ドテマ!

夕藤さわな

第一話 俺にぴったりの仕事ってなんですか?

「佐藤! さーとーうー!」


 編集長がニヤニヤ笑いで手招きしてるのを見たときから嫌な予感はしていた。まぁ、だからと言って俺には回避する術も拒否する権利もないのだけれど。


「とっとと来ーい、佐藤ー!」


「……はーい。なんでしょうか、編集長ー」


 ヘラヘラヘコヘコしながら編集長のデスクの前に向かうと、ニコニコニヤニヤしながら編集長が俺を見上げた。メンズファッション雑誌の編集長をやっているだけあって、五十過ぎだけど見た目はいい。


「お前、いくつになったー?」


 編集長のニヤニヤ顔と質問にお決まりのやつが始まるのだと察しがついた。広くはないフロアに残っている同僚たちもニヤニヤと笑っている。俺は心の中で盛大にため息をついて、ヘラヘラヘコヘコ愛想笑いを顔面に貼り付かせてから顔をあげた。


「二十八……あ、先月で二十九になりました!」


「そうか、そうかー。で? 彼女はできたのか、彼女はぁ?」


「あー、いやぁー……」


 わかりきったことをニヤニヤ顔で尋ねる相手に上手い返しができるなら、彼女いない歴=年齢なんてことにはなっていなかっただろう。言い淀む俺を見て編集長はますますニヤニヤと笑った。


「そうか、そうかー! ん? と、いうことは……もしかして……もしかすると?」


「……ていでーす」


「ん? なんだって?」


「相変わらず童貞でーす!」


「そうか、そうかー! そりゃあ、よかった! おっと、よかったって言っちゃあ、佐藤に悪いよなぁ!」


 後半は俺にじゃなくフロアに残っている同僚たちに対してだ。編集長と同じようにニヤニヤ笑っているだろう同僚たちの気配を背中に感じながら、俺はヘラヘラ笑いが剥がれ落ちないよう気合を入れてヘラヘラと笑った。

 そんな俺の前に編集長がすーっと紙を差し出した。


「実はなぁ、そんな佐藤にぴったりの仕事があるんだよ」


「俺にぴったりな……?」


 編集長が差し出した紙をざっと読んで、あー……と、ため息に似た声が漏れた。


「ドテマの取材、ですか」


 ドテマ――正式名称、警察庁妖精災害対策課魔法室。

 私設の研究事務所に過ぎなかったしろがね研究事務所が警察組織に組み込まれたのは、ほんの二年前のことだ。


 銀 信長のぶなが氏がいつから妖精の存在を訴えていたのか、俺を含めた一般人の多くは知らないし興味もない話だ。ただ、二十年前の記者会見は『あのとき時代が動いた』系の番組で子供の頃から何度も見てきた。


「大雨、大雪、地震、津波……。君たちが自然災害による被害の予想にも対処にもことごとく失敗するのは、いまだに自然災害のすべてを現象として捉えているからだよー。違う、違う、ちっがーーーう! 君たちが自然災害や原因不明の事故だと思っているうちの半数以上は妖精が原因! 自然災害が意志を持ち、生物化したもの。それが妖精! ほら、見て見て見て! これが妖精だよ!」


 〇〇まるまる博士と呼ばれていた子供がそのまま大人になったような話し方とキラキラした目。ヨレヨレの白衣を羽織った当時、三十代前半の銀氏が勢いよく取り去った布の下から現れたのは檻。檻の中に入っていたのは妖精と呼ばれることになる生物だった。

 イノシシサイズの妖精は人間の女性に見えなくもない上半身とナマコかウミウシみたいな下半身という姿で、水色のスライムのような質感をしていた。


 多くの一般人が視認できるが触れることのできない大型の妖精。のちにレベル3と呼ばれる妖精を前に、銀氏が妖精の生態を早口で散々に喋り倒したあと――。


「多くの人間は妖精に触れることができないにも関わらず、妖精は人間に触れることが可能です。この厄介な生態が妖精災害の対処を困難なものにさせています。……ですが、策もきちんとあります」


「て、いうか僕の研究はそっちがメインなんだよー。伝承の研究! 魔法使いの研究! ほら、昔から言うでしょ? 三十才まで童貞だと魔法使いになるって。童貞だったら必ず魔法使いになるってわけでもないし、年令も個人差があるみたいなんだけど……!」


「……それでは、ご紹介いたします。妖精災害に対処できる存在、我が銀研究事務所に所属している魔法使いの一人です」


 当時、銀研究事務所の所長だった白瀧しらたき 直人なおと氏はベラベラと喋り続ける銀氏のマイクのスイッチをしれっと切ったあと、一人の男性を紹介した。


 紅野こうの 龍二りゅうじ――。 


 自衛隊員と言われたら納得しそうな体格を持つ紅野は、デモンストレーションとして檻の中の妖精を斬って見せた。魔法で出現させたという大剣で。


 魔法使いという存在が初めて世間に出た瞬間だ。


 大剣を肩に担ぎ、豪快な笑顔を見せる紅野の写真は、今でこそ歴史的な一コマとして扱われている。でも、当時の報道陣や世間の反応は冷ややかなものだった。

 幸運の壺や水晶と同じ。魔法使いも妖精もうさんくさいモノとして扱われた。


 世間の冷ややかな反応を変えたのは妖精災害による被害の増加と銀研究事務所所属の魔法使いたちによる地道な救出活動だった。

 日本各地、世界各地で発生する妖精災害すべてに対応できたわけじゃない。片手で数えるほどしかいなかった魔法使いたちがやれることなんて、たかが知れている。むしろ、ほとんどを救えなかったと言っていい。

 それでも、国内で月百名ほどが亡くなる妖精災害に遭遇しながらも魔法使いたちに助けられ、生き残った月数名とその家族や友人たちの声によって魔法使いたちは世間に認められていき、ついに二年前、警察庁の一部署となったというわけだ。


 んで、警察庁妖精災害対策課魔法室と、そこに所属する魔法使いたちのことをドテマと通称する理由は――。


「ドテマってさ。個人差があるとは言え、だーいたい三十才まで童貞を貫いて魔法使いになった人たちだろ?」


 つまり、そういうこと。童貞魔法使い――略してドテマ、というわけだ。

 んで、ドテマの取材が俺にぴったりの仕事だと編集長がニヤニヤ顔で言ってる理由は――。


「それなら取材をする側も同じように、だーいたい三十才まで童貞を貫いてる人がいいと思うのよ。でも、うちで童貞なのって佐藤だけなんだよなぁ」


 つまり、そういうこと。俺は背中を丸めてヘラヘラ愛想笑いでうなずいた。


「ドテマもウチみたいな一般誌に露出することで職業イメージを変えたいんだろ。三十代の十人に一人は童貞らしいが、だからって全員が魔法使いを志望するわけじゃなし。全員が魔法使いの適性を持ってるわけじゃなし。そりゃあ、人員不足にもなるわな。……どうせだから魔法使いの適性があるか見てきてもらったらどうだ、佐藤!」


「……っ」


 ニヤニヤと笑いながら何の気なしに編集長が放った一言に気合の入ったヘラヘラ笑いが一瞬、剥がれ落ちそうになった。それでも、ゆっくりと息を吐き出し、気合を入れ直して顔をあげると、


「そーっすね、記事のネタにもなりそうだし見てもらえるんなら見てもらってきますねー」


 俺はヘラヘラ笑いながら言ったのだった。


 ***


「ドテマの取材なんてめったにないチャンスじゃないですか」


「いいなぁ、佐藤ー! 編集長ー、俺に行かせてくださいよー!」


 佐藤がフロアを出て行くなり部下たちが一斉に声をあげた。


「うるせえぞ、お前ら。もう決まったことだ」


 部下たちのブーイングに俺はポリポリと額をかいて苦笑いした。


「佐藤に任せて大丈夫なんですか、編集長」


「別に特ダネ取って来いって言ってるわけじゃない。相手が話してくれることを記事にして、撮らせてくれるものを載せるだけで十分、話題になる」


 腕組みをして深く腰かけるとイスの背もたれが、ギィ……と軋んだ音を立てた。


「あそこは研究事務所時代からほとんどメディアに露出しなかったからなぁ。所属する魔法使いも二十年前の会見で紅野 龍二がたった一度、顔を見せただけ。目撃者も写真も動画も山ほどあるのにジャミングでもされてんのかってくらい魔法使いたちの顔だけが見えない」


「ドテマ、謎の多い存在ですよねー」


「それがなんでウチなんかに取材許可が下りたんですか?」


 部下たちが興味津々と言った表情で身を乗り出した。自分の力でもぎ取ってきたなら誇らしい気持ちになっただろうが、今回は違う。俺は肩をすくめて苦笑いを深くした。


「妖精研究の第一人者・銀 信長は大富豪のお坊ちゃん。私設の研究事務所を設立できたのもパパやおじーちゃまのお金のおかげ」


「そうなんですか?」


「そうなんです。んで、ウチの社長の名前は銀 光秀。銀 信長の実の兄」


「そうなんですか!?」


「そうなんです。んで、光秀と信長なんて仲の悪そーな名前してるくせに弟溺愛してんのよ、ウチの社長。いい年ぶっこいて」


「じゃあ、取材の件も……」


「社長室に呼ばれて社長直々に社長命令よ。弟が望むとおりの記事を書くようにって、にーーーっこりと満面の笑顔でご指示がございましてねぇー」


「うっわ……うっっっわぁ………」


 踏み込んだ記事なんて書いた日にはどんな目に遭うか。ウチの社長の笑顔がどんな意味を持つか、わからない部下たちじゃない。ドン引きしている部下たちをぐるりと見回して、俺は無言でうなずいた。深く、深ーーーくうなずいた。


「そんなわけでお前らみたいにガツガツしたやつより佐藤みたいに押しの弱ーいヘラヘラしたやつに行ってもらうことにしたってわけ」


「なるほどー」


「そりゃあ、確かに適任だわー」


 納得したのだろう。渋々、自分たちの仕事に戻っていく部下たちに苦笑いしたあと。


「記者としても男としても素材は悪くないんだがなぁ」


 俺は佐藤が出て行ったドアを頬杖をついて眺めた。


「ま、当たり障りのない、社長のご機嫌を損ねない記事をお願いしますよ、佐藤くーん」

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