は何も声を発することなく、優男を見、禿頭と店を見て、街を見、最後にクゥに首を傾けてクゥに頬を寄せた。クゥは女性の頬に首を擦り付けると、すたっと地面に降り立った。クゥが地面に降りるのを眺めていた女性は、くっと優男を見上げた。
『……申し訳ございませんが、わたくしにはあなた方の言葉がわかりません。こちらには、わたくしの言葉がわかる方はいらっしゃいませんか?』
女性はすっと通る声で主張をした。透明感があるが芯のある声だった。
女性の発言を聞き、歓楽街はどよめきたった。街の人々は女性の言葉が聞き取れなかったからだ。言葉がわからないということは、彼女が<来る人>である公算があがる。仮に<来る人>でなく、異国人か精霊だったとしても、この街では大した問題ではない。<来る人>まではいかなくとも、希少価値がある。希少価値があるとは即ち、商品価値がある、ということだ。目の前に現れたことに商機に、街の人々は、あわよくば<来る人>の保護に自分も一枚噛むことができないかと花屋の様子を注視していた。
フェイは街の人々の歓声を聞き腹の奥がチリチリと痛むような焦燥を感じていた。フェイは鳩尾のあたりに粘土のようなしこりがあるのではないか。それを腹の奥の熾火がチリチリと焼いているのではないか、と思っていた。
「失礼、わたしの連れにご用でしたか?」
フェイは花屋の前まで来ると、女性のと優男の
間に割って入った。女性の足許にいるクゥを一瞥て、彼女を見る。
彼女はフェイが突然現れたことに気を取られて目を丸くしていた。彼女が胸の前で握り決めている左手は震えていて、右手で左手を隠すようにしている。
フェイは急に、腹で炙られていた粘土が融点を越えて変成したように感じた。鳩尾までカッと熱くなる。粘土は融けて硝子質に変わる。その硝子をフェイは隠しておきたい気がして、こくりと唾液とともに胃に落とした。
『わたしは、貴女の言葉がわかります。少し、お待ちいただけますか?』
フェイは<来る人>の言葉で、女性に微笑んだ。女性はフェイの言葉に目を丸くしていた。彼女は唇を震わせて『ことばが……』と溢した。しかし、それはあまりにもか細い声だったのでフェイには聞こえなかった。
フェイは彼女の傍にいるクゥにアイコンタクトを取ると、花屋の若に向き直る。若は優男然としていたが、フェイの登場に眉をひそめていた。優男は、指を顎に添え考えるように口を開いた。
「こちらのお嬢さんは貴方のお連れの方……と仰るのですね?」
「ええ。そうです」
「……おかしいですね。わたくしたちは、お嬢さんの様子を暫く見ておりましたが、貴方とは全く別のところからおいでになりましたよ?貴方は下町側からおいでになりましたが、こちらのお嬢さんは門前町からおいでになりました。なにせ、私共はお嬢さんがお一人と一匹で門前町から橋を渡ってこの街へいらっしゃるのを見ておりましたからね、確かですとも。魔術師殿?」
「……何故、わたしが魔術師だと思われたのですか?下町側から来たと仰る理由は?」
「魔術師殿。私共は花屋を営んではおりますが、この街では顔役の商店のひとつでもございます。顔役ということは、それなりに情報を仕入れている、ということでございますよ。この街にお客様が入られたという情報は何よりも重要なのでございます。この中洲に架かる橋を渡る方々の情報を収集することは基本中の基本なのです」
花屋の若はにこりとフェイに笑い「先日は、ご友人さまと当方の館のご利用をありがとうございました。またのご利用を、お待ちしております」と小声で付け加えた。
フェイは先日ゴーシェと共に利用した高級娼館がこの花屋の系列の店であることを認識して、熱くなっていた臓腑がすっと冷えた心地がした。顔の火照りを感じて、唇がひきつる。
花屋の若はフェイの様子を見て、ふふと袖で口許を覆った。そこへ、花屋の中から前掛けをした女中が駆け寄り、若へ耳打ちをする。若は女中の話を聞き、何やら考えるように目を瞑った。そして首をくるりとまわしてから頷くと、女中を店へ戻した。
「さて、魔術師殿。私はそちらのお嬢さんが本日この世界に来た<来る人>と思い、ヒースラント王国民として保護をしようとしたわけです。ですが、魔術師殿のお連れの方なのですね?」
「……そうだ」
「なるほど……」
花屋の若は大袈裟に、相槌を打った。
「では、魔術師殿。こちらのお嬢さんをよろしくお願いいたします。今回は私共が居りましたのでようございましたが、この街は甘いばかりではございません。お連れの<来る人>からは目を離されませんよう」
若はそっとフェイの耳元へ口を寄せ「小間物屋もよいですが、花屋のこともお忘れなきよう。花屋は月末ツケ払いも承っております。今後とも御贔屓に」と囁いた。
「貸しがひとつ、と?……小間物屋のことも知っているのか」フェイが聞き返す。
「貸し、と思われるのでしたら、そういうことなのでしょう。小間物屋のご主人とは顔役同士。よくしてもらっておりますよ」
花屋の若はふふふとにんまりと笑い、一歩身を引いた。そして、空気をからりと変えて「ささ、お嬢さんに花を差し上げては?こちらなどいかがです?香りもよくて華やかで、朱がお嬢さんのお髪に映えると思いませんか?」とフェイに店頭の花を勧めた。
フェイは唸りながら、若の勧める朱い大振りの花と白い小花を購入したのだった。
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