第2話
さて、本日は快晴。
お日柄もよく、<来る人>が訪れるという巫女の予言を受けて、宮廷も城下もどこもかしこも浮き足立っていた。そこに貧富の差も人間か精霊かすらも関係がなかった。
<来る人>は"幸運をもたらす"。より正確にいえば、<来る人>が隣接する世界から刺激をもたらし、そしてこの世界を動かす。この国では、おおよその場合はよい方へと変わることができた。であればこそ、殊更に、このヒースラント王国において<来る人>を真っ先に保護することは何よりも重要であった。
<来る人>はこの世界においては、時に人間と精霊の争いを止め、技術革新の契機を与え、思想の大改革を生じさせる。
故に、<来る人>は何よりも重要な賓客であると同時に、厄介な客人でもあった。そうであればこそ身分や地位あるものは、<来る人>を保護し後見となることで、自らのステータスシンボルとしていった。<来る人>がこの世界に与えてしまう刺激を監視下に置きコントロールすることは、為政者にとって<来る人>の保護にかかるコストをしてお釣りがくることだ。
庶民にとっても、<来る人>は魅力的だ。いち早く保護し、為政者に届け出をすれば生涯に渡って暮らしていけるほどの財を得ることができる。また、<来る人>を為政者に渡さずとも、それはそれでよいのだから。
「そしてそれは、精霊にもいえること……」
第一王子からの内々の"お願い"を受けて、フェイは朝から王都の物見遊山をしていた。だれもかれもがそわそわと出歩いているために、いつもの朝市よりも稼ぎ時と、商人たちの声が途切れることなく響いている。
城下の広場の木蔭で、昼食とすることにした。話題の<来る人>が店主のパン屋が、<来る人>が来ると予言があった日のみ販売している塩むすびが本日のフェイの昼食である。包みをほどくと、俵型に形成された米がつやつやと光っていた。3つのうち1つをそっと口に入れれば、ホロリとほどけた。塩味と米粒を噛むごとに広がる甘味にフェイは懐かしさを覚えていた。父が好きな味に似ていたのだ。
『難しい顔をしているね、フェイ?』
フェイが思索に耽る前に、軽やかな気配が降り立った。草地に降り立った四つ足の獣は、精霊だ。フェイの昔馴染みで、父が亡くなり母も眠り身の振り方に悩んでいたフェイにいくつかの道を示してくれた師である。結局フェイは人間になりたいと願ったので、こうして会うのは久しぶりである。
『難しい顔ですか』
精霊の共通語は<来る人>の言葉である。フェイの父の母語で母は精霊であるため、フェイの家庭では<来る人>の言葉で話をすることが多かった。フェイにとっては思い入れのある言語である。
『そうだよ。……前に見かけた時よりは、安定してるみたいだね』
『……その節は、ご心配を掛けました。5年ぶりですね、クゥ』
『そんなになるかな?』
『ええ、人の身は年月に敏感ですから、合っているはずですよ』
クゥにそっと、包みからおむすびを取って手渡すと、クゥは前肢を使って器用に食事をし始めた。クゥは人形にもなれるはずなのだが、獣型のまま食事をしているところを見るに、お忍びらしい。
クゥとフェイは広場の片隅から城下の賑わいを静かに眺めながら、おむすびをできるだけゆっくりと、時間をかけて味わっていた。
食事を終えて、口火を切ったのはクゥであった。
『フェイ。わかっていると思うけれど、<来る人>が欲しいのは宮廷だけではないんだよ。精霊も同じだ。<来る人>の保護を請け負ったりしたら、ボクたちと敵対することになるかもしれないって、思わなかったの?』
『……わたしは、内々に第一王子の意向を伺い知ってしまったために、一応鋭意努力しているにすぎません。なにせ、わたしの後見のルラント侯爵家は第一王子を補佐する家柄です。幼馴染みのゴーシェは第一王子の近衛騎士団の重鎮であるのは周知の事実。わたしが勤める、宮廷魔術師団の薬草研究所は第一王子の肝いりの施設です。無視はできません』
『そう……』
クゥは、フェイのぴくりともしない表情筋をみて『人間には染まりきれないかい?』と囁いた。
『……どういう意味ですか?』
『人間になったことに満足しているように見えない、ということだよ』
クゥは、円らな瞳がひたりとフェイを見据えた。
『フェイ。ボクはね、お前が望むなら精霊に戻してやることもできるんだよ。今の段階であれば、それこそこの瞬間にでも。だからね、宮廷が、人間が厭になったら、いつでも言いなさい』
『……』
クゥは返事をしないフェイをみて、『しょうがないなぁ』と息をついた。
『ともかく、フェイ。今回の<来る人>は精霊側としても譲れないんだ。覚えておいてね』
『おむすび、ごちそうさま』と言うと、クゥは隣に来たときと同じように、すぅと空気に溶けるようにして存在を消した。
フェイはクゥの気配を見送ると、周囲に巡らせておいた人避けの結界の起点を回収した。
「譲れない、か……」
ここ10年ほどの間にやって来た<来る人>は、人間側が保護していた。そろそろ精霊側が保護した方が、この世界のバランスとしては良い、というのはフェイにも解る理屈だ。
「それが通用しないのが、世間体なんだよなぁ……」
第一王子には通用しなさそうだ、とフェイは胃のきしむ思いであった。立太子間際の儀を控える第一王子は、箔が欲しいところであった。未だに、ほぼ堂時刻に誕生した第二王子を推す声は根強いものがあるからだ。もし、第二王子が<来る人>を先んじて保護した場合、過激派の動きが読めない。
精霊が保護してくれるならば、事態としてはわるくないので、フェイとしては恩師であるクゥに頑張っていただきたいところだ。
「さて、どうしたものかなぁ……」
クゥと別れたフェイは、広場を抜け城下の商店区画から橋を渡り、河の中洲を利用した区画へと足を運んだ。この中洲は全体が歓楽街となっていた。先日、ゴーシェに連れて来られた娼館は、この界隈の歓楽街のなかでも上等な方の店であった。
フェイは歓楽街を抜けて、対岸の城下もぐるりと回って、<来る人>を保護する努力をした、ということにしてしばらくはどこかに宿るつもりであった。<来る人>を誰かが保護しないことには、宮廷の宿舎にも実家にも帰りづらいのである。先日ゴーシェに連れていかれた店を、フェイは宿にしようと考えていた。
「私が<来る人>を保護できなかったとしても、努力したという言い訳は用意しなくてはね」
フェイは自分に言い訳をしながら、歓楽街を歩いていた。宮廷の対岸の城下に行くにはこの中洲の橋を渡るのが最も近道なのだ。
歓楽街は昼を過ぎてようやく起き出したところで、通りには人手が少なかった。フェイには、先日ゴーシェと来た時よりも、街が間延びしているように感じられた。
対岸へ渡る橋が見えてきたとき、宮廷の対岸に位置する神殿の鐘がひとつ鳴った。ぽーん……と、独特の響きをもって、鐘が<来る人>の訪れを知らせた。まばらながらも通りにいた人々は、神殿の鐘の音に一瞬歩みを止めたのだった。鐘の音を聞いたフェイは、クゥと第一王子の顔を思い浮かべて、胃の辺りを擦ると橋を渡り始めた。
◇◇◇◇
フェイは宮廷の対岸の下町をおおまかに一周すると、河の中洲の歓楽街区画へと戻ってきた。そろそろ日が傾き始める頃合いとなり、歓楽街は商売の支度を始めていた。
フェイは歓楽街をゆくっりとした足取りで一周しながら、先日利用した店へと向かう。道すがら、街の様子を観察する。
<来る人>はこの世界の言葉を話すことはできない。この世界の言葉を話す方法が3通りの方法がある。ひとつは自己努力によるもの、たとえば自力で言語を習得する場合がこれに当たる。ふたつめは補助を受けるというもの、たとえば専用の魔術具を使うか魔術をかけてもらう場合。みっつめ、この世界に残ることを聖堂もしくは神殿で、主神たるマトに誓約する、もとの世界に戻ることは出来なくなるがこの世界の言葉を母語のように話すことが出来るようになる。
今までの<来る人>の多くは、自己努力か主神への誓約をもって言語を得ていた。ふたつめの補助を受けるには、言語に関する魔術があまりにも高度で使える魔術師が少なかったのだ。
<来る人>がこの世界に来たばかりだと、こちらの人間の言語が話せない。そのため、稀に<来る人>が女衒や奴隷商に捕まる場合があるのだ。ヒースラント王国をはじめとする東の周辺国では<来る人>を歓迎する風習があるが、歓迎しない国もある。歓迎する風習があったとしても、どう歓迎するかは地域差が大きい。
ヒースラント王国の提示する保護の届け出に対する報酬よりも、利があれば当然他国へ<来る人>が渡る場合も考えられる。王都に出現したの<来る人>を保護できず他国に保護されたとなれば、ヒースラント王国の威信にも関わる。<来る人>であったフェイの父は、フェイに多くを語らなかったが、はじめにどこの国に現れて誰に保護されるかは<来る人>にとっても重要な問題だった。今回の<来る人>は、このヒースラント王国の王都に出現すると、神殿の巫女は予言した。<来る人>の出現を報せる鐘の音を聞き下町を巡ったが、今のところ見かけない人物の情報はなかった。
「王子が保護しても、クゥが保護しても構わないけれど、後味が悪いのは御免被る……」
フェイとしては<来る人>がこの世界の人間の言葉に不自由なことを理由に、娼館に売られたり奴隷となるようなことは許せなかった。ただ、そうでなければ、一般人であろうと商人であろうと精霊であろうが全うに保護されたならば誰に保護されても良いのではないか、ともフェイは考えていた。だからフェイは、<来る人>が全うに保護されるところを見届ける心積もりであった。歓楽街にいれば、女衒や奴隷商の情報も入りやすい。この歓楽街は、この国一の新しいもの好きの街なのだから。
フェイはせめて、自分の目に見える範囲の<来る人>が、この世界に来て早々に商品のように自分を扱うのを見たくはなかったのだ。
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