カビと知性
米占ゆう
カビと知性
日本において高等教育を受けた人間であっても、ことカビの話になると前提から間違っている人間がゴロゴロいるので、念の為に説明しておくとカビというのは菌類であって植物じゃないし、系統分類学的に見るとむしろ動物に近いことが知られており、故にカビは当然植物の特徴である葉緑体を持ってはおらず、花を咲かせるなんてことはありえず、ましてその花がどことなく村上隆の「お花」を彷彿とさせるカラーリングとニコニコ笑顔を持っているなんてのは生物学に真摯に取り組んできた人類の叡智に対する明白な反逆と言っても良いわけで、そんな反社会的なクリーチャーをよもや自宅の風呂場で発見してしまった私は、そんな現実を現実と信じられず頭を抱えるより他はない。ちなみに村上隆の「お花」と言えば、私にとってまた別に連想してしまうものがあるのだが、それについては今は触れず先へ進む。
しかし、まあ、あれだ。人間、目の前で起こった出来事になんでも対処しなければならない、なんてことはない。いや、むしろ我々は目にしたものを次の瞬間、見なかったことフォルダの中に放り込むという仕草に慣れっこになっていると言っていい。街中での暴力行為しかり、地球温暖化しかり、一週間流し場に放置してある食器然り、我々は何でもない日常を守り、重大な決断を避けるため、日々トレーニングを積み重ねている。であるならば、「お花」についてだって、ことさらに例外として扱う必要はない、ただ、見て、見なかったふりをすればよいだけだ――そう私は心に固く決心し、「お花」を横目にシャワー、横目に湯船に浸かる、横目にヒトカラ、横目に歯磨きなんてやってるうちに、そこに「お花」があるのが日常になってきた頃、その「お花」に声をかけられたのだから、死ぬほどびっくりした。
「こんにちは。私は、カビ。はじめまして」
「お花」はそうやって私に話しかけたのだが、実のところそれほど「はじめまして」ではない、むしろ彼我の関係は裸の付き合いを初めてもう一週間ほどになるわけで、しかし私はそんなことはおくびにも出さず、カビに対して紳士然と対応――できればよかったのだが、あいにく驚きすぎて声が出ない。
しかし、そうして私がパクパクやっていることなど全く無視して、その「お花」が話を続けるに曰く、
「ところであなたが先程歌っていた曲、『旅立てジャック』ですよね? ソウルの生みの親、レイ・チャールズの代表曲。乗りやすいリズムとあけすけな歌詞が素晴らしい」
とかなんとか言ってフラワーロックよろしく踊りながら歌ってのけるもんだから、私はより一層なんと反応したらいいか解らなくなる。
ただ、しかし、なるほど、このカビ、カビのくせに妙に物をよく知っているようである、分別のあるものは、たとえ脊椎がなかったとしても私としては大歓迎だ、そもそも私の周りの若い奴らは音楽といえばやれヤバTだのヨルシカだの若い音楽ばかり聴いていて古い音楽をバカにして(私からすれば耳がバカなのは彼らの方なのだが)話が合わない、それならばむしろこのカビのほうが友とするにまだ相応しいんじゃないか、いや、そうに違いない!
などと思考を一回転させてこのカビのことを気に入ってしまった私は以後、大学から家に帰るなり風呂場に直行して彼と森羅万象ありとあらゆる物事について語り合うのが日課になってきたある日、私が大学で昼休み、食堂のまずい飯の中でもまだごまかしの効くハヤシライスを食しつつ、CP対称性の破れとタイムマシンに乗ってやってきたドラえもんに生じるであろう歪みについて思索を巡らせていたところ、女の子――花畑さんから声をかけられたわけだ。
「やっほー、ねえねえ榎木岳くん、最近ご機嫌じゃない? なんか良いことでもあった?」
「? なぜそう思う」
「え? だってさっきも珍しく鼻歌歌ってたし。榎木岳くんが鼻歌歌ってるの、あたし初めて見たかもって」
花畑さんはそうは言うが、しかし私は全くもって鼻歌なぞ歌っていた覚えがない。いや、そもそも私は軟弱な大学人のことを敵視しており、故に心の錠を下ろして世間一般に無口キャラで通しているわけで、そんな隙を彼らの前に軽々しく見せるはずがないのである。
しかしそんな私の反論に、彼女は不服そうな表情をしながら、「えー? 絶対歌ってたって! でもあたし、あの歌多分好きかも。ちょっとジャズっぽい感じで」と言って聞かず、「ほら、この歌だよ、聴いて?」と言って自ら鼻歌を歌って聞かせてくるので、私はやむなくスプーンを動かす手を止めて拝聴することにするのだが――うむ。
それは珍妙な歌であり、どことなく『旅立てジャック』を彷彿とさせなくもないエッセンスは感じられるのだが――むしろどちらかと言えば全体的にどこかインド風味であり、ラヴィ・シャンカールであったわけで、あいにく少なくとも私はラヴィ・シャンカールを鼻歌ではやらないわけだから、やはりこれは花畑さんの勘違いであろう、うむ、うむ。
などと私は確信を得てホッとしながら、彼女の頭の上にある村上隆の「お花」の髪飾りに目をやったわけだ。
――村上隆の「お花」。
そう、さっき少し言いかけた「お花」で連想してしまうものとは、無論彼女、花畑さんのことである。
彼女は本を読むという行為を滅多に行わないにも関わらず文学部に入ってきたという謎多き――というよりはただ単に世間一般に数多く蔓延っている愚かさを兼ね備えた人間なのであり、センスと直感だけでこれまでの高校生活を息抜き、そしてこれからも生きていかんとする人間であった。
そんな彼女が何故か妙に気に入っているものが村上隆の「お花」なのであるが――しかし、私が察するに、彼女はおよそ、村上氏の思想信条・芸術的姿勢についてはとんと興味も知識もなさそうで、言うならば、あれ、ニルヴァーナを聞かずにニルヴァーナのTシャツを着たり、ハーベイ・ボールの活動をよく知らずにスマイルマークを好んで使ったりするのと同じ現象がここでも観察できるものと思われる。このような現象は近年の若者文化にはっきり見られる特徴の一つではあるが――私に言わせれば度し難い。
……のだが、まあ、でも、それはさておき――とは言え、確かに? 「お花」の髪飾りをつけた花畑さんは――まあ、その、なんだ――よく似合っているというか? まあ、そう、かわいい、ことは認めざるを得ない、いや、それは別に、素晴らしく価値のある、ような、ものでもないし、ルッキズムとは悪しき風潮である、かわいいは正義ではない、それは分かっているのだが、とはいえ、まあ、でも、彼女をここで特筆する上で、そのかわいらしさというものを無視するのは不自然というか、まあ、難しいのであって――
「――ごまかすなよ榎木岳、あんた、彼女に気があるんだろ?」
しかし帰宅後、私が彼女のことを話した直後、カビが訳知り顔で「わかるわかる」と私にゼロ距離射撃を決め込んできたのには流石にドキリとした――いや、もちろん痛くもない腹を探られて、という意味である。
そもそも、どうもこのカビ、ここ最近、やたらと口が悪いような気がする。慣れてきた――と言えばそれは歓迎すべきことなのかも知れないが、しかし、親しき仲にも礼儀ありというアフォリズムには、やはり人間(カビ)関係を良好にする知恵が含まれているように思えてならない、少なくとも私はそう信じる。
……が、どうもカビはそうは思わなかったらしい。
「いやな、どうも最近自分の体を調べていて分かったんだが、俺、お前の遺伝子を取り込んでいたらしくてな。ま、いわゆる遺伝子の水平伝播ってやつ。だから、俺とお前は気がめっぽう合うのさ。で、だからこそ助言させてもらうとすればだな――あの娘、お前と相性抜群だぜ? 彼女とお前、HLA遺伝子がうまい具合にバラけてる。こりゃ生物学的に言えば運命のお相手っつっても過言じゃねえよ。よかったな、榎木岳!」
「おいカビ」
私はそう言って、カビのそれ以上の戯言マシンガンに牽制球を投げた。流石に――そろそろ踏み込み過ぎのラインである。
大体だ、私が彼女と恋仲になることなど、断じてありえないと言って良いことだ。というのも、なぜなら、彼女は私が恋愛相手に求めるものとして引いている一線、ハードルを超えてはいないからである。
いいだろうか諸君、先に述べたとおり、彼女はセンスと直感を頼りに生きる人間であり――その特徴を私は今の浮世に蔓延る愚かさの一種と了解しているのである。そして、いいか、よく聞け、諸君、そしてカビよ。私の恋愛にかける些細な夢とは、知的な会話を楽しむことにほかならない。それは即ち休日に二人で映画を鑑賞したあと、さながらスラヴォイ・ジジェクのようにそのストーリーにラカン派精神分析を適応してみたり、またあるいは語学の勉強をしながら互いを指差して「ラテン語はちょっぴり」「ギリシャ語はそれ以下」なんて言って互いにくすくすと笑い合うようなものであって――そんなこと、花畑さん相手ではまるで見込めないことは火を見るよりも明らかであろう! 以上、証明終了、どうだカビめ、まいったか――!
「ふーん、なるほどな」
が、しかし私の渾身の大演説を聞いたカビはそんな薄味の反応を示した後、しかしながらどうにもわからない、みたいな顔をして私にかく問いかけるわけなのだが、曰く。
「しかしな、榎木岳。俺は疑問なんだが、そんなに頭がいいことが大事かね?」
……しかしである。私に言わせればそれは逆さまの話であった。
人間、知識や頭脳を除いて何を大切なことがあるであろうか。人間の歴史を推し進めてきたもの、人間の文化を花開かせてきたもの、人間の認識する世界を押し広げてきたもの、それは人間の蓄積した知識であり、鍛えられた頭脳である。ならば、人間社会に置いて最も価値あるものは知識であり、頭脳であり、その事実を無視して、感情に身を任せて軽挙妄動に走ることなど、私には度し難い行為であるという他はないわけであって、そこのところの道理、他の人間ならばともかく、カビならば判ってくれるに違いあるまい。
――が、しかし。カビはそんな私の弁論を聞いてもなお、
「ほーん、なるほどね。よく覚えておくよ」
と、あっさりした反応であった。まあ、私としてはせいぜいその言葉を彼が実践してくれることを期待するよりほかはないわけだが――。
「で、だ。榎木岳、それはともかく今度、その大学とやらにさ、レイ・チャールズのCDを持っていってみろよ。多分盛り上がるぜ、話?」
「……おいお前、話を聞いていたか? だいたい私は、そんなふうに音楽を利用する人間が一番キライなんだよ。それに、私はこれ以上花畑さんと親睦を深めるつもりはないし、今のままでいいと思っているわけでな、大体いいか? 人間というものは恋愛だの惚れた腫れただの、そういう次元から離れた、より高度な生活を送る自由ってもんがあってだな、何でもかんでも恋愛に捨象すればよいというものではないわけなのだよ。まあ、ここらへんの話についてはカビにはわからないかも知れないが――」
などと私はカビに対してそう真摯な主張をおこなったわけであるが翌日、そうは言いつつも一応、とCDを持ってきてしまった私を諸君らは笑うのかもしれない。とは言えだ、これは違う、別に私は己の強い希望でこれを持ってきたわけではない、止むに止まれぬ事情ってものがあったのだ、ということをここに示しておかなければ私も私のご先祖様も共々浮かばれぬだろう。というのも、ほら、これは、あれだ――そう、あの「お花」への義理の一つの形である。なんせ奴があそこまで頑なに「CDを持っていけ」なんて主張するものであるから――私としてもまあ、ここらで友情の形というものを示しておくべきかと思ったわけであり、加えてここに死んだひいお祖父様の「義理は大切にせよ」との教えが乗算されるわけで――そう、それ以上の意味は持たないのだ。そう、持たないったら、持たない――
「あれ? なにそのCD、どうしたの?」
「うぉっっっ!?」
――と、そんな素っ頓狂な叫び声を上げた私を、諸君らに至ってはどうか許してほしい。
というのも、私が顔を上げた眼の前に突如、髪飾り同様ニコニコにた花畑さんの顔が現れたからであり、おかげでついうっかり手を滑らせてCDを落としそうになった挙げ句、空中で掴もうとしたために三、四回ぽんぽんとお手玉までしてしまったわけで、まったく、今回はガンガン使っていくように購入したものであったから良かったものの、もしこれが試聴するのもはばかられる貴重な一枚だったとしたら、全く洒落になっていないところであった、花畑さんには深く反省していただきたいところである。が、しかしそんな私の抗議の目線に気がついたのか、花畑さんが申し訳無さそうな顔で私に詫びることには、
「ごめんごめん、集中してるトコ話しかけちゃって。でもCDなんて珍しくない?」
とのことだったので、前回の鼻歌のことも含め、私はどうやら彼女の中ではあまり曲を聞かないタイプの人間だったらしい。まあ、とは言え、彼女らが聞くような音楽は実際聞いてはいないので、彼女らの環世界基準で考えるのであれば、その判断も正しいと言えるやもしれないが。
「……まあ、いい。それよりも、これ。前に私の鼻歌がどうとか言っていただろう。この曲は例のあの曲ではないが、まあ、似た曲だ。興味があるなら聴いてみるといい」
そう言って私は何の気無しにCDを彼女に差し出して――それから少々びっくりした。
いや、何のことはない、何のことはないのだ。ただ、彼女が思いの外――ちょっと嬉しそうな顔をしただけのことであって、別にそれは自然な反応であり、何分驚くには値しないことであるはずなのだが――。
「え、うれしい! 聴く聴く! あ、ちょっと待って、それだったら、これ、よければ聴いてみて?」
そんな私に対して綻んだ顔をしてそう言うと、彼女はなにか少々焦ったような感じでバッグを漁り、やはり一枚のCDを取り出すと、
「ヨルシカのCD! めっちゃいい曲だから!」
と私の手にそのジャケットいっぱいに目が移されたCDを押し付けてくるわけなのだが、ヨルシカか……。正直なところ若い音楽はあまり聴いてこなかった分抵抗感もあるし、別に私としてもお返しに何かを期待していたわけでもなくて困惑してしまうわけなのだが――いや、しかし。私はヨルシカを聞く若者をどこか冷めたような目で見るところがあったものの、とは言えちゃんとヨルシカを聴いたことはなかったのだ、一度、これを気に見聞を広げてみるのも悪くないのかもしれない、などと思い、
「分かった、聴いてみよう」
と私はそのCDを受け取るわけなのだが、しかし、他人のCDか。なんというべきか、私自身他人からCDを借りたことは今まで一度もなかったのだが、これは不思議な感覚がするものだ、どことなくCDに彼女の色がついているような気がすると言うか――ふふ。
まあ、良かろう。家に帰ってからカビとともに聴くのが楽しみだ――と思い家に帰り着いてみると、風呂の中のカビが盛大に繁殖していたため、私はあわや手に持っていたCDを取り落してしまいそうになる。
「やあ、よく戻りました、榎木岳さん」
そんな私を認めてカビが放った言葉は、まるで一番初めに喋ったときのように――いや、それよりもひどく他人行儀なもので、私は強烈な違和感を覚えたのだが、カビの方はむしろ一周回って自然体であり、そのどこか悟りを得たかのような口調のまま私に向かって話を続けて、曰く。
「――私は気がついたのですよ。人間の脳細胞の数は860億個。対してカビというのは無限大に増加することができる。であれば、我々は増殖をすることで人間の頭脳をゆうに超えて繁殖することができるのです。そうすることで『知は力なり』という言葉の真なる意味もまた知ることができました。なるほど、これは大きな力だ――」
カビはそう言うと相変わらずのニコニコ顔を私に向けてくるわけなのだが、風呂場中に張り巡らされた菌糸を使って彼/彼らが何を考えているのか、私が掴みかねるまで成長しきってしまったそれに、私は本能的な恐ろしさを感じざるを得ない。が、しかし、カビはあくまでも私に対して友好的な雰囲気を保ったまま、話を続けるわけで、
「総細胞数が1000億を超えることで、私は人が一体どのようなことで悩んでいるのか、あるいは問題とするのか、その根本原因やメカニズムについて、今では容易く理解することができるようになりました。人間とはちっぽけな生き物だ。しかし、その限られたリソースを利用して多大な文明を発達させてきたこと、これに私は驚嘆と、それからリスペクトも感じているのですよ。そして同時に、可愛らしくもなる」
「待て、カビ。話が大きくなりすぎだ。お前は一体何を言いたいんだ?」
正直なところ、私はその状況にひどく困惑していた。カビが何を言いたいのかわからなかった――いや、そうではない。心の底では分かっていたのだが、しかし、確かめておかなくてはならなかったのだ。
だが、カビは言った。
「分かりませんか? ……つまるところ、今こそ、カビが人間を導くときだ、ということなのですよ。喜びなさい、榎木岳さん。貴方の遺伝子を取り込んだ私は、人間社会に隠された一つの解に到達し、今や、次世代の人間たちの神となるのです。今に人々は私の導きのもと、より発達した社会を生きるようになる。しかし、まずは隗より始めよ、という言葉もあります。榎木岳さん、私に傅きなさい。そうすれば私が、貴方を良い方向へと導いてやりましょう。我々は二人で人類の次なるステージが如何なるものであるのか、世界に知らしめる必要がある――」
――ところで、諸君らはなぜ塩素系消毒剤がカビを殺せるか、ご存知だろうか?
塩素系消毒剤――よく聞くこの消毒剤の主成分は次亜塩素酸ナトリウムであるが、この次亜塩素酸ナトリウムは水に溶かすと水酸化ナトリウムと次亜塩素酸とに分解され、うちカビに効力のあるのは次亜塩素酸の方である。この次亜塩素酸は風呂場の壁にこびりついた菌類の細胞膜をするりと通り抜けることができ、結果細胞の中に入ったあと、菌類の生育に必要な酵素を次々と分解してしまう。加えて無論、現代の消毒剤にはそれ以外にも様々な消毒剤・界面活性剤などが含まれているはずであり、それらは互いのシナジーを生かして菌体を効率よく、あるいは冷酷無情にも蝕んでいくわけで――その使用者は無論、目の当たりにすることができるわけである。その化学消毒がいかに強力であるかを――。
そして――。
洗剤をすべて流し終えた私は、全てをやりきったことによる疲労感で、ほとほと打ちのめされていた。久々の白く漂白された風呂場タイルに囲まれた浴槽は、思ったよりも眩しく見え、まるで我が家の風呂場でないような心持ちがして、落ち着かない。
――が、これこそ、もともと我が家の風呂場だったのである。
そして――そんな風呂場の中央、丸椅子に腰掛けながら私はただ、やや湿っぽい物思いに耽っていたのであった。
カビと知性 米占ゆう @rurihokori
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