ヒースラント王国恋話
くさまくら
第1話
この世界は有史以来、異世界人<来る人>が迷い込む。
有名どころでは、1200年程前に精霊の長が妻にと望み百夜通いをした相手も<来る人>であったし、今年立太子の儀を控えるこの第一王子の母方の曾祖母は<来る人>であったし、城下の美味しいと評判のパン屋の主人も<来る人>である。
そして、宮廷魔術師として薬草園に勤めるフェイの父も<来る人>である。
<来る人>はこの世界では<幸運を運ぶ者>として丁重にもてなされ、<来る人>を保護することは上流階級の人間にとって権威を示すことであった。<来る人>がもたらす異世界の情報や考え方がこの世界を飛躍的に進歩させてきた実績があるからだ。
このヒースラント王国ではこの世界でも群を抜いた保護施策をとっていることで有名だ。ヒースラント王国にくる<来る人>はいつの頃からか自らを指して<日本人>と称することが増えたという。
◇◇◇◇
空は青く透明度が高く、遠く飛竜が雲に隠れた。フェイはその様子を眼の端に捉えながら、衛士に交通手形を提示し城門をくぐった。
「フェイ~!帰ってたのか!」
職場に向かう途中で、ゴーシェに声を掛けられた。ルーゼ王子の近衛騎士団員で侯爵家の次男のゴーシェはフェイの昔馴染みだ。家族ぐるみの付き合いがあり、ゴーシェの父はフェイの後見でもある。
「まあね」
「家はどうだった?」
「変わらなかったよ、何もね」
「……そうか」
ゴーシェは少し唇を尖らせると、何やら頷いた。
「よし!飲みに行こう!」
「わたしは、今から出勤なのだけれど」
「どうせ、家にいても仕方ないから、休暇を切り上げてきたんだろ?なら俺に付き合ってくれよ。な?」
「ええ……」
言うが早いかゴーシェは自分の休暇を取り付けてくると、フェイを連れて昼下がりの城下へと繰り出した。
「次に、家に帰るときは知らせてくれよ。俺も休みを取るからさ。家の掃除とか手伝わせてくれって」
「考えておく」
「頼むわ。たまには挨拶したいからな」
ゴーシェは酒の入ったグラスを揺らした。
宮廷で仕事をする都合上、宿舎暮らしのフェイは季節ごとに一度郊外の実家に帰省していた。フェイの実家は、現在誰も暮らしていないため、定期的に清掃と墓守りをしているのだ。
この世界の花木の上位精霊であるフロレンシアと、「来る人」である父・水畑京一郎との間に生まれたのがフェイだ。
父が老衰により亡くなったのはフェイが誕生して30年目の夏の日のことであった。
父の骨と皮の目立つ手は、シミと黒子と皺が樹皮のようであった。父の枕辺で、母ははらはらと涙をそのふっくらとした頬に流れるままにしていた。母の手は瑞々しく張りがあるままだった。
父の葬儀の後、母は少し疲れてしまったから休むわねとフェイに伝えると、父の墓石の傍らで目をとじてしまった。母は人の形から、花木の形に近づくと父の墓石に寄り添うように枝を揺らしたのだ。それからフェイの母は目を覚まさず、呼び掛けにも答えなくなった。
フェイは母の精霊としての性質を強く継ぐことができたため、人として生きるか精霊として生きるかを選ぶことができた。フェイは墓の下の父と父に寄り添う母を見て、人として生きることに興味が湧いた。今から13年前のことである。
それから精霊である師匠には反対されたが、人として人と関わって生きていくことにしたのだ。
父が存命だった頃から家族ぐるみの交流のあったゴーシェの父・ルラント侯爵が後見となってくれたため、3年前に宮廷に職を得ることが出来たのだ。仕事があればこそ、実家の地代も払えるというものだと、フェイは常々思っていた。
「それにしても」
「ン?」
「あの可愛らしかった赤子が大きくなったものだ」
「……フェイ、酔ってるな」
「まだ、酔ってない」
「いやいや、フェイが俺のオムツ替えていた話をしだしたときは酔ってるんだって!」
「まだ、オムツを替えていた話はしてない。赤子の頃のゴーシェはたいそう可愛らしかったという辺りまでだ」
「そうかそうか。ほら、もっと酔っておけよ」
ゴーシェとは、フェイがまだ精霊として生きるか人間として生きるかを決めていなかったころからの付き合いだ。それこそ、フェイはゴーシェが侯爵夫人のお腹のなかにいた頃から知っていた。フェイが人としていきることを決めたとき、ゴーシェは15を越えていた。それまでは、フェイがゴーシェの面倒を見ていることが多かったのだが、その頃からゴーシェは急に大人びて、今では第一王子の近衛騎士団の重鎮として周囲に頼りにされていた。
人の子は、どうしてこうもあっさりと大人になってしまうのか、生きている時間は長くとも人間歴はゴーシェよりも短いフェイにはわからなかった。
飲み屋から出ると宵の口であった。ゴーシェは上機嫌に、フェイに「もう一軒行こう!」と誘ったのだった。
◇◇◇◇
さて、以上が昨晩のフェイの記憶であった。
フェイは目を覚ますと見知らぬ天井に面食らった。自分が寝泊まりする宿舎の天井でもなければ、実家の天井でもなく、ルラント侯爵家の天井でもない。俗っぽく華美な天井であった。
フェイは二日酔いに痛む頭を抱えて身を起こした。
「……人の身になって、酒に弱くなったのは戴けない」
思わず、愚痴が口をつく。
寝床は、蒲団であった。蒲団は<来る人>が持ち込んだもののひとつで、入手は難しいものではない。とはいえ、つるりとした肌触りの真っ赤な蒲団というのは珍しい、と敷布団を撫でていると「失礼します」と襖が開いた。
襖の方をみれば、黒髪を美しく纏め上げた女性が頭を上げたところだった。女性はフェイと目が合うとふっと目尻を和らげると「お目覚めになられてようございました。お連れの方より、お世話を仰せつかって参りました」と改めて頭を下げた。
「……はい?」
女性はフェイが戸惑っている様子をみても微笑んだままで、そそとフェイの枕辺まで進んだ。
「ここは女の苦界で、殿方にとっては極楽です」
そして、そっとフェイの胸元を押して来たのだった。
◇◇◇◇
「それで、泡くって気絶した、と」
拗ねるフェイから顛末を聞いたゴーシェは、貴族にあるまじき大笑いをしながらフェイの背中をバシバシと叩いた。
「うるさいなぁ」
先日の飲み会のあとゴーシェに連れていかれた娼館で、二日酔いで具合が悪かったフェイはパニックに陥り、何事もなく一夜を明かしてしまったのである。翌朝、改めて目覚めると黒髪の女性は「次回は、気分の宜しい時にお越しくださいまし」と苦笑いをしながら見送ってくれた。あまりに決まりが悪く、この1週間ほど避けていたのだが、とうとう捕まって顛末を白状させられているのだった。
一頻り笑って満足したらしいゴーシェは「リベンジが成功したら、祝い酒だな」と、くふくふと悪巧みをしている。
「育て方、間違えたかな……」
フェイはゴーシェの悪い顔を見て、思わずため息をついた。
「さて、前置きはこれくらいにして……」とゴーシェが仕事用の凛々しい顔を作った。フェイも釣られて、背筋を伸ばす。
「巫女が<来る人>に関する予言をしたのは、宮廷魔術師団でも聞いているだろう?明日には城下にも正式に公示される。明後日に<来る人>が訪れるそうだ」
「それは、明日を待たずに僕に告げていいの?」
「構わない。第一王子は、フェイが見つけることを期待している」
「それは、また……」
面倒な、とは口には出せず、フェイは押し黙った。
「フェイ。第一王子は、何処よりも先に<来る人>を保護せよ、と仰せだ」
「拒否権は……」
「正式な要請を望むのなら手配する、とも仰っていたが?」
「あるわけないよね。ゴーシェ経由でのお願いの内に引き受けた方が良さそうだ」
「では……」
「第一王子には、鋭意努力します、って伝えておいて」
フェイは困ったなぁ、とさして困っていないように笑った。
◇◇◇◇
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