episode3:山登り

-1-


 金棒の一撃によりアインの頭は潰れた。顔の右半分がえぐられたような見た目になった。吹っ飛んだ彼は鉄のフェンスに打ちつけられ、そのまま死体のように地べたに転がっている。それはタイガの真横であった。


「タイガさま!」


 通路キャットウォークに降り立ったセリカは金棒を置いて、すぐにタイガのもとへ駆けた。


「おケガはありませんか」

「んー!」タイガは涙目だ。

「いま、お口のガムテープを剥がしますからね」


 びり、と音がして、タイガは口まわりに激痛を覚えた。


「っ……! はぁ」そして深く呼吸をして、「セリカ、来てくれてありがとう」

「当然です」セリカはつづいて、タイガの手を拘束している縄を解こうとする。額に汗を光らせながら、「少々、暴れすぎましたけど」


 しかしタイガの表情は安心しきれていない。セリカのすぐ後ろには、腹から白い血を流したアンドロイド——〇七型がまだ稼働しているのだ。


「ねぇセリカ」タイガは不安そうな声で、「そこのアンドロイド、まだ動いているよ」

「わかっています、大丈夫ですから」セリカは縄を解き終えた。「動けますか? タイガさま」


 うん……、と頼りない声で言って、タイガは立ち上がった。ストレスが相当に蓄積されていたのだろう。両足で立った瞬間にフラリと立ちくらみを覚えた。


 しかしセリカの声と雰囲気のおかげで、緊張感がいくらか緩和かんわされた。とても浅い呼吸をしていたのだと、ようやく実感した。


「ゆっくりでいいですから」セリカはタイガの肩を支えて、「迎えがもうすぐ来ます。歩けますか?」


 大丈夫だよ、とタイガは自分の足で歩くことを伝えた。セリカは金棒のそばに戻った。刺だらけのそれにやさしく手を触れる。すると金棒はみるみる縮んでいった。最後にはペンダントに変化して、金色のチェーンは再び主人あるじの首に、その身を預けた。


「おい、メイド……」力尽きたのか、女の子座りでうずくまる〇七型。彼はセリカの背中に向かって、「どうして手を抜いた」

「手を抜いた。なんのことでしょう?」


 首にかけたペンダントの位置を整えながら、セリカが反応する。その視線は〇七型を見ていない。話す気はあるが、相手にしていない。できれば無視したい。そんな様子だ。


「他のアンドロイドのことだ。あんたの技量をもってすれば、なにも腕や足を狙わなくても、もっと派手にことができたはずだ。そんな大振りの金棒で、相手の四肢しし一本を狙いつづける……。逆にやりにくい戦いになったはずだろう。どうして無力化にこだわった?」


 すぐに答えることをせず、セリカはタイガのもとへ歩いた。冷えた手を握って、去る方向へと足を向ける。


「答えない……、か」

「わたくしが叩きたいと思ったのは、そこにいる金髪だけです」


 〇七型に背を向けながら、セリカが言った。タイガはおどおどと怯えている。


「アンドロイドはどれも敵……。人間の考えはそうだろう?」

「たしかにそうです。わたくしなんかは、とくにそうでしょうね」

「どういう意味だ」〇七型は片手で腹をおさえながら、どうにか立ち上がる。「よほどの私怨しえんでもあるのか?」

「私怨だなんて。そんな優しいもので済むのでしょうか」


 〇七型は沈黙した。タイガも、初耳だよと言いたげな顔をしている。セリカの過去になにがあったのか。これはいつか聞いておかなくてはいけない。そう思った。


「セリカ……」タイガは手を強く握った。「もし過去になにかあったのなら話してくれ。すぐじゃなくてもいい。おまえの辛さは、僕の辛さだ」


 その握力、声色、優しさ。どれもこれもソクラそのものだった。セリカは驚いた顔をして、タイガを見つめ返した。心がぎゅっとなった。こんなに精悍せいかんな姿は見たことがない。


 なにか、酸っぱい香りがする。

 初恋? 

 いや、違う。

 これは……。

 アンモニア臭だ。


「タイガさま」セリカはタイガの股間に目をやった。「やってしまったのですね……。おかわいそうに……」

「ああ」タイガは開き直った顔で、「すっきりしている。とても開放的な気分だ」


 拐われたことによる過剰な緊張状態から開放され、なにかのが抜けてしまったのだろう。そしていま、タイガの精神は崩壊寸前にある。


 二日連続での誘拐を経験したのだ。ある程度は仕方がない。しかしその甲斐あってか、いまの彼は非常に凛々しく、男前である。精神が良い方向に壊れたのだろう。


「おうちに帰ったら、すぐに着替えましょうね……」

「ああ」タイガは凛とした顔で、「イチゴ柄のパンツはやめておこう。今日はパインの気分だ。セリカ、用意してくれるか?」

「もちろんです……。パインでもメロンでもなんでも用意します」


 セリカは半ば呆れながら、今度こそ立ち去ろうとする。


 すると〇七型が動きだした。なにを思ったか、通路キャットウォークから建屋一階に飛び降りたのだ。手首から黒いケーブルを伸ばして、〇六型の首筋を触りはじめた。


「偽の信号でアインを騙すために、過負荷オーバーロードまで起こしていたのか。熱かっただろうに……」〇七型は悲しそうな顔で、「こいつらを全員運ぶことはできない。それなら……」

「あれは一体……」


 タイガはフェンスのそばに走り、建屋一階を見下ろした。その手に引かれるようにセリカもつづく。


「ねえ、あなた!」セリカが声を投げる。「もうすぐ警察なりがここへ来ます、捕まって破棄されますよ!?」


 セリカも、タイガも、薄々感じていた。このアンドロイドはアインに従うしかなかった。ただ単にそれだけであり、決して悪い個体ではないのだろう、と。


「みんなの生きた証をさ。バックアップしておく。おれのストレージに」


 アンドロイドは耳の後ろ——東洋医学においての完骨というツボがある部分——にしこりがある。普段は人工皮膚の中に隠れていて視認はできないが、そのしこりは重要なである。


 そこ強く押すと後頸部こうけいぶがぱっくりと開く。カブトムシが飛び立つ瞬間、上翅じょうしを開くのとおなじように。そうするとメンテナンス用の特殊USBポートが顔を見せてくれる。


 〇七型は、それぞれの個体の首にケーブルを挿しては抜いて、挿しては抜いて……。繰り返している。


「あんたたちは知らないだろう」バックアップ作業をつづけながら、〇七型は声を投げる。「アンドロイドだって、悪いやつばかりじゃない。社会から追放され、疎外そがいされながらも。影の中で必死に生きているやつらが何体もいる。それをどうか忘れないでくれ」


 寝耳ねみみに水、晴天の霹靂へきれき、どう表現したものか。

 とかく衝撃を受ける言葉であった。


「それでも……」セリカは口を濁しながら、「あなたがそのバックアップを使って、なにをするのか。こちらには理解しかねます」

「残しておくんだ。時代の変化が訪れるまで。彼らに日の目があたる、その日まで」


 時代の変化——。どうも〇七型の思考が読めない。むしろその言動に人間である自分たちの方が圧倒されている。そんな気さえする。


「時代の変化って……」タイガが言いかけたとき、遠くからサイレンの音が聞こえた。警察のそれだ。「それはどうゆう?」


 回路ショートで即死した一体を除く、瀕死のアンドロイド二九体。それら全ての記憶データを自らのストレージに収めた〇七型は、ひどい頭痛に襲われた。ケーブルを手首の中に戻したとたんに、頭を抱えてうずくまってしまう。


 ストレージがぎりぎりまで圧迫されたこと。

 腹から白い血液が流れつづけていること。

 それらが体調不良の原因であろう。


「が、ががっ、あぎ、あぐあ……」


 処理しきれていないような、不安定な音声を〇七型は喉から鳴らし。それでもどうにかその場に立っている。


「ひ、つつ、ひと、と、アン、ドロり、ドロイどノキョウゾン……」


 人間らしさなど見る影もないような、声。ただの音。ノイズだらけの機械音声。それでも、必死に訴えかけるがあった。サイレンの音が迫り、〇七型は建屋の奥へ消えた。ばりん、と遠くでガラスの割れる音がした。窓から逃げたのだろう。


「人とアンドロイドの共存?」

「セリカ……」タイガは哀愁あいしゅうを滲ませて、「なんだか、に落ちない」

「はい……。言いたいことはわかります」

「本当の悪はどこにいる?」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る