十年後の手紙

紅狐(べにきつね)

未来の自分へ


「では埋めますよー」


 担任の先生が声を上げる。周りにはクラスメイト全員が輪になって見守っていた。

 校庭の桜の木の根元。幹にプレートがくくられており、そこには『五年三組タイムカプセル』と書かれていた。


「勇気、なんて書いたの?」


 声をかけてきたのは幼馴染の瞳。クラスの委員長で結構我が強い。


「別になんでもいいだろ?」

「どうせ、明後日には忘れるんでしょ?」

「んなことあるか! お前はなんて書いたんだよ」

「秘密。十年後にわかるよ」


 十年後。俺たちはみんな二十歳になっている。その時、俺たちはみんなどうなっているんだろうか。

 その日の帰り道、空がどんよりと曇り今にも雨が降りそう。

 途中、一緒に帰った友達もそれぞれの帰路につき、俺と瞳だけになった。


「十年後、私たちどうなっているんだろうね」

「さぁな。お前はきっと立派な大人になってると思うよ」

「なんで?」

「頭いいし、みんなの面倒よく見てるし、委員長だし」

「ほぅほぅ、それで?」


 心なしか瞳は喜んでいる。いや、こっちをさっきから凝視し何かを期待している。

 はぁ、めんどくせ。だったら何でも言ってやるさ。


「可愛いし、男子にも人気あるし、きっとアイドルとかになってるんじゃないか?」

「……アイドル?」

「そそ、アイドル。あー、いいなーアイドルとか」

「私はアイドルとかにはならないよ。私はね──」


 頬に雨粒が当たる。


「雨だ!」


 突然降ってきた大粒の雨。さっきまでの明るさが嘘のようにあたりが暗くなる。

 俺と瞳は走って雨が当たらないところを目指し走り始めた。


「勇気、早く!」

「わかってるよ! 今行く!」


 横断歩道を渡っているとき、突然右に何かを感じた。

 視線を向けるとすぐそこに車が──


「危ない!」


 瞳が俺を突き飛ばす。世界がゆっくりと回る。時間がゆっくりと流れ、瞳は俺の目の前で──


 ──体が動かない。でも、意識はまだある……。俺、跳ねられたのか? でも、俺が最後に見たのは瞳だった。

 地面が冷たい。雨が体に当たる。寒い。眠い……。


 薄れゆく意識の中、うっすらと瞼を開ける。

 少し離れた所に瞳も倒れていた。動いていない、地面に寝たままだ。

 瞳? おい、瞳! 起きろ! なんで寝ているんだよ!

 本当は寝たふりなんだろ? 俺が行って、起こしてやるよ。


 俺は地面をはいずり、瞳のところまで移動した。


「なんだ、ばれた? ふふっ、名演技だったでしょ?」






 そんな、ことはなく、瞳は目を閉じたまま動かなかった──。


 ※ ※ ※


「……」

「先生! 目が覚めました!」


 知らない声が聞こえる。ここはどこだ? 寒くないし、ずいぶん明るく感じる。


「遠山君、どこかに違和感はないかい?」


 視線を向けると白衣を着たおじさんが立っている。

 医者?


「こ、ここは?」

「市立病院。遠山君が事故にあって入院していたんだけど、体に違和感は感じないかい?」


 そうだ! 俺は車に跳ねられて──。


「ひ、瞳は……」


 先生は少し曇った表情になり、目を泳がす。


「一緒にいた相原瞳さんだね。命に別状はないよ。今は自分の回復に専念してほしい」

「そうですか。よかった……」


 そして、数週間後。俺は退院の日を迎える。だが、一度も瞳に会うことはできなかった。

 部屋を出てロビーまで行くと、瞳の両親もきていた。


「ごめんなさい。俺のせいで、瞳が……」

「大丈夫よ。もう少ししたら会えるから、その時はお見舞いに来てね」

「絶対に行きます」


 だが、その後も面会をすることはなかった。

 小学校を卒業し、中学生になった。俺の隣に瞳の姿はない。


 ※ ※ ※


 月日が流れ、夏を迎える。瞳の両親から面会をしてもよいと連絡があった。

 一年以上、瞳はよっぽどの重傷だったのか。


「瞳……」


 恐る恐る病室に入る。白い部屋、白いカーテン、白いワンピースの寝間着を着た瞳がいた。


「瞳! 大丈夫なのか?」


 瞳に歩み寄り、声をかける。

 ベッドで横になり、俺の方に顔を向けた瞳。最後に瞳を見たときと比べ少しだけ大人になっている。

 うつろな目、定まらない視点、無表情。何かが以前と違う。


「瞳?」


 返事がない。


「瞳? なぁ、瞳!」


 声も出さず、表情も変えず、ただ俺の方を見ている。

 そして、瞳はそのまま窓の外を向いてしまった。


「おばさん、瞳は──」

「事故のあった日からすぐに目は覚めたの。怪我も大丈夫。ただ、ずっとこんな感じで……」


 意識はあるし命に別状はない。でも、魂がないようなこの感じ。

 全部、俺のせいだ! 俺が、俺があの時。


「勇気くんをかばって、この子は……。よかったら、またお見舞いに来てね」

「毎日着ます」


 その日から俺の通いが始まった。

 その日にあった出来事、学校や友達、元のクラスメイトの話。

 なんでも話した、でも瞳には俺の声は届いていない。


「瞳、髪伸びたな。前は肩くらいだったのに。たまには髪型でも変えてみるか?」


 瞳の髪をとかし、ゴムでまとめリボンをつける。

 雑貨屋で買ったイアリングを付け、少しだけおしゃれをしてみた。


「どうだ? 結構かわいいと思うんだけど。うん、良く似合ってるよ……」


 無表情、自分の姿を鏡で見ても何の反応もない。声も出さない。

 魂の抜けた人形。そんな言葉が合いそうだ。


「たまには外に出ようか」


 車いすに瞳を乗せ、病院内から外に。

 季節は秋になっていた。


「昔さ、落ち葉集めて焼き芋しただろ? 覚えてないか?」


 銀杏の葉っぱが舞い踊り、地面を黄色の絨毯にしている。


「俺の分まで瞳が食べちゃってさ、結構ショックだったんだぜ?」


 瞳からの返事はない。


「なんか言ってくれよ。 なんでもいいよ! 俺のせいなんだろ! お前のせいだって言って前みたいに俺を叱ってくれよ……」


 それでも彼女は表情を変えることなく、ただ前を見ていた。


 ※ ※ ※


 あれから十年。今日は同窓会だ。毎日毎日瞳の行院へ通った。

 瞳はなにも発せず、動かず、ただ空を見ているだけだった。


 今日は病院の許可をもらって同窓会に来ていた。

 瞳の事はみんな知っている。だから、はじめはみんな声をかけに来たが、そのうち誰も来なくなった。

 瞳の隣には俺しかいない。


「先生! 老けた! 白髪がすごいですね!」

「いい年なんだ、しょうがないでしょ?」


 みんな大人になった。もちろん俺も大人になったし、瞳も大人になった。


「では、いいいよ開けます! いいですか!」

「「はーい」」


 十年前に埋めたタイムカプセル。その内容は今でも覚えている。一度でも忘れたことはない。

 俺は自分の入れたものと瞳の物を預かり、病院に戻ることにした。


 俺たちがいたらみんな盛り上がらないような気がしたからだ。


 日が落ち、すっかりと夜になってしまった。門限まではまだ時間もある。

 昔、一緒によく遊んでいた公園に入った。うっすらと月明かりが照らす公園。

 こんな時間に公園で遊んでいる奴は誰もいない。


 ベンチに腰掛け、瞳の隣に座る。


「今日タイムカプセル開けたんだぜ。ほら、俺と瞳の分」


 俺は自分の封筒を手に持ち、中身を手に取る。入っているのは紙一枚。


「はぁ、十年って結構長かったな。今から読むぞ、よく聞いておけよ」


十年後の自分へ。

今何歳ですか? 十年後なら二十歳だよな?

大人になったのか?


一つだけ未来の俺に伝える。この約束は絶対だぞ?


相原瞳。幼馴染の相原瞳の隣にいてほしい。

大人になっても、その先もずっと瞳を守ってほしい。

俺はあいつが好きなんだ。


未来の俺、絶対に離すなよ?

俺との約束だ。


「情けないよな。こんなこと書いておいて、瞳をこんな姿に……」


 手が震え、頬に涙が流れる。


「でも、ずっとお前の隣にいた。この先も、ずっと瞳の隣にいてもいいか?」


 無表情の瞳。でも声をかけたときは声の方に顔を向ける。

 今もそう。ずっと、俺の方を見ていた。


 でも、一瞬。一瞬だけ微笑んだような気がした。


 もう一つの封筒。瞳のタイムカプセルの中も俺と同じような手紙だった。


「……お前のも読むか? 自分じゃ読めないし、俺が代わりに読んでもいいか?」


 瞳は俺の方を見ながら、微笑んだ。そんな気がした。

 封を開け、中に入っている便箋を広げる。中にはたった一言しか書いていなかった。



私は勇気の事が好き。



 耳を疑った。


「ひ、とみ?」


 動かなかった瞳。声を出さなかった瞳。

 その瞳の手が、俺の手と重なっている。


「人の手紙、勝手に読むのダメだよ?」

「ひ、瞳!」


 俺は思わず瞳に抱きつく。


「く、苦しいよ。えっと、勇気だよね。大きくなったね」

「あぁ! でかくなったさ! 瞳が俺を守ってくれたんだ」

「そ、私が守ったの。勇気は私がいないと、本当にダメだからね」


 涙が止まらない。こんな顔を瞳に見せたくない。

 でも、それでも俺は瞳を抱きしめ続けた。


 ※ ※ ※


 数週間経過し、瞳は無事に退院。


「んー、すっかり街並みも変わったね」

「十年もたったからな」


 瞳と二人で病院から家に向かって帰る。


 帰る途中あの日に寄った公園。その隣を通りかかった。


「少し寄っていこうか」


 瞳が俺の手を取り、公園の中に入っていった。

 ベンチに並んで座り、空を見上げる。


 流れる雲。瞳は温かく感じる風に髪を流しながら微笑んでいる。


「勇気さ、私に何か言いたそうなんだけど?」

「よくわかったな」

「長年の付き合いだからね」


 俺は瞳の手に自分の手を重ね、まっすぐに見つめる。


「瞳が失った十年、俺が責任を取りたい」

「どう責任取るの?」

「瞳の時間を俺に下さい。この先十年でも二十年でも、ずっと瞳の隣にいさせてほしい」

「そんなに一緒にいたら、お互いおじーちゃんと、おばーちゃんになっちゃうよ?」


 微笑む彼女。また、彼女の微笑む姿を見ることができた。


「俺の人生全部、瞳の為に」

「しょうがないな。だったら、勇気の時間も全部私に頂戴。それで手を打ってあげる」


 この先、十年二十年たっても、瞳の隣には俺がいる。


 十年前の俺へ。


 約束は守った。今度は手紙を書かない。


 手紙がなくても、俺はずっと瞳の隣にいるから……。


「瞳」

「何?」


「愛してる」

「ありがと。私も愛してるよ」


 寄り添う二人の間に、止まった時計の針が再び動き出した……。



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十年後の手紙 紅狐(べにきつね) @Deep_redfox

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