どうしてわたくしを捨てたのですか?

伊澄かなで

第1話

 どうしてわたくしを捨てたのですか?

 あんなにも、大事にしてくださっていたではございませんか。


 どこへ行くにも一緒でした。

 気に入っていただけていると思っていました。


 これから先も、あなた様と同じ景色を見ていくのだと、不肖にもそう考えておりました。


 あなた様を愛していました。

 いいえ、今でも愛しております。

 恨んでなんておりません。


 ただ、もはや空っぽであるはずの、胸の奥が痛いのです。

 これが「悲しい」ということなのですか?

 わたくしに「心」なんてあるのでしょうか?


 ああ、こんな愚かなわたくしの、願いがもしも叶うのでしたら。


 抱きしめてくださらなくてもよいのです。

 微笑みかけてくださらなくてもよいのです。


 ただ、あなた様の人生を、いつか大人になり、幸せになるその姿を。

 あなた様の傍らで、静かに見守っていたかったのです。


   *   *   *


 この私、レイナ・ソファンには大事な友達がおりました。

 少しだけ黄色がかった茶色い毛並みの、可愛いクマのぬいぐるみ。


 けれどもそのぬいぐるみとは、私が十歳の誕生日にお別れしてしまいました。


 ……私が悪いのです。


 親同士の決めた婚約者であるアード様に怒られて、自分から「もういらない」とメイドに言ってしまったのです。


 私の十歳の誕生日。

 その日も私は、いつものように大事なぬいぐるみを抱き抱え、誕生日会に出席しました。

 

 皆が集まり、談笑し、少し疲れてきた私はソファに座って、隣にぬいぐるみを置きました。

 すると突然、足早に近寄ってきたアード様がぬいぐるみをソファから叩き落としたのです。


「なにをするのっ!?」


 私は驚き、ぬいぐるみを拾い上げ、アード様をキッと睨みつけました。

 アード様は大きく目を見開いて、なぜかソファに座ろうとしていた腰を上げ、私を睨み返して言いました。


「お前はっ! もう十歳になったんだろ! だから祝ってやってるんじゃないか! それなのに、いつまでもそんな物を抱き抱えてるなんて、恥ずかしいと思わないのか!?」


「彼は私の友達よ。おじい様がくださったの。それからずっと一緒にいるのよ。なのに、なんでそんな酷いことを言うの?」


「友達!? そのおもちゃが!? 頭がおかしいのか!? お前は俺と結婚するんだろ? お父様たちがそう言ってたぞ! そうしたら、結婚式にまでそのおもちゃを持ってくるのか? ほかのみんなに笑われちゃうよ!! 俺は嫌だぞ!!」


「えっ……」


 アード様との婚約は、五歳の頃から決められていたことです。

 なので私はお父様とお母様から、「だから彼とはちゃんと仲良くするんだよ」と何度も言い聞かされておりました。


 彼を好きかどうかとか、結婚とはどういったものなのかとか。

 まだ十歳の私には、正直よくわかりません。


 でも私の中で、”大きくなったらアード様と結婚をする。だから仲良くしなくちゃいけない”という事柄だけは、決定されたものでした。


 私は悩み、ぬいぐるみを見つめます。

 結婚式とは、きっと誕生日会よりもずっと大きな催しです。


 ……その日には、大事な彼を部屋に置いていかなくてはならないのでしょうか?


 抱き抱えたぬいぐるみに視線を落とす私を睨んで、アード様はさらに言いました。


「次に会うときまでに、そのおもちゃは捨てとけよ! でないとお父様たちに、頭のおかしい女とは結婚できないって言いつけるからな!!」


「っ!?」


 ――その日の夜。誕生日会が終わったあと。


 私は屋敷のメイドを呼んで、ぬいぐるみを処分するようにと伝え、それを彼女に手渡しました。

 それからベッドに潜り込み、声を殺して泣きました。

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