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 なにげに尋ねたタイガであった。が、空気がぱきりと凍ったのを肌で感じた。フィリアの表情が変わっている。悲しみとも、怒りともつかない。憎悪に震えているようにも。絶望のふちに足をかけているようにも見える。


「解雇されたよ。アンドロイドが来てすぐに。私はそのときはじめて、恨みみたいなものを覚えた。さっきとは言っていることが違ってごめんね。いまはもう、なんとも思っていないから。普通に言えるんだけど……」

「それは……」タイガは慎重な口調で、「アンドロイドを雇った、お父さまに対して?」

「そうだったかもしれない。お姉ちゃんだけはいなくならないで。他はみんなアンドロイドでいいから。お願い、お願い……」


 子供時代を思い起こし語るフィリアの心臓が強い脈をうった。その振動が、タイガの胸にも響くようであった。強ばった空気で、息が苦しくなりそうなほど。


「あのとき一生分の涙を流した気がする。それからどんなに感動的な映画を見ても、涙が出なくなった。お姉ちゃんがいなくなったことより、辛いことなんて。このさきない。子供心にそう思っていたから」

「僕も……、おなじだ」タイガは地面を見つめる。「フィリアさんとおなじだよ」


 どうして? という顔で。

 フィリアは、タイガを見つめた。


「涙が流れないんだ」

「それは……、もしかして」

「お母さんが死んだ、あの日以来。僕も泣いたことがない」



 背の高い時計が差している時間は四時四十五分。タイガは時計に目をやって、そのまま視線をフィリアに流した。


「フィリアさん、時間大丈夫?」


 問われたフィリアは腕時計に目をやった。


「うん、あと一五分なら。きっと執事がそこらへんに車を止めて、もう待ってる。時間になったら来ると思う。お嬢さま門限になりました、とか言って」


 くすくすと笑った、可愛らしい笑顔。

 タイガの胸をぎゅっと締めつける。


「アンドロイドが急に暴れだした、あの日……」フィリアは思い返すように、「世界になにが起きたんだろうね。私の家も大変だったな。おかしくなった二体のアンドロイドを、お父さまのボディーガードが倒してくれたから。まだよかったけど」


 ふとタイガは矛盾むじゅんに気づいた。スタンホープ家に置かれていたアンドロイドはたしか、三台だったはずだ。二台では数が合わない。フィリアが間違えたのだろうか。


「たしか、三台のアンドロイド……。だったよね?」

「そう」フィリアに間違えている様子はない。むしろ、わかった上で話しをしているようだ。「一台は逃げたの」


 逃げた——。自分とは関係のないことのはず。だが、タイガの胸に得体のしれないが生じた。


「今日、僕、レオナルドと話していたんだけど」タイガは昼休みのことを回想しつつ、「逃げたアンドロイドは、ビスクドールが製造していた全台数のうちの一〇パーセントみたいで。そのうちの二パーセントは、どうやらもう動いていないらしいんだ」


 詳しいね、とフィリアは相槌をうつ。

 調べたのはレオナルドなんだ、とタイガは言い添えた。


「その二パーセントに、うちにいたアンドロイドも入っているのかな」フィリアは遠い空を見ながら、「あの一台が最初におかしくなったの。残る二台のアンドロイドに命令を下して。それから窓を割って。どこかへ消えたのよ」

「命令……?」タイガは思案する表情で、「アンドロイドが、アンドロイドに命令を出した……。どんなことを命じたの?」


 言いにくそうな表情で、フィリアは口を結んだ。


「ああ、ごめん」タイガは慌てて、「言いたくなければ、言わなくて大丈夫だよ」

「ううん、大丈夫。とてもショックな言葉だったから。いまでも鮮明に覚えてて。ちょっと思い出しちゃった」


 そしてフィリアはうつろな表情とともに、


 ——人間は殺せ。

 ——この世から消せ。

 ——ひとり残らず。



「そう言った本人が、どうしてまっさきに逃げてしまったのか……。しばらくは、そればっかり考えていたの。でも、それから何年も経っているでしょう? きっとアンドロイドの数は年々減っているし。いろんな想像をしたけれど。AIがウイルスみたいなものに犯されていたのかなぁって。私はそう思っちゃって」


 時間が過ぎるほどに、フィリアにとってもの件は過去のものとなっていった。


「それで、遠まわりの質問になっちゃったけど……」フィリアは手に持ったペットボトルの飲み口を見つめながら、「タイガくんを拐ったアンドロイド。二〇代くらいのイケメンで、短髪の金髪。やたら背が高い個体……。とかじゃなかった?」


 それに関しては即答できる。


「ううん、全然違うよ」タイガは首を横に振った。「どちらかというと山賊とか、そんな感じだった。そんなにスマートな感じじゃなかったよ。金髪のアンドロイドはひとりもいなかったし」

「そっか……。じゃあ、違うんだね」


 公園はだんだんと静かになってゆく。

 またね、明日ね、と子供たちの挨拶が聞こえる。


「タイガくんを拐ったアンドロイドたちは、どうなったの?」

「メイドのセリカが倒してくれたよ」

「すご……。なんだか有名だよね。イヴァンツデールのセリカさん。ものすごい化け物だ、とかで……」


 化け物……。この言葉がひっかかったのか、今度はタイガの方が神妙な顔つきになってしまった。


「あ、ごめん」フィリアは察して、「世間ではそう言われている、ってだけで。私はそんな風に思っていないよ? そもそもみんなだって風のうわさ程度にしか信じていないから。トラクターを素手で運んだ、とか。ありえないもの。あはは……」


 それがありえてしまう。


「どうやって救ってくれたの? 格闘術?」

「いや、金棒で……」

「金棒?」

「うん」

「日本の鬼が持っている、あれ?」

「そう、それ……」


 てん、てん、てん、とはまさにこれだろうか。沈黙が流れた。


「またいつか、詳しく聞かせてくれる?」

「う、うん。セリカが話しても良いって言ったらでも、よければ……」

「もちろん。というか直接聞きたいかも。今度イヴァンツさんち、遊びに行こうかな」

「遊びに!?」


 タイガはタイヤから転げ落ちた。

 ひっくり返った亀のように仰向けに。

 両足はまだタイヤの上に残っている。


「わぁ、大丈夫?」

「だ、大丈夫です……。わぁ!」


 そしてさらに驚いた。頭のすぐ真上にタキシード姿の男が立っているではないか。さながら枕元に現れた幽霊だ。いままで気配すらなかった。


「わっ!」後ろを振り返ったフィリアも声をあげた。それからすぐにむっとした顔で、「もう! いるならいるって言って! いつも足音立てないで来るんだから」


 突然に現れたのはスタンホープ家の執事。フィリアのお迎えだ。


「門限になりました、お嬢さま。お車はあちらです」

「わかった……」フィリアはタイヤから立ち上がり、「タイガくんごめんね。行かないと」

「あ、ああ」タイガも立ち上がった。「ごめんね、五時まで付き合ってもらっちゃった」

「いいの。こちらこそありがとう。今度、金棒のこと。よかったら聞かせて」


 華のような笑顔だ。この麗しさに何人の男がやられているのだろうか。何人の雄ミツバチが集ろうとしているのだろうか。しかしこの華は、遠い遠い、天の彼方で咲いている。ミツバチの小さな羽では、到底たどり着けない場所で咲いている。


 それでも、だとしても。華の蜜を舐めようとして、力一杯羽ばたいたミツバチはいた。


 そして、彼らは全員残らず玉砕されたのだ。

 フィリアの言う、ごめんなさい。この雷のようなひとことで。

 現実は無情である。

 淡い期待は、しないほうが身のためだ。


「車まで送るよ」


 フィリアを徹底的にガードしながら歩く執事。その彼の一〇歩後ろを、タイガの弱々しい足取りがつづいた。



 さすが名門スタン・ホープ家の愛車はちがう。メルセデス・ベンツの最上級セダンに乗りこむフィリアの様子も、なんら違和感がない。艶のある黒髪が、おなじ色のセダンの光沢に負けていないからだろう。傷ひとつ、くもりひとつ見たらない漆黒のボディは宝石のよう。やはりこの娘は手の届かないところにいる。高級車に馴染みのあるタイガでさえそう思うのだ。


「じゃあ、また明日。学校で」


 後部座席の窓を開いてフィリアが言った。濃いスモークが貼られた窓ガラスだった。それが下がるまでは、彼女の顔がまったく見えなかった。


「うん。今日はありがとう」タイガは胸もとで手を振った。「話せてよかった」

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