神風とおるの青春

誠義

始まりは神風と共に

  柔らかくて暖かい心地良い感覚に包まれ、夢か現実か分からない夢現ゆめうつつの中、声が聞こえてくる。

「…ちゃん、起きて。」

優しくて甘い、癒される声に少しずつ意識がはっきりしてくる。

「朝だよ。お兄ちゃん、起きて。」

俺はゆっくりと目を開け、寝惚けた顔を声の主に向け、微笑む。

「いつも起こしてくれてありがとうね、のんちゃん。」

手を彼女に近づけ、その四角い体に触れる。

冷たくて、電子的で、まるで無機物みたいだ。

手に取ったスマホからは「朝だよ。お兄ちゃん、起きて。」と優しく、何度も呼び掛けてくれるのんちゃんが映っている。

俺は微笑みかけてくれるのんちゃんに笑顔を向けたまま、アラームを切った。

のんちゃんとは俺の好きなアニメに登場する主人公の妹でおっとり、のんびりしている癒し系の女の子だ。

俺はそのアニメの目覚ましアプリで毎朝、起きている。

二度寝してしまうほどの癒されてしまう声は目覚ましとしてどうなのかという悩みはあるものの、俺は毎朝のんちゃんに起こしてもらえるという素晴らしい朝を迎えられ、それと同時に悲しい現実を突き付けられている。

「のんちゃん、どうして夢の中でしか会えないんだ!」

俺の朝は心からの叫びと共に始まるのだった。

「…さて、起きるか。」

 冬が終わり、春が訪れ始めた4月のある日、朝はまだ少し空気が冷たくて、寝起きの体は強張ってしまう。

カーテンの隙間からは朝日が差し込み、薄暗い部屋を淡く照らしていて、俺はベッド横のカーテンを開けた。

カーテンが開いていくのと同時に暖かい光が窓から差し込み、寝惚けた顔が照らされる。

気持ちの良い光に包まれ、大きな伸びをするとスイッチが入ったかのように、目が覚めたのが感じ取れた。

窓の外には雲一つない青空と緑豊かな自然が広がり、都会では感じられなかったのんびりとした落ち着く光景がそこにはあった。

「今日からここでの暮らしが始まるんだな。」

高校の入学を機に東京から両親の実家つまり祖父母の家で暮らすことにした俺は、昨日からこっちに引っ越してきたのだ。

小学校に入る前ぐらいまではここで暮らしていたらしいが、ほとんど覚えていない。

だけど、幼い頃の記憶は朧げなのに不思議と懐かしいと感じてしまう。

視線を部屋の中に戻し、扉横の壁に掛けてある真新しい制服に向ける。

「入学式か。面倒だけど約束だし、ちゃんとしないとな。」

布団から抜け出し、新しい制服に着替える。

と言っても、中学と同じ学ランなので新しさはあまり感じられない。

準備しておいた鞄を手に取り、俺は部屋を出て、階段を降りる。

古い家ということもあり、階段を一段一段下りるたびに木の軋む音が静かな空間に響き渡る。

階段を下りたすぐそばに洗面所があり、俺は身支度を整え、リビングへ向かった。

机の上にはカップ麺やらが入った袋が無造作に置かれ、俺はその中から朝ごはんのために買っておいたパンを手に取り、鞄に入れる。

時計を見ると時刻は7時半、ちょうど良い時間だ。

家を出る前に、2人に挨拶だけしておこう。

板張りの廊下を進み、祖父母の部屋へ入ると畳の匂いと線香の匂いがした。

俺は仏壇の前に座り、手を合わせる。

「ばあちゃん、じいちゃん、行ってきます。」

写真の中の2人は優しく、微笑み掛けてくれている。

挨拶を終え、立ち上がり玄関へ向かう。

忘れ物がないか確認し、玄関の引き戸を開ける。

鍵を掛ける時、ふと表札に目が止まる。

「神風か。改めて珍しい名字だよな。っと、早く行かないと。」

今思うと、これから起きる事件はこの名字のせいだったのかもしれない。


 ここ風ノ宮町は一言で言うと田舎だ。

しかし、田舎すぎるということではなく、スーパーもコンビニもあり、生活には困らないため不便というわけではない。

しかし、遊園地や水族館、映画館や大きなショッピングモールのような娯楽を楽しむ施設は車か電車で遠出するしかないため、年頃の高校生には少し退屈なところだ。

だが、今まで東京で窮屈な暮らしをしていた俺にとっては、知り合いがいないこの環境が良いと両親は考えてくれたのだろう。

祖父母が亡くなり、誰もいなくなったあの家に住むことを許してくれた。

もちろん、高校生がいきなり一人暮らしなんて許してくれるわけもなく、しばらくしたら両親もこちらに来るという期間限定の一人暮らしだ。

新しい町、新しい暮らしが始まったわけだが、高校まで歩いて30分以上掛かり、遠いとは覚悟していたが、結構しんどい。

「これはバス通学か自転車にした方がいいな。それにこの坂…。」

俺がこれから通う風ノ宮高校は山を少し登ったところにあるため、そこまで長い坂道が続いていて、最後に気力をへし折ってくる。

溜め息が漏れた瞬間、風に乗って一枚のピンク色の花びらが目の前を通り過ぎる。

「花?」

ピンク色の花びらは一枚だけではなく、何枚もひらひらと舞っていて、落ちた花びらで坂がピンク色に染まっていた。

ここからは見えないが上の方から風に乗って舞い落ちてきているようだった。

桜が舞う光景に目を奪われながら一歩、一歩と坂を登っていくと声が聞こえてきて、それがだんだん大きくなっていく。

木々に覆われ、木のトンネルのようになった道を進むと道が開け、薄暗かった視界が光に包まれる。

同時に暖かな風が通り抜け、その光景に目を奪われる。

そこには桜に包まれた風ノ宮高校があり、校舎を中心に山を覆うように桜が咲き誇っており、目の前に広がる全てが桜色に染まる程だ。

風が吹くたびに、桜の花びらが舞い上がり、桜色が空に広がっていく。

「すげー。」その光景を目に映しながら声が漏れる。

「ま、しばらく歩きでもいいか。」

楽しみを見つけ、自然と笑みがこぼれた。


 入学式が始まり、ざわついていた空気は静まり返っている。

壇上には70か80歳ぐらいの男性が立っていて、長々と話している。

いつも思うことだが、校長先生の話はなぜここまで長いのか分からない。

多分、大人にとって大事なことを言っているんだろうが、俺にはそれがよく分からなかった。

もっと子供にも分かりやすいような表現で言ってくれれば伝わりやすいと思うんだけど、などと考えていると校長先生の話が終わったらしく、新入生は一斉に立ち上がり、礼をする。

「続きまして、新入生挨拶。新入生代表、姫野美織ひめのみおり。」

「はい。」

進行役の先生に名前を呼ばれた生徒は立ち上がり、壇上に上がっていく。

それと同時に周りが少し騒がしくなる。

「あの子が噂の?」「うん、全教科満点だったらしいよ。」

「スゲー美人じゃん。」「めっちゃ、かわいぃ。羨ましいなぁ。」

多分、その声は彼女にも聞こえているはずなのに、そんなことは一切気にも止めていないように、同級生とは思えない程に堂々としていた。

白く綺麗な足が一歩踏み出すたびに腰まである長く綺麗な黒髪が揺れている。

透き通るような白い肌に切長な瞳、スラっとした鼻筋、整った顔立ちは本当に綺麗で凛としていると言う言葉がよく似合っている。

だけど、声色を変えず、淡々と話す彼女の姿は冷たく感じられ、心を閉ざしているような寂しい印象を受けた。

まるで…まるで感情のない人形を見ているような、異質で異常な気分になる。


 入学式が終わり、新入生はそれぞれのクラス分かれ、担任になる先生が来るのを待っていた。

教室はあちこちから賑やかな話し声が聞こえ、さきほどの入学式での静けさが嘘のようだ。

まだ入学式が終わったばかりだというのに、ほとんどの生徒が誰かしらと楽しげに他愛のない話に花を咲かせている。

俺はというと、暖かい日差しと窓から入ってくる気持ちのいい風に吹かれながら、1人席に着いて外を眺めていた。

周りの話を聞いていると、風ノ宮高校は中学からそのまま入学する生徒がほとんどで、顔馴染みや友達ばかりになり、学年が一つ上がるくらいの感覚なのだそうだ。

だが、俺は引っ越してきたのでこの町に友達も知り合いもいない。

こうなることは当然の結果だった。

俺には気軽に話しかけれるようなコミュ力も知り合いを紹介してくれる友達もいない。

そして、友達が欲しいと言うわけでもない。

1人の方が気が楽なのだ。

周りから見れば寂しい奴だと思われるのだろうか。

そういえば、生徒代表のあの子も…。

彼女が、壇上から降りる際、目が合ったのが思い出される。

もしかしたら同じクラスになったりして。

その時、教室に「おーい、席に着けよ。」と声が響き、俺はそちらに顔を向ける。

生徒名簿を持ったスーツ姿の長身の女性がそこにはいた。

「皆さん、初めまして。今日からこのクラスの担任を務めます、雪白彼方ゆきしろかなたと言います。よろしくお願いします。」

俺は自分の目を疑った。

光を反射する雪のように輝く銀髪は腰まであり、ユニコーンやペガサスの尾を思わせ、日本人離れした顔立ちと宝石のような碧眼。

スラっと伸びる手足と服の上からでも分かる引き締まった肉体。

そして、男なら誰もが目を奪われるであろう大きなバスト!

生徒代表のあの子も相当美人だったが、雪白先生は美人という枠組みを逸脱しているように感じる。

まさにアニメから出てきたような現実離れした……ホントに人間だよな?

あまりにも凝視していたためか先生と目が合ってしまう。

その瞬間、雪白先生はニヤッと笑い、俺は嫌な予感がして背筋が冷たくなる。

「よしお前、自己紹介してみろ。」

…マジかよ。よりにもよって、俺からとか…こういうの苦手なんだよなぁ。

渋々立ち上がり、教室を見回す。

三十人近くいるだろうか、全員がこちらを見ている。

周りが全員敵に見えてきて気分が悪くなる。

そして、何の恨みがあるのか意地の悪い笑みを浮かべ、腕を組みながらこちらを楽しそうに見つめる雪白彼方。

ちくしょう…この人には今後、極力関わらないでおこう。

「おい、頑張れ。」

俺の後ろの席の男子が声を掛けてくる。

戸惑いつつも、軽く頷き、深呼吸をする。

緊張がなくなるわけではないが、マシにはなる。

「えーっと、は、初めまして、神風かみかぜとおると言います。東京からこちらに引っ越してきたばかりです。あー、えーっと、とりあえずよろしくお願いします。」

完全に失敗した。

声は裏返り、どもり気味で最後にいくほど小声になってしまった。

汗が一気に溢れ出し、服が冷たい。

沈黙の中、席に着く。

初めに聞こえたのは、雪白先生の拍手だった。

「はい、神風ありがとうな。よし、じゃ出席番号順に自己紹介していくから、名前呼ばれたら立ち上がるように。」

雪白先生は名前を呼び、自己紹介が進んでいくが、全く頭に入ってこない。

何のために俺を最初にしたんだ。

もしかして、凝視していたからか。胸を、胸を凝視していたからなのか?

まぁ、考えていてもしょうがない。

本人に聞かなければ真相は分からないが、あの人には極力関わらないと決めたし、もう忘れよう。

「以上で、全員終わりかな。一人休んでいたが、これから一年間同じクラスだし、仲良くするようにな。」

物思いにふけっている内に、いつの間にか自己紹介が終わっていたらしい。

「それじゃ、今日はこれで終わるが、明日から授業始まるから忘れ物と遅刻に注意するように。

特に一番大事なことだが弁当を忘れないようにな。学食で食べる奴はお金な。

それでは以上で終わります。じゃ、気を付けて帰るように。」

昼前に終わり、ワイワイと楽しげに教室を出ていく生徒を見ながら、ため息を吐く。

「さっきは大変だったな。」

後ろから声を掛けられ、俺は振り向いた。

自己紹介の時、頑張れと応援してくれた男子だった。

「あ、あぁ。さっきはありがとうな。」

「いいって、それより神風だっけ?俺は桐生龍之助きりゅうりゅうのすけってんだ、よろしくな。」

「あぁ、よろしく。」

さっきは座ってて分からなかったが、デカい。

180センチはある身長とスポーツをやっているのか体格もがっちりとしている。

目の前に立たれると、威圧感がすごい。

それにかなりイケメンだ。

美人にイケメンに、この学校はどうなってんだ。

などと考えていると、桐生はこちらに顔を近づけてきて、ある方向を指差しながら、小声になる。

「なぁ、神風って先生と知り合いなのか?」

見てはいけないと思いながらも、桐生の指の先に目をやる。

そこには笑顔で手招きしている雪白彼方の姿があった。

もう隠す気にもならないので、俺は見るからに嫌そうな顔を彼女に向ける。

「神風、ちょっといいか。」そんなことは気にしていないようだ。

「遠慮します。」即断即決、関わるべきではない。いや、関わりたくない。

「………ちょっといいか?」

ダメみたいですね、これは。

拒否権はないと言った感じだ。本当に教師なのかこの人は。

「じゃ、俺は帰るわ。また明日な。」

桐生は手を振りながら、逃げるように教室を後にする。

俺はその姿を見送り、ため息を一つする。

「何だどうした。悩みでもあるのか?先生が聞いてやるぞ。」

「今、目の前に直面しているところです。で、用ってなんですか?」

「ん?いやぁ、少し言っておかないといけないことがあってな。」

「はぁ。」

俺だけに言って置きたいこと?初対面で何を言うことがあるんだ。

靴の音を響かせながら俺の目の前に立つと、肩にポンと手を置く。

さっきまでの態度が嘘のように真剣な表情で青い瞳が俺を見つめている。

「何かあったら、私のところに来い。いいな?」

「それはどういう…。」

「今は気にしなくて良いよ。でも、忘れないでくれ。

それじゃ気を付けて帰るように。」

雪白先生は俺に笑いかけると、教室を出て行く。

出て行く際に、優雅な感じにかっこよく手を振ったのが印象的だ。

少し男っぽい口調とかっこつけた感じは、あれは天然なのか、わざとなのか、今度聞いてみよう。

「さて、俺も帰るとするか。」

 校内には生徒がほとんど残っていないのか人の気配はなく、鳥の声や風の音が聞こえるほどに静かだった。

廊下を歩くと靴音が寂しく響き、ここに一人取り残されたように感じてしまう。

雪白先生の言葉が思い出される。

『何かあったら、私のところに来い。』か。一体どう言う意味だ。

考え事をしながら教室棟から外へ出ると、やはり生徒の姿はなかった。

本当に全員帰ったんだな。などと考えていると、校舎の2階を繋ぐ渡り廊下に人の姿が見えた。

髪が長く、綺麗な白い足が俺の目を惹きつける。

ん?あれって、生徒代表の姫野美織か。

彼女も俺に気付いたのか目線を下に向ける。

目が合い、時間が一瞬、止まったように感じる。

こういう時、何か話しかけた方がいいのか?

まぁ、挨拶ぐらいはしておいた方がいいだろうと口を開いた瞬間、それは突然、訪れた。

普通ならただの自然現象で気にする必要はないことで、通り過ぎるだけだった。

特に強かったわけではないが、その時は運悪く吹き上がっただけなんだ。

俺が悪いわけじゃない、絶対に。でも、目が離せなかった。

風が起こした奇跡の瞬間を、スカートがめくり上がり、パンツが拝める最高の瞬間を。

そして、俺は真面目そうな女子が紫のレースの付いた黒の大人っぽいパンツを履いているエロさから目が離せなかった。

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