ボギャブラリィの足りない世界で

上の空

第1話

 岩山ばかり。砂ばかり。そんな眺めがずっと続いているような場所だった。大量の砂がざぁーと空を流れているため、辺りが見えにくい。

 その砂の風の向こうに一人の影があった。

 若い男の姿だった。

 男にも名前はあった。だけど文字にするとどう書くのか男自身知らなかった。だからここではただ男としておこう。

 男の前にはでかい生き物がいた。羽根の生えた大きなトカゲみたいな生物。ドラゴンだった。

 竜は首を大きく後ろに反らせていた。それに対して男は広く足を広げて立っている。竜の頭の位置が勢いよく元に戻った。それと同時に大きく開いた口から熱い息がふうーっと吐き出された。男はそれより少し先に空中にばっと飛び出していた。足元のすぐ下を熱い熱の息が通り過ぎる。皮の靴が触れてもいないのに熱くて焦げる。

 男は腰にぶらさげた剣を抜いた。一目見てただの銅で作られた剣。

 男は落ちてゆきながら剣をぶんぶんと振った。男が地面に足をつけたとき、頭上でどぼっと音がした。

 男から少し離れた所にぼたぼたと何かが落下してきた。それは先ほどまで竜の腕だった肉片であり、血であった。ただの銅の剣が、男がふるうとすごい切れ味を見せた。男はほとんど連続といった感じで、また空へジャンプしていた。

 ずどばっ!

 先ほどよりも大きな音をたてて落ちてきたのは竜の頭。地響きと砂ほこりをたてて竜の頭は地面に大きな穴をつくった。男は剣を振って剣に付いた血を飛ばした。

 こんなどでかい生き物をあっさりと殺しちゃうあたり男はそうとうに強いようだ。それもそのはず。男の強さは地元でも有名だ。小さい子供の時から腕力でも体力でも周りの大人以上だった。大きくなるにつれその強さもますます凄くなっていった。そしてある時その強さの異常さが国の王様の耳にも入った。男は城によばれた。

「おまえが噂の男か?」

「はい」

「そうとうに強いらしいの」

「はい」

「その強いところを見せてほしい」

「はい」

「丁度よい。いまうちの領土を大きい竜が荒らしているらしくての。そいつをやっつけてもらいたい」

「はい」

「自信はあるかの?」

「はい」

「よし。ではたのむぞ」

「はい」

「おお。そうそう。うまく竜を退治できた時にはお金とかと一緒にお主には「強い男」の称号をやろう」

「はい。ありがとうございます」

「うむ」

 そういうことで男は竜退治にやってきたのだ。

 男はとても嬉しかった。これで自分の強さが国にも認められるという喜びだった。男は早くみんなに自分の強さを認めてもらいたかった。

 男は竜をやっつけた証として王様に言われたとおりに竜の眼をとった。瞳を容れ物にいれ、帰ろうとした時だった。向こうからやってくる誰かの姿があった。

 黄色いキラキラな髪をした、男とほとんど変わらない年頃の若い人だった。光る髪の男は大きな剣を背負っていた。その剣はすごかった。まずとても大きい。それとぶんと振ればずばっと斬れそうだった。そしてとても長い。

 黄色い髪の男にも名前が以下略。

「おい。きさま」

 黄色髪の男はまずそういった。

「俺の獲物をとったろう。おい」

 どうやら相手の男も竜を退治しに来たところらしかった。少し遅かったようだが。

「それは俺の獲物だったんだぞ、おい! 許さん」

 キンキラ髪の男はすごい怒っていた。眉がぐうっとなって皺になっている。

「しかし俺が先だったろう」

男はそうつぶやく。

「許さん! 勝負っ!」

 大きな剣の男はも一度いった。そして少しづつ手を背中の剣に伸ばしていった。

「なに? 止めておけ。俺は……強いぞ」

 相手の男の動きを目で追いつつ男はいう。

「どう強い?」

「とても強い」

「うるさい!」

 相手の男は背中にしょっていた大きな剣を右手に持った。彼は右ききだったのだ。男に剣を抜かせるチャンスもくれずに、相手の男は攻撃してきた。

 あんな大きな剣をもってるのに黄いろい髪の男の動きは早かった。振りぬいた剣がびゅーんと音をたてた。風のような勢い。男もそれにむかって剣を刺しだした。がーんと音をたてて二つの剣は離れる。

「いきなりか?」

 男はそういいながらも少しも慌てちゃいない。

 相手も相当強いみたいだったが男には自分より強いとは感じなかった。相手が野原を走る兎ならこちらは草原に寝そべる牛といったところか。男は冷静だった。しかし相手もそれをわかっちゃいるはずだ。それぐらいの力はありそうだと男は見ていた。

だからとても気になった。だから聞いてみた。

「なぜそんなに竜殺しにこだわる? 人を襲ってまで」

 攻撃を止めないまま、相手は答える。

「俺には家族がたくさんいる」

 男もひとまず相手の攻撃を防御しながら話を聞く。

「小さい兄弟を養っていくにゃあ、立派にならなきゃならねえ」

「そのための竜退治か」

「そのための竜退治よ」

 男は感動していた。

 自分のためにではない。家族とはいえ自分以外の者のために命をかけるこの男にじーんときていたのだ。

「すげー立派じゃないか。それ」男は思わずそういっていた。

「だろ」相手も嬉しそうにいう。

「ああ」

「だからやられてくれ」

「やだよ」

 男は短く断った。

「だいたい俺を倒して竜の死体を持ち帰ってもほんとの意味でお前の功績にゃあならねえだろう」

「う……そ、それは……

 黄色髪の男も痛いところをつかれ、言葉が出ない。

 その時急に二人の頭上が暗くなった。二人は戦いの動きを一時止め、なんだなんだと上を向いた。

 二人はとてもびっくりした。空を隠すぐらい大きなドラゴンが二人の頭の上を飛んでいた。いつの間に近づいてきたのか。いくら砂で視界がきかないとはいえ二人の

巨大。とても大きい。それは先ほどの竜の二、三倍は軽くあった。

「ドラゴン……も一匹いたなぁ……」

「ああ……」

「じゃあ、あんたはアレを頼む。俺はこれでサヨナラするから」

「待てっ」

 武器を収めて帰ろうとする男を黄色髪の男は掴まえて離さない。男は相手の目を見た。協力してくれって言葉には出さなくても目は言っていた。

「一人じゃ自信ないのか」

 男はいった。

「正直ない」

 相手も答えた。

「ほんとに正直だ」

「たのむ」

「わかった」

 男としてもこの状況では一人帰るわけにもいかなかった。そういうことで二人プレーで竜を殺ることになった。巨大な竜も二人に対して妙に攻撃的に見えた。もしかすると先ほど倒した竜はこの大きな竜のこどもなのかもしれない。

 二人は離れて竜を左右に挟むような位置についた。

「ドラゴン。おい。てめえ、おい」

 黄色い髪の男は空に向かって剣をふる。その挑発がきいたのか、竜は黄色髪の男へと先に攻撃をしかけた。大きな竜は二人の剣よりもよく斬れそうな爪をくりだしてきた。黄色髪の男はそれをさっと躱した。爪は地面を大きく掘り起こした。

「すごい。巨大な鍬のようだ」

 男は竜がもう一人を攻撃している隙を狙って攻撃を仕掛ける。

 指。肢。背中。男は最大パワーで斬りつける。が特に効いている様子はない。それでも後ろからの攻撃に気づいた竜が男の方へ向きを変える。竜の頭が大きくのけ反った。

 あの熱い息の攻撃が来る。そう思って男は回避しようとした。

「ふせげ、耳っ!」

 黄色髪の男が叫ぶ。

 男は瞬間に反応できなかった。

 竜が大きく鳴いた。凄まじいおたけび。

 男の耳がキーンとなった。それで一時的に身体が痺れたように動けなくなる。巨大な爪が男に向かう。黄色髪の男がすごい速さで走ってきて、ぶつかるように男の身体をドンと突いた。

「あぶねぇっ」

 二人の身体の横をとがった鉄みたいな塊が通過していく。

「すまない」

 助けてくれたことに礼をいいつつ、男はまだ痺れのある身体をなんとか立ち上がらせる。

「なに。この状況。お前が死ねば俺一人になって辛い」

 黄色髪の男も顔に浮いた汗をぬぐいつつ応える。二人の目はそれでも竜に向いたままだった。

「このまま交互に攻撃くりかえしても駄目だ。体力ももたねぇ」

 黄色い髪の男はそういう。

「こうなりゃ急所を一撃にかけるしかねえ」

「よし俺が」

 男が前に出ようとするのを相手は抑える。

「いや俺がやろう。俺の剣のほうがデカいし長い。それにまだ身体の麻痺が少し残ってるだろう」

 黄色髪の男は大剣を両手で持った。

「回避に集中してくれ。精一杯動いて竜をかく乱してほしい」

 そういって黄色い髪の男は竜へと向かっていく。

「よし」

 男も頷いて、竜の正面、目立つところを攻撃していく。しかし本気の攻撃はしない。あくまで囮としての攻撃だけ。

 竜が男の方に意識がむく。爪が何度も地面を掻く。男はサッ、サッとそれを避けていく。

 竜の攻撃意識が完全に男に向いた。その隙を黄色髪の男はみのがさなかった。大きくジャンプして剣を振る。竜の首に大剣がぶつかった。

 それで終わりだと思った。二人の男は。

 剣がぶつかると同時に、すばやく竜が首をふった。

 剣ははじきとばされた。竜のむき出しになった牙が無防備になった黄色髪の男の身体を襲った。

 はじかれた剣が飛んできて男の近くの地面に突き刺さる。そして──黄色髪の男の身体も地面に落ちた。

「おい……おい……」

 男は声をかけようとする。が、地に横たわった身体に反応はない。

「くそぉおおおおおおおお」

 男は走った。走りながら地に刺さった大剣を抜き、助走をつけたところでジャンプした。身体の麻痺はすでに消えていた。

 今日一番の跳躍だった。竜の頭より高いところまで一気に飛んだ。

「死ねええええええええ」

 大剣を本気の力で振り下ろした。剣がはじかれないよう、剣の重み+重力+腕力の勢いによる斬撃。竜の首に当たってガンと音をたてた。

「おおおおおおおおおおおおおおっ」

 竜の首は固い。なかなか斬れない。皮も厚けりゃ鱗もある。手ごたえがありすぎるのだ。

「おおおおおおおおおおおおおおっ」

 それでも男は剣にこめる力を弱めない。さらにもっと力を込めて押す。

「おおおおおおおおおおおおおおっ?」

 ゆっくりとだが剣が固い鱗、そして肉にくいこんでいく。男の身体が少しづつ沈んでいく。

「ああああああああああああああっ」

 ギャアアアアアアア、とこれは竜の鳴き声。さきほどの雄たけびとは違う。竜は痛くて鳴いていたのだ。死ぬ前の精一杯の鳴き声だった。

 剣が軽くなった、と男は感じた。どうやら剣が肉を斬り抜いたようだった。身が軽くなった男は竜の身体を蹴った反動でもう一度ふわっと浮くと、半ば斬りはなされた首の肉の残りをとどめとばかりに斬りさいた。

 地響きたてて竜と男は地面に着地した。

 男は生きて。竜は死体となって。

 男は黄色髪の男の所へ急いで走った。

「おい! しっかりしろ」

 男は相手の身体に手をやった。

「ダメだ……死ぬ……」

 黄色髪の男はズタボロだった。それでもまだ死んじゃいなかった。

「死なない。まだ死んでない」

「いや、ほんと死ぬ……わかる……自分のことだから」

 黄色い髪の男は声はとても小さくなっていた。ほとんど力がなくなった感じがあった。

「それより頼みてぇがある」

「よし聞くぞ」

「俺の遺体を故郷にとはいわない。ただ俺のあの剣を家族に渡してやってくれ……」

「……」

「そして伝えてくれ……俺が最後まで竜と立派に戦ったって」

「分かった。必ずそうしよう」

「ああ……」

 安心したような顔をして黄色髪の男は死んだ。


 男は竜の眼と大剣をもって王の元へと帰った。死んだ男の国の王のところへ。

 黄色の髪の男の死はでかい葬式で送られた。竜を退治した英雄の家族として、黄色髪の男の家族も国から手厚く支援されることとなった。

 男は自分の国の王の元へは戻らなかった。なぜか? それは男自身わからなかった。

 ただあれほど輝いて思えた強さの称号がいまはひどく霞んで見えた。

 その後男がどうなったのか。時も歴史もなにも答えない。ただこの国のいろんな所に強い男の伝説がいまも残っているという事実だけである。

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