ただ、眠りたいだけ

夜猫子

第1話

 私はリンゴの木が植えられたときに産まれて、その実ができるころ、舟を漕ぎ出した。

 かたん、ことん、小さな音をたてながら、ゆっくりと舟を漕ぐ。ちゃぷちゃぷと、波が舟や櫂にあたる音を聞きながら、あたりを見渡す。空と水が果てしなく広がっていて、ここには視界を遮るものは何一つない。何も見えなくて、ため息がでる。すると、遠くでパシャンという音がして、魚が跳ねるのが見えた。

「よお」

側を見ると、一匹の魚がこちらを見上げていた。私は手を止めて、

「こんにちは」

なんて、挨拶をしてみる。魚は水面に顔だけを出して、私の挨拶には答えず、言った。

「どこに行くんだい?」

私は振り返りながら遠くを指さす。その先はまだ何も見えないが、方角はだいたい決まっているのだった。魚も私の指さした方角をじっと見つめて、そしてまたこちらを向いて、訊いた。

「どこまで行くんだい?」

私は魚の不思議な質問に、すぐには答えられなかった。けれど、悩むものがないことに気づいて、そのまま答えた。

「目的地に、辿り着くまで」

「本当に?」

「だって、それ以外にはないはずだよ?目指さない理由もないし」

「そうかい。それはご苦労なことで」

魚はそう言うと、舟の後ろにまわり、手伝ってやるよと舟を押してくれた。私はお礼を言って、一緒に舟を進めた。私は気になっていたことを、魚に訊いてみることにした。

「どうして、手伝ってくれるの?」

「ただの気まぐれさ」

「さっき、飛び上がった魚がいたみたいだけど、あの魚はどうしたの?」

「ああ、そんなことを気にするなんて、キミも物好きだね。あいつはただ、眠り方を忘れたってんで、群れを離れて残ることにしたのさ。一緒に行くことが、できないからね。さっきのは、その別れの挨拶さ」

「群れ?ならあなたはここに一匹でいていいの?」

「オレは、群れるのはキライさ。それに今は、一匹になりたい気分なんだ」

魚は、どこか悲しそうに、そう言った。けれど、ひと呼吸おいて今度は明るく言った。

「別に、寄り道が悪いわけじゃないと思っているんだ。だから、みんなは嫌がるけど、あいつみたいに、留まることも、やっぱり悪いことじゃないと思うのさ」

「そうなの?」

「そういうもんだよ」

そうしてしばらくは一緒に同じ方角を目指した。どのくらいの時間が経ったのか、魚は舟を離れて横に並び、言った。

「一緒に行くのはここまでだ」

「群れに戻るの?」

「さて?気の向くままに進むだけさ。さようなら、物好きなキミ。オレとしては、キミの望むままに舟を進めることを、祈っているよ」

 そうして背を向けて、その鮮やかな尾びれで水面を叩くと、深く深く水中に潜っていった。白い光がきらきらと水面を反射するなか、魚の影は段々と黒く、小さくなっていった。魚の後ろ姿を見送って、わたしはまた漕ぎ出す。

キシッキシッという舟の小さな軋み音を聞きながら、ただのんびりと舟を漕いでいると、くわりとあくびがでそうになる。慌てて嚙み殺して、頭を振った。すると影が降ってきて、見上げれば頭上には雲たちがいた。

「退屈そうね、おチビさん」

「こんにちは。退屈そうに見えた?」

「ええ、とっても」

「とてもとてもつまらなさそうよ」

クスクスと笑いながら、雲たちは手を伸ばして繋いだり離したりしながら踊っている。そのせいで、目がちかちかしてくるから、たまらなくなって下を向いて、雲たちに聞こえるように大きな声で言った。

「ねえ、お願いだから、ずっとそこにいて、動かないでよ!まぶしいよ!」

「あら、そんなの嫌よ。黒く焼けてしまうじゃない」

「せっかくの白いドレスが焦げちゃう」

「それに、ずっとそこになんて、それこそ無理な話よ」

また影が降って来て、私は雲たちを見上げた。さっきよりも雲たちは大きくなっていた。

「そこに居続けたいと思っても、本当に留まれはしないわ。だって、みーんな、風と波が攫ってしまうのだから」

「でも、魚が一匹、留まるって聞いたよ?」

「見てたわ」

「知ってる知ってる。眠り方を忘れたんでしょ?」

「それなら、留まれるわね」

「どうして?」

また、雲たちは手を離して、私は目を細めた。ふわふわのスカートの裾を輝かせながら、雲たちは不思議そうにする私を笑いながら言った。

「だって、息を止めるってことだからよ。そうすれば、風にも波にも流されず、深く潜れるようになるわ」

「そうしたら、どうなるの?」

「さあ?」

「知らないわ?」

「だって、やったことがないんですもの」

雲たちはお互いの顔を見合わせながら言った。誰も知らないらしいようだった。

「それに、魚と私たちじゃ、やり方が違うの」

「私たちの場合、成長の仕方を忘れた時だから」

「そうしたら、繋がりが途切れて流されなくなるのよ」

そう言いながら、スカートを広げ、手を伸ばし、雲たちは段々と大きくなっていく。手を繋いで、時々手を離して、ゆらゆらと踊る。その様子はとても楽しそうで、私は櫂を置いて、舟に寝転がりながら雲たちのダンスを眺めた。雲たちの言う通り、私が櫂を動かさなくても、舟は風と波に流されて進んでいく。それとも、流されているのは私だったりして。そんなことを思って、つい笑ってしまった。ゆっくりと、目を閉じてみるとあくびで口が開いた。退屈していたのかと思っていたけど、なんとなく違うと思った。本当は何を思っていたのか、思い出そうとしてみる。すると突然、頬を叩くような突風が吹いて、慌てて目を開ける。雲たちは逃げろ逃げろと、どこか楽しげな悲鳴を上げながらどこかに行ってしまう。よく見なくてもそこには太陽がいて、鬱陶しそうに雲たちの背中を見つめて、そして私を射すように睨みつける。

「おい、起きろ。寝ているんじゃない」

私は太陽を睨み返そうとしたけど、結局目を細めるくらいしかできなくて、仕方なく起き上がった。ふわりとまたあくびがでて、太陽はさらに不機嫌そうになって言った。

「随分とだるそうだな。俺様の輝いている間に寝ようなんて、そんなふざけたことは許さないからな」

つられて私も不機嫌な気持ちになってしまう。せっかく雲たちのダンスで楽しくなってきていたのに。まっすぐに睨み返せないのを悔しく思いながらも、手で目元に影をつくりながら、せめて下を向かないようにして言ってやった。

「いったい、どうして?」

「そんなの、貴様がまだ目的地に辿り着いていないからだ。それまで、寝てはいけない」

「なぜ?」

「貴様が、風を切り裂いて、波を引き裂いて舟を漕ぎだした時点で、貴様には目的地を目指す責任がある」

「望んで進んでいるんじゃない!」

「漕ぎ出すことを決めたのは貴様の意思だったはずだ。無駄な問答をする気はない、さっさと行け!」

私は何も言い返せなくなって、櫂を掴んだ。そうして結局、私は風と波を傷つけながら、舟を漕ぎ始めた。痛くもないのに涙がこぼれる。悔しいのか、恥ずかしいのか、それとも腹立たしいのかは分からないけど、とにかくもやもやする気持ちがあって歯を食いしばった。

 それからしばらく舟を進めるも、いっこうに目的地は見えてこない。正しく進めているのか、そもそも本当に『目的地』なんてあるのか分からなくて不安になってくる。周りには目印なんてなく、道標だってありはしない。ここは結局、茫漠たる海原で、ただ漠然と『目的地』に向かって進んできたにすぎないのかもしれない。ここまで何もなくて、今でも何も見えなくて、この先には何もないのだとしたら?心の中で、不安が燻りはじめる。焦りにも似た気持ちがもくもくと煙を上げて、胸を圧迫して喉を締め付ける。どれだけ考えてはダメだと頭を振っても、その煙は出て行ってはくれない。落ち着こうと大きくため息を吐いてみても、それでも出て行かない。かわりに出てくるのはまたしても涙で、私はこんなにも弱かったのかと思えばさらに出てくるものだから、燻っていたものに火が付いたように目元が熱くなる。せめて頭を冷やそうと、大きく息を吸って水に勢いよく頭を突っ込んだ。ゴボゴボという音に混じってギシッという音が聞こえた気がした。激しく動いたせいで、舟が傷んだのかもしれない。多少はすっきりすると思ったのに、結局気持ちが鎮火する様子はなくて、ただ苦しくなるばかりだった。突然誰かに後ろ襟を掴まれて水から引き上げられた。

「お前は阿呆か!鳥の真似もできんくせに、水に頭を突っ込むんじゃない‼」

「・・・梟?」

目に入ってくるしょっぱい水どもをまばたきでなんとか追い払いながら振り返ってみれば、そこには後ろ襟を掴んで何とか飛んでいる梟がいた。

「おい、もう大丈夫か?僕も疲れるんだ、放していいかい?」

私が頷くと、梟はゆっくりと襟を掴んでいた足を離した。私は舟にちゃんと座り直して、目の前にとまった梟にお礼を言った。

「まったくだ。いいから早く顔を拭きなさい、だいぶみっともない顔してるぞ」

私は言われた通り、襟を持ち上げて顔を拭った。それで息を吐くと、少し煙が出て行ったみたいで、なんとなく胸が軽くなっていた。私が落ち着いたのを見計らってか、梟が口を開いた。

「それで?さっきは何をしてたんだ?」

「・・・あはは、私にもよくわからない・・・・・」

上手く言葉にできなくて、私は後頭部を掻きながら苦笑した。梟はそんな私をみて、やれやれと言うようにため息を吐いた。なんとなく気まずくなって、梟に訊ねた。

「ねえ、梟はどうしてここにいるの?」

「そりゃあ、ずっと飛び続けるのは疲れるからだよ。空から舟が見えて、休ませてもらおうと思ったら、お前があんなことをしているから。焦ったよ」

「それは・・・ごめんなさい」

「いいよ。大丈夫なら、それでいいんだから。・・・なにかあったのかい?僕で良ければ、話を聞くけど」

私は、なんて言ったらいいのか分からなくて、口を開けたり閉じたりしながら言葉を探した。そんな私を、梟はただ黙って待っていてくれた。

 煙は相変わらず煙のままで、突然綿菓子のようにかたちをもってはくれない。それでも、さっきまでの出来事を振り返りながら言葉にして吐き出す。

「えっと、梟はずっと空を飛んでたんだよね?」

「ああ、そうだよ」

「あのさ、考えたことない?今まで何もなかったなら、この先も、何も、ないんじゃ、ない、かって・・・」

「おいおい、泣きそうになるなよ」

「ご、ごめん・・・」

やれやれと、梟は頭を軽く振ったあと、首を傾げて言った。

「それじゃあ、仮になかったとして、お前はどうなんだ?」

「・・・・・・・わからない」

「だろうな。僕もわからん」

「えっ!?」

「当たり前だ。あるって言われてるだけのもののために、ずっと飛んでいるんだから。はじめっから本当にあるって知ってたら、もっと上手い方法を考えているさ。いつかは素晴らしい景色が見える、だから諦めるな、なんて言うやつもいたけど、僕には理解できないね」

梟は首をくるりと回して、おどけたように言った。

「どうして?」

「だって、そいつと僕は違うからさ。もちろん、お前ともね」

そう言うと、梟は首を反回転させて戻しながら続けた。

「お前が落ち込んでいたのも、太陽が怒ったからなんだろうけど、それだって太陽の性格上、思いやってのことなんだぜ?太陽は、口下手だからな」

「なんで知ってるの⁉」

「雲たちとすれ違ってな。寝るなって言われたんだろ?」

「うん・・・」

梟は笑って言った。

「別に、休むなとか、止まるなとかは言ってないんだ。ただ、お前は雲に付き合ってただけだろ?それを寝てると誤解しただけだったはずだ」

「寝るのは、悪いことなの?」

「いいや。ただ流されながら寝るのは、太陽にとっては良くないことらしいぜ?そのまま眠ってしまうかもしれないからな。あの魚は優しすぎたから忘れてしまったらしいが、お前までそうはなってほしくないんだろ」

「・・・・・本当に、何でも知ってるんだね」

「知ろうと思えば、なんだって知れるさ。知りたいことも、知りたくないことも、知らなくてもいいことも。知ろうと思えば、さ」

それに、と梟は飛び上がり、私の肩の上にとまって言った。

「たしかにここには何もない。見渡す限り、ないって言えばない」

「? どういう意味?」

梟は首を回して周りを見渡しながら言った。

「そもそも何もありはしないのさ。だから、お前が『ある』を決めるんだ。はじめっから、そうだったはずだ。太陽が言いたいのも、きっとこんな感じだ」

「!」

「お前の辿り着く場所は、そこで何をするかは、お前が決めていいんだよ」

そう言うと、梟は私の中の煙を掴むようにふわりと飛び上がる。

「さて、お前も大丈夫そうだから、僕はもう行くよ」

「うん、ありがとう」

「お前の望むものが見つけられますように」

それじゃあと、梟は音もなく飛んでいく。やがて梟の姿が黒くなり、小さくなって見えなくなったころ、私は櫂を掴んだ。そうして、ゆっくりと漕ぎ出す。ギシギシという音だけは、なんだか気になるけど、それでも水の跳ねる音ともにステップを刻めるように、私は舟を進めていく。

 櫂を動かしながら、私は周りを見渡した。水を見つめる。水はどこまでも透き通るような青で、見透かしたように私を映している。空を見上げた。空はどこまでも抜けるような明るい青で、私は落ちてしまいそうだ。どこまでもどこまでも、私は青に飲み込まれていきそうだった。けれど、見渡した先にあるのは水平線で、私は水と空の境界線で舟を漕いでいるのが分かる。大丈夫、私は極端には行けない。だから安心して舟を進ませることができるんだ。水平線は、よく見れば大きな丸を描いているようで、ここが無限であることを思い出させる。ギシリギシリという音が、さっきよりも少しうるさくなっていて、そういえば、ここには永遠はなかったと気づかせる。

 私は私に問いかける。

どこまで行こうか。これがきっと、魚の言いたかったこと。

いつまで続けようか。これが、きっと梟の言いたかったこと。

それは、私が決めるべきこと。きっとこれが、雲と太陽が示していたこと。

 私は櫂を握りしめる。目指していた目的地よりも、もっといいものが見られる、そんな予感がした。方角は変えず、ただゆっくりと進んでいく。その場所まで、あともう少し。


「見つけた」

辿り着いた場所にあったのは、たった一つ。太陽が空と水の向こう側で眠りにつく、その瞬間だ。真っ白い衣を脱いだ太陽は、赤い衣を身につけて、薄いヴェールを引き摺って向こう側に歩いていく。そのヴェールは空や水だけでなく私にも覆い被さって、私たちを暖かく染め上げた。さっきまで、寝るなと冷たく怒鳴りつけてきたくせに、なんて思って笑みと共にため息がこぼれた。魚たちは微睡みはじめ、雲たちはまた大きくなった。この場所こそ、私の『目的地』だ。私は櫂を手放して、舟に寝転がる。空では、月が一つ一つのろうそくに明かりを灯していた。その様子はとても穏やかで、だからか抑えようもなく、大きなあくびがでた。うつら、うつら、舟を漕ぐ。ああそうだ、私はただ、眠りたかっただけなんだ。

「眠ってしまうの?」

私の枕元で静かに訊ねる月は、どこか寂しげだった。そっくりな太陽とは似ても似つかない様子に、私はつい笑ってしまいながら、月に答えた。

「うん。私はずっとそのつもりだったのに、忘れてたんだ。『目的地』のことばっかり考えてた。そんなのはきっかけで、関係なくなっていくのにね。みんなが、教えてくれたんだ」

「その『目的地』のことを最初に教えてくれた人たちのことは、もういいの?」

「うん、もういい。リンゴの木が植えられたときから、きっと。それに、私がもういいって、そう決めたから」

そう、と月は静かにつぶやいて、そして私の顔を覗き込んで言った。

「それなら、ひとつ、あなたの望みを叶えてあげる。どうする?」

私はすぐには答えられなかった。けれど、もう誰も私に寝るなとは言わないことに気づいた。それなら、悩むものもない。

「それじゃあ、『おはよう』は他のみんなにあげるから、『おやすみ』だけ、私にちょうだい」

そう言った私に月は少し驚いたようだったけど、優しく微笑みながら私の額にキスをしてくれた。

「わかった。 おやすみ 」


「おやすみ」

やっと眠れた。

眠りについた私は、夢を見た。何もないところを、ゆらゆらと揺蕩って、落ちて、沈んでいく。私は膝を抱えて、大きな赤ちゃんみたいだった。そこはどこか暖かくて、けれどもどこまでも暗かった。何も見えないけれど、何かが私を守っているのは分かった。しだいに守られているような安心感は取り囲まれるような閉塞感と混ざり合って、私を襲ってきた。けれども恐怖を感じることはなくて、それは夢を見る前にもあったものだと気づいた。

「まるで、夢現って感じだ」

「もちろん。ここは夢で、現実でもあるからね」

振り返ると、そこには獏がいた。その周りでは、羊たちが楽しげに泳いでいる。獏はほう、とため息を一つ吐いて、

「おかえり」

と言った。私は慌てて、流されてしまわないように姿勢を正しながら言った。

「ただいま」

「そんなに慌てなくても、支えてやるから大丈夫だよ」

後ろを振り返ると、いつの間にか鸛がいて、白い翼で背中を支えてくれた。

「ありがとう!」

「どういたしまして。ところで、どうだった?楽しかったかい?」

鸛の質問に、ここでもやっぱりすぐには答えられなかった。いろいろなことがあった。楽しかったと、即答できないくらいに。それでも、楽しくなかったわけじゃない。だから私は、私らしく、笑っていった。

「そうかも」

「なんだか曖昧だね」

羊たちは不思議そうに言った。私は確かにって言いながら、続けた。

「でも、舟を漕ぐのって案外、疲れるものなんだよ」

なんて言ったら、羊たちは愉快そうに笑った。獏も笑いながら、ほう、とまたため息を吐いた。私は気になって訊いた。

「どうして、ため息ばかり吐いているの?なにか心配なことでもあるの?」

「まさか。君の幸せのためだよ」

獏はまた、ほう、とため息を吐きながら続けた。

「ボクは、君が吐き出した幸せを食べてお腹いっぱいになれたから、今度は君に幸せをあげるのさ」

獏はため息を一つ吐くたびに、段々と小さくなっているようだった。私は不安になって、消えてしまうのかと訊いた。すると獏は私を安心させるように、ゆっくりと首を横に振りながら言った。

「それこそ、まさかだよ。大丈夫、ずっと一緒にいるよ」

獏のその笑顔をみて、私はつられて嬉しくなる。すると羊たちが、ぷかぷかと漂いながら集まってくる。

「さあ、時間だよ」「時間だ」「時間だ!」「起きる時間だ」

「眠ったなら、今度は目覚めなきゃ」

羊たちは楽しそうに泳ぎながら、歌うように言った。

「でも、どうやったらいいの?ここには、太陽もいない」

「大丈夫、ちゃんといるよ」

羊たちは、ずっと上を指し示す。その先は相変わらず何も見えないけど、確かに懐かしい暖かさを感じた。けれども、まだ不安は消せなくて、

「でも、私はここには、落ちて沈んできたんだよ。浮かび上がり方が分からない」

「大丈夫、ここは確かに深いけど、ちゃんと上がれるよ。鸛が送ってくれるから」

「おう!任せて」

「安心して。空も水もそこにある。わたしたちは、ちゃーんと、その事を知ってるから」

私が一番気になっていたことを、羊たちは笑顔で教えてくれた。だから私もつられて笑顔になる。すると鸛が私の脚を掬い上げて、掴まってと言った。私が鸛の長い首に抱き着くと、鸛は大きく翼を広げて飛び上がった。獏や羊たちもそれに続く。みんな一緒に、上を目指した。

「ねえ、目が覚めたら何がしたい?」

鸛が訊いてきた。私は、うーんと考えた。いっぱい、やりたいことがあった。でも、やっぱり最初に思いつくのは、ひとつだ。

「舟が、漕ぎたいな」

「どうして?」

「だって、魚と雲と梟と、太陽と月に出会って、みんなにも出会えたから。また、会いたいんだ」

「いいね、すっごくいいね!」「楽しみだね‼」

羊たちはくるくると嬉しそうに踊って、私たちはみんなで笑い合った。

水と、空と、境界線まで、まだ少し。その間に、私はみんなといろんな話をした。これまでのことも、これからのことも、それからそれからって、たくさんのことを話したんだ。


 そうして、私は目が覚めた。

そこではみんなが、「おはよう」って笑っていた。

だから私も

「おはよう」って泣いたんだ。

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ただ、眠りたいだけ 夜猫子 @yoruninetai

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