report4. 勇者への憧憬
***
遠のいていた感覚が、じわじわと蘇ってくる。
血の臭い。周囲の家屋が燃え落ちる音。
そして、全身ねじ曲げられたかのような痛み。
どれほど意識を失っていただろうか。
少なくとも、つい昨日おとといのことを夢に見るくらいの時間は寝ていたようだ。
「いてて……アッシュのやつ、思いきり蹴りやがって……」
「戦いは、みんなはどうなってる……?」
辺りを見回す。
先ほどまで戦いが繰り広げられていたとは思えない妙な静けさに、心臓が早鐘を打つ。
すでに日は落ち始め、あたりは薄暗かった。
「ブオオオオオオオオオッ!」
突如響き渡る咆哮。
敵だ。炎で燃えて崩れ落ちた家屋の向こうから、家だったものの残骸を踏みしめこちらに近づいてくる足音がする。
反射的に腰に手を伸ばすが、そこに剣はなかった。そういえば意識を失う前に敵に折られたのであった。
ジークにはもう、戦うすべがない。
幸いまだ敵には見つかっていない。
逃げるか?
そんな考えが一瞬脳裏をよぎった。
だが、それはすぐさま掻き消えた。
ぼろぼろになった仲間が、すぐそこに倒れているのに気づいたから。
「あ……ああッ……!」
仲間の
「俺が! あの時! あんなことを言わなければッ……!」
叫ぶのは己がしたことへの後悔。
戻ることのできない過去への懺悔。
無情にも敵の気配は迫りつつある。
怒り。悲しみ。そして恐れ。
あらゆる感情がないまぜになって、ジークの身体の中を熱く駆け巡り始めた……。
***
「そういうことならお任せくださいっ!」
『勇者』に選ばれた理由は、
「ジーク、君は、その……良いのかい?」
「何がですか?」
「いや、もっとこう、反発とか、あって当然なのかと……」
魔王討伐への道は当然楽ではない。魔物の巣窟と化した隣国を抜け、門を通り、魔界の魔王城を目指す必要がある。道中、屈強な魔物たちとの戦いは避けられないだろう。
その彼らに魔王と同じ弱点が通じるか?
――答えは否である。
いくら魔王の弱点に特化したパーティとはいえ、その魔王に辿り着くまでは正面から戦わねばならない。鍛え抜かれた騎士団の兵士たちをもってしても厳しい戦いの道だ。
それを、こんなにも急に呼び出され、顔だけで選ばれた青年がすんなり受け入れるとは。王はそこまで甘く考えてはいなかった。事情を話した上で、彼らに決断の猶予を与えるつもりだったのだ。
だが、赤髪の青年はきらきらと情熱のこもった目をまっすぐに少年王に向けて、言う。
「反発なんてするわけないでしょ。むしろありがたいと思ってるんです。俺、ガキの頃から『勇者伝説』に憧れてたから」
『勇者伝説』。
それはこのアウシエン王国に伝わる、誰もがよく知る物語。百年前の史実をもとにしており、『勇者』に選ばれた青年たちが当時の魔王を倒して人魔協定を結ぶまでの旅路を描いている。国を救った英雄の物語に感化される者は多く、ジークもまたその一人であった。
確かに、顔かたちで選ばれたということに違和感がないわけではない。それでも『勇者』は『勇者』だ。ただ落第を待つだけの身であった落ちこぼれの訓練生という肩書きは、昨日限りでさよならする。
(人には才能相応の役目がある。けど、時には役目によって人の才能が開花することもある……だろ、父さん?)
彼は腰に
「陛下、ここに誓いましょう。我ら五人の『勇者』、必ずや魔王を倒し、平和を取り戻してみせ」
「おいおい、勝手に決めんじゃねーよ」
熱くなりかけた空気に水を差すかのように、ジークの頭をコツンと小突く者がいた。
「俺様はごめんだぜ。勝手に『勇者』に選ばれて、魔王を惚れさせろだ? 冗談じゃない。そうやって他人に指図されるのは大っ嫌いなんだ」
パウルは鼻を鳴らして立ち上がると、くるりと玉座に背を向けて出て行こうとする。
ジークも慌てて立ち上がり、パウルの腕を取って引き止めた。
「ちょ、ちょっと待って!」
「暑苦しいやつだな。離せ!」
「じゃあなんでここまで来たんだよ。『勇者』になる気がないなら、初めから来なきゃ良かったじゃないか。ここまで来たのには、何か理由があったんじゃないのか?」
「それは……」
言い淀む、ということはきっと図星なのだろう。
パウル以外の三人も同じだ。手紙を受け取って、何か思うところがあるからこそ登城した。もちろん、王命だから仕方なくという面もあるかもしれないが、見たところそう素直に従うような
ジークはふと思いついて、ぱちんと指を鳴らした。
「そうだ、今からみんなで酒を飲みに行かないか」
「……は?」
呆気にとられるパウルに、ジークは畳み掛けるように言った。
「あんた、酒好きだろ? 俺、良い店知ってるから案内するよ。飯代は俺が奢るし」
「どうしてお前がそこまでするんだよ」
「俺はただ人と飲んで飯食うのが好きなんだ。こうして会ったのも何かの縁。
するとパウルはぶんとジークの手を振りほどくと、そっぽを向きながらボソッと言った。
「……知らん。教典の中身には疎いんでな」
「ええ、神官なのに?」
「うるせーっ! あんな分厚い本、ムカつく奴を殴る以外の用途なんかねぇんだよッ!」
なんて不良だ。
だが、どうもジークの提案についてはまんざらでもないらしい。
「ちなみにその店……バンデルン地方のウイスキーはあるか?」
「あるある。五十度超えるあれだろ? 普段メニューには載ってないけど、マスターに言えば出してくれるよ」
「マジか。一度飲んでみたかったんだよな。探しても置いてる店なかなかないし」
「だろうね。客に飲ませるとたいていロクなことにならないらしいから」
すっかり王の前だということを忘れて酒談義に盛り上がる二人。そこへ、おそるおそるマシューが割って入った。
「あのー、僕も一緒に行って良いかい? 人と飲んだことってなくってさ。ちょっと興味があるんだ」
「もちろん! みんなで行くつもりだから」
ジークは他の二人にも視線を投げかける。
「アッシュとフェンロンも来るよな?」
「……まあ、構わないが」
「オレは行かんぞ。言った通り馴れ合う気は……って待て、その扉を閉めるな!!」
返事を待たずに謁見の間を出ようとするジーク・パウル・マシューの三人を、フェンロンは慌てて追っていく。
アッシュは口元を覆うスカーフの内側で小さく溜息を吐くと、ぽつんと残された王を振り返った。
「わた……俺も行きますね。どうも目が離せなさそうなので」
「ああ、頼むよアッシュ」
『勇者』たちの散々の無礼を気にする様子もなく、王は穏やかな微笑を浮かべて頷いた。
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