第3話
「レイナお嬢様。カモミールのお茶をどうぞ。スコーンに、お嬢様のお好きなアカシアの蜂蜜もございます」
「……ティディ」
自室に戻りベッドに座ってうなだれていると、ノックのあと部屋に入ってきた執事がお茶の用意を始めました。
彼の名前はトリッドダスト。
なんというか、不思議な響きの名前の方です。
ペールゴールドというのでしょうか、淡い色合いの金髪に、透き通るようなアイスブルーの瞳。顔立ちはすっと整っています。
彼の瞳の色合いに、なぜか私はたまに懐かしさのようなものを感じるときがあったりします。もう随分と長い付き合いなので、ただの気のせいだとは思いますが……。
背はアード様より少し高め。
でも慣れているので、彼を怖いとは感じません。……そもそも近くから睨んで見下ろしたりしてきませんし。
私は彼を、愛称でティディと呼んでいます。
「やはり、わたくしもご一緒するべきでした。アード様がいらっしゃったとき、嫌な予感はしていたのです」
ティディは私をチラリと見やり、すぐにテーブルに視線を戻してそう言いました。
ポットからカップに注がれたお茶が、か細い湯気を立ち昇らせます。
アード様と会っているときその場にいなかった彼ですが、私の顔を一目見ただけで、おおよその事情を把握してしまったようでした。
いえ、もしかすると、部屋を訪れる前にはわかっていたのかもしれません。
丸テーブルの上に用意されたお茶菓子を見て、私はそう気づきます。
「……そんなこと、言わないで」
ティディに席を外すよう命じたのは私です。
アード様は彼が私の傍に控えていると、酷く不機嫌になってしまいますから。
「いいえ、言わせていただきます。わたくしが間違っておりました。いかにお嬢様のご命令でも、あの方と二人っきりになどさせるべきではなかったのです。わたくしめの役割は、レイナお嬢様をお守りすることなのですから」
「彼は、アード様は、私の婚約者なのですよ……?」
「それでもです。それにわたくしめはあの方が、お嬢様の婚約者として相応しいとは思えません」
ティディはぴしゃりと言い放ちました。
その声音の冷たさに、思わず私は両手で顔を覆い隠します。
情けない姿だと自分でもわかっておりますが、自室に戻り一旦は緊張が途切れていたせいで、一気に感情が噴き出したのです。
「あなたまで、この婚約は間違いだって私に言うの……? 私が無理やり押しつけられた婚約者だから、彼に相応しくないって……」
「……そう、アード様は仰られたのですね。申し訳ございません。わたくしめの配慮が欠けておりました。お嬢様は傷ついたばかりでしたのに」
「っ、いいえ。もう、慣れたわ。ごめんなさい、違うの。八つ当たりする、つもりじゃ……」
「痛くないと目を逸らしても、傷は確かにそこにあります。そしてその心の傷は、放っておくと知らない間に膿んでしまうものなのです。傷を隠すかさぶたの下で。……わたくしめには、化膿しないよう消毒薬ぐらいのものしか処方できませんが、さあ、どうぞ。席にいらして」
涙を隠す私の前に、ティディがしゃがみ込み慮るようにそう言いました。
少しだけ顔を上げて窺うと、彼は丸テーブルを片手で示し、微かに頷いてみせます。
「……消毒薬って、カモミールのお茶のこと?」
「もちろんですとも。それと甘い、アカシアの蜂蜜がけのスコーンです」
「嫌なことがあるたびにそうやって”消毒”していたら、私はあっという間に太ってしまうわ」
「でしたら夕食は控え目にしましょう。それにご心配なく。このお屋敷のメイド長は、コルセットを締めるのが大の得意だと言っておりました。なんでも昔、着ていたドレスを破いてしまって、それから何度も練習したとか」
「言いつけるわよ」
「ご自由に。ご本人から許可をいただいた発言ですので」
抜け目ないわね。と呟いてから、私は目元を拭ってベッドから腰を上げました。
お茶の用意の済んだテーブルへ向かうと、甘い匂いが漂ってきます。
少しだけ、憂鬱だった心が”消毒”されたような気がしました。
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