第3話:本当のことをお伝えしますね

 魚料理と聞いて、私は「ああ、そういえば……」と思い出しました。

 なんとなく、何があったのか予想できた気がします。


「クリス様はわざわざ、ご自分の領地からは遠い海の魚を取り寄せてくださいましてぇ……」

「――それがどうした? ミア、きみはあのとき喜んでいたじゃないか」


 うつむけていた顔を上げ、低い声で唸るように言うクリス様。


 恨みがましいその視線にミア嬢は「うっ」と一度は言葉を詰まらせながらも、言い出したからには途中でやめることもできないらしく、私を盾にしながら話を続けます。


「クリス様はわたしに、こんなに珍しくて美味い魚を食べたことはないだろう。男爵家の令嬢なんかには、一生かかってもこんなものは食べられないんだぞって……」

「そうは言っていないだろうが! ただ、我がミューア家の力があるからこそ、遠い海の魚も取り寄せることができるのだと事実を述べていただけだ!!」

「言ってるのと同じですぅ! というかそれ、いったい何が違うんですかぁ!」


 クリス様が再び声を荒げると、ミア嬢も負けじとそれに言い返しました。……どうやら彼女は私を盾にすることによって、気が大きくなっている様子に見えます。でも別に私、あなたの味方ではありませんのよ? 浮気の被害者ですし。


 まあそれはともかくとして、クリス様はそもそも間違えております。


「確か、モートン家の初代は漁港の生まれでしたわね?」

「っ!? そうなんですぅ! レイチェル様、よくご存じですねぇ!!」

「あら。それくらいのこと、知っていてしかるべきですわ」


 何しろ私のいるアーウィン家は、代々が商人の家系です。

 さらに今代では商売の幅を広げ、この国のワイン、食肉、服飾など、様々な流通を担うまでになりました。


 そうした功績を称えられ男爵の地位を授かったのですから、商売相手となる他家のことを把握しているのは当然です。


 というか『真実の愛』とやらがあるらしいお二人こそ、互いのことを知らなすぎではありません? 貴族の結婚って、家同士の結びつきこそ重要ですのよ?


「もしかして他の方々のことも、ぜんぶ知っているんですかぁ?」

「全部というのは言いすぎですけれど、ここにいる皆様は私が商いをする可能性のあるお相手ですもの。できるだけ知ろうとは心がけておりますわよ」

「わぁ! それでわたしの家のことも? さすがはアーウィン家のレイチェル様ですぅ!」


 ミア嬢は私が彼女の家を知っていたことが嬉しいのか、目を輝かせてそうおべっかを言いました。でも、あなたその『アーウィン家のレイチェル様』から婚約者を奪いましたのよ? 理解しておりまして?


「……急に何の話をしている。初代の男爵がどうしたというのだ」


 まるで不可解なものでも見るかのように、訝しげな顔をしてクリス様が呟きました。


 妙に”男爵”を強調した苛立たしげな口調といい、やはりお馬鹿でいらっしゃいますのね。『真実の愛』とやらのお相手である、ミア嬢の家の話をしているのでしょうに。


「あら? モートンさんのご先祖様に何か含むところがおありでして?」

「ッ、いや、そうではなくてだな!」

「それに私は〝漁港の生まれ〟とお伝えしましたのに、まだその意味がお分かりになりませんの?」


 尋ねると、クリス様は「むっ」と呻いて眉間に皺を寄せました。まさか本当に分からないのかしら?


 私が不思議に思っていると、同じ感想を抱いたのかミア嬢が説明を始めます。


「わたしの家は漁港の近くにある港町に別邸を持っていて、毎年一度は家族でそこに行くんですぅ。ひいひいひいおじい様の遺言で、モートン家のお墓はそこの教会にあるんですよぉ。丘の上にある教会で、そこから眺める海の景色がとっても素敵なんですぅ!」

「結構有名な港町と教会ですわね。なら当然、新鮮な魚なんて」

「食べ慣れてますよぉ。……最初にクリス様が魚料理を出してくれたときは、それを知っていて私の好みに合わせてくれたのかなって嬉しかったんですけどぉ、すぐに違うって分かりましたしぃ」

「お前ごときの家では食べられないだろう。食べたことがないだろうと自慢されて不快だったと」

「……まあ、はい」


 ミア嬢が頷くと、周囲から「はぁ……」と溜息の唱和が漏れ聞こえました。そちらを見ると、やじ馬をしている他のご令嬢方が蔑んだ視線をクリス様に送っています。殿方の多くは呆れたような表情でした。


「さっきから何なんだ! それならそうとそのときに言えばいいだろう! それをわざわざこんな場所で! ミア、きみはこの俺に恥をかかせて楽しいのか!!」

「ッ、言えるわけないじゃないですかぁ! あーんなドヤ顔で、あーんなに偉そうにしてるクリス様にぃッ!!」


 またもや拳を振り上げ怒鳴り散らすクリス様。ミア嬢も私を盾に怒鳴り返します。

 尋ねておいてなんですけれど、もはや社交界を騒がす見世物となってしまっているので、そろそろお開きにしたいものです。


「それにそれにッ! この人の酷いところはまだ他にもあるんですよぉ! レイチェルお姉様、聞いてください!!」

「何だとッ! お前のほうこそ、頭の足りない喋り方をなおせと俺が何度も遠回しに注意してやっているのに、全然なおる気配がないじゃないかッ!」

「あああッ! やっぱりあれってそうゆう意味だったんですねぇ! サイテーですっ! クリス様はサイテーですぅっ!!」


 私を間に挟んだまま、声を張り上げ言い争いを始めてしまうお二方。

 とても耳障りですし、ついでに言わせていただくと私はミア嬢の姉ではありません。懐かれても迷惑ですよ。


 私は緩やかにかぶりを振って、ぱんぱんと手を打ち鳴らしました。


「お二人とも落ち着きなさいな。皆様のご迷惑になっているようですし、お話の続きはまたの機会にお願いしますわ。とりあえず、クリス様と私との婚約は白紙ということでよろしいですのね?」

「ぐッ、む、そうだ! お前のような女など必要ない! 俺には真実の、しん、じつの……」


 振り上げていた拳を下ろし、クリス様は戸惑ったような目をミア嬢へと向けました。

 彼の心情など私には知ったことではありませんので、淡々と伝えるべき事柄だけを口にします。


「では私たちの新居として購入したお屋敷には、もう勝手に立ち入らないようお願いします。あれはアーウィン家が購入したものですからね。ドレスと首飾りについては仕方がないので、せんべつとして差し上げますわ」

「え……それって、どういう意味ですか……?」


 背後から疑問の声が漏れたので、私は振り返りミア嬢へ本当のことを教えて差し上げることにしました。ずっと知らないまま彼に感謝させられ続けるのは、やっぱり可哀そうに思えますので。


「そのドレスと首飾りは私のお下がりですのよ。最近はもう着なくなった物なのですけれど、いつの間にかクリス様が持ち出してしまっていたようですわね」


 貴族の殿方が女性にドレスを送るとなれば、普通は送り相手の体に合わせて仕立て屋に一から作らせます。


 ですが通常の男爵家ならばお金がないこともありますし、使用人に与える習慣もあり、古着はわりと身近なものです。微妙にサイズの合っていない完成品を送られても、彼女は疑問に思わなかったのかもしれません。


 ミア嬢は自分の着ている群青色のドレスを見下ろすと、続いて私へ視線を戻し、「……へ?」ときょとんとした顔で呟きました。

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