第二十一話 白瀧 直人(52)の場合

 取材が終わった報告とお礼を伝えるため、室長室までやってきた俺はドアをノックしようとして、


「やっぱり犬猫なんかは襲われないねぇ。妖精が襲うのは人間だけ」


 薄く開いたドアから漏れ聞こえる銀さんの声に手を止めた。


「男だけでなく女の魔法使いも存在するのではないか、という仮説も証明された」


「妖精の目的も特殊な性質の理由もほぼ確定かなぁ」


 白瀧さんと銀さんは重要な話をしているようだ。終わるまで待とうか。

 迷って、後退ろうとして、


「妖精のの目的は人類の衰退、あるいは絶滅。適齢期を大きく超えても性交渉の経験のない男女だけが妖精に触れること、倒すことができるのも出生数を減らすためだろう」


 白瀧さんの言葉に凍り付いた。それが本当ならとんでもない事態だ。すぐにでも公表して、えっと……少子化対策とか! なんか対策しないと!


「そ……!」


 その記事を書かせてもらえませんか!?

 そう叫んで部屋に飛び込もうとして、


「この事実を紅野さんが知ったら世間に公表しようとしただろうな。あの人を止めるのは難しい。どんな手を使っても。それこそ魔法を使っても」


「あのとき、死んでもらっておいて正解だったね」


 苦笑混じりの銀さんの声に手が震えた。ドアノブをにぎったままの手が、だ。


「誰だ」


 微かな音に気がついて、白瀧さんがドアを開けた。


「あ、佐藤くんだぁ! 取材終わったの?」


 白瀧さんの肩越しに俺の顔を確認した銀さんがのんきな口調で言った。不穏な会話が嘘か幻聴だったのではないかと思うほど。

 でも――。


「あの、今の……紅野さんの……」


「やはり聞こえていたか。仕方ない、箝口令かんこうれいをかけ直しておこうか」


 半信半疑で尋ねると白瀧さんはあっさりと肯定としか取れない言葉を発した。


「こ、紅野さんを殺したのは妖精じゃなく二人だったんですか?」


「いや、妖精だ。そうなるよう仕向けたが私や信長が直接、手を下したわけではない」


「大切な仲間だったんじゃ……!」


「そう、仲間だった。だから予期せず妖精と鉢合わせたかのような状況を作ることできた」


「〝全身麻酔〟」


 銀さんがつぶやくのと同時に体から力が抜けた。


「どう……して……」


「まだ、あの頃は仮説でしかなかったんだけどね。紅野さんに偶然聞かれちゃってさぁ。童貞な魔法使いにしか倒せないっていう妖精の特殊な性質や妖精の目的なんかを」


「下手に公表されては困る。カードは適切なタイミングで切らなければ効果がない」


 倒れ込んだ俺の前にひざをついて、白瀧さんは俺の額に手を押し当てた。


「だというのに、あの人は……。だから私の魔法で記憶を消そうとしたんだが体力、筋力だけでなく精神力もバケモノでね。きれいに消すことができなかった。それで仕方なく物理的に口を封じることにしたんだ」


 俺は紅野さんに直接、会ったことはない。

 だけど、紅野さんから託された思いを胸に魔法使いを続けている人を知っている。紅野さんに憧れて魔法使いになった人たちを知っている。

 その人たちの思いや覚悟を知っているからこそカッと頭に血がのぼった。あごをあげ、俺は白瀧さんをにらみつけた。


「紅野さんは世界を守るために妖精と戦う立派な魔法使いだったんでしょ!? それなのに、どうして!?」


「世界を守るため、か」


 にらむ俺を見返して白瀧さんは淡々と言った。


「あの人が言う世界とは人間社会のことだ。私が思う世界とは違う」


「……は?」


「私がまだ子供だった頃だ。感染症が世界的に大流行したことがあった」


 COVID-19。

 歴史の教科書に載っているから知識としては知っている。でも、なんで今、そんな話をするのか。


「感染防止のための人流抑制により街から人の姿が消えた。観光地からも」


 その答えはすぐにわかった。


「人間が訪れなくなって数ヶ月、汚れていた海は美しく澄んでいた。あの美しい海の色も、人間が訪れるようになって再び汚れたあの海の色も、心臓を握りつぶされるような罪悪感も、いまだに覚えている」


 中性的な美しい顔をかげらせて白瀧さんは言う。それが白瀧さんが妖精の目的を察しながらも世間に公表しない理由なのだろう。

 でも、だからって――。


「殺すこと……」


「話し合うべきだった、説得するべきだった、と?」


「もちろんしたよぉ、直人は。でもねぇ、確かに人は過ちを犯す。それでも、いつか……なぁーんてきれいごとと感情論しか言わない人に何言っても無駄でしょ?」


 ケラケラと笑う銀さんをにらみつけようとして――。


「〝箝口令〟」


 ハッと白瀧さんに視線を戻した。

 と、――。


「今朝、君にこの魔法をかけたときのことを覚えているか」


 凪いだ夜の湖をのぞきこんでいるみたいに底が見えない目で白瀧さんは俺の目をのぞきこんでいた。


「覚え、てます」


 ――君に魔法をかけたときは少しの抵抗も感じなかった。

 ――……君は本当に記者なのか?


 その問いの答えを今日一日、ことあるごとに考えていた。覚えていないわけがない。


「素直で従順な人間だと認識していたが今日一日でずいぶんと変わったらしい。箝口令では不十分なようだ」


 俺の額に当てていた手をおろして白瀧さんはため息をもらした。

 かと思うと――。


「まだ世間に公表されては困る。準備が整っていないからな。……〝記憶消去〟」


 アイアンクローの要領で俺の顔面をつかんだ。


「紅野さんは〝箝口令〟だけじゃなく〝記憶消去〟も効かなくてねぇ。一度はかかったんだけど断片的に少ーしずつ思い出しちゃって。それで仕方なぁく……」


 殺したのか、と責める言葉は出てこなかった。体に力が入らない。意識が遠のく。


「だが、君なら紅野さんのように口を封じる必要はなさそうだ」


 ぞくりとする言葉。


「今生きている人間の命を守りたい。その気持ちは紅野さんと同じだ。1を0にしたいわけではない。ただ、0は0のまま……」


 淡々とした声。

 指のすきまから見える白瀧さんの目を俺はにらみつけた。


「白、た……さん、は……なんで……」


 ――なんで魔法使いになろうと思ったんですか?


 絞り出すように発した言葉は途切れてしまった。でも、何を聞こうとしているのか白瀧さんには伝わったようだ。

 涼やかな、だけど凄みを感じさせる目で俺を見下ろして白瀧さんは言った。


「決まっている。世界を守るためだ」


 と――。

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