-9-
なにげに尋ねたタイガであった。が、空気がぱきりと凍ったのを肌で感じた。フィリアの表情が変わっている。悲しみとも、怒りともつかない。憎悪に震えているようにも。絶望の
「解雇されたよ。アンドロイドが来てすぐに。私はそのときはじめて、恨みみたいなものを覚えた。さっきとは言っていることが違ってごめんね。いまはもう、なんとも思っていないから。普通に言えるんだけど……」
「それは……」タイガは慎重な口調で、「アンドロイドを雇った、お父さまに対して?」
「そうだったかもしれない。お姉ちゃんだけはいなくならないで。他はみんなアンドロイドでいいから。お願い、お願い……」
子供時代を思い起こし語るフィリアの心臓が強い脈をうった。その振動が、タイガの胸にも響くようであった。強ばった空気で、息が苦しくなりそうなほど。
「あのとき一生分の涙を流した気がする。それからどんなに感動的な映画を見ても、涙が出なくなった。お姉ちゃんがいなくなったことより、辛いことなんて。このさきない。子供心にそう思っていたから」
「僕も……、おなじだ」タイガは地面を見つめる。「フィリアさんとおなじだよ」
どうして? という顔で。
フィリアは、タイガを見つめた。
「涙が流れないんだ」
「それは……、もしかして」
「お母さんが死んだ、あの日以来。僕も泣いたことがない」
背の高い時計が差している時間は四時四十五分。タイガは時計に目をやって、そのまま視線をフィリアに流した。
「フィリアさん、時間大丈夫?」
問われたフィリアは腕時計に目をやった。
「うん、あと一五分なら。きっと執事がそこらへんに車を止めて、もう待ってる。時間になったら来ると思う。お嬢さま門限になりました、とか言って」
くすくすと笑った、可愛らしい笑顔。
タイガの胸をぎゅっと締めつける。
「アンドロイドが急に暴れだした、あの日……」フィリアは思い返すように、「世界になにが起きたんだろうね。私の家も大変だったな。おかしくなった二体のアンドロイドを、お父さまのボディーガードが倒してくれたから。まだよかったけど」
ふとタイガは
「たしか、三台のアンドロイド……。だったよね?」
「そう」フィリアに間違えている様子はない。むしろ、わかった上で話しをしているようだ。「一台は逃げたの」
逃げた——。自分とは関係のないことのはず。だが、タイガの胸に得体のしれないざわつきが生じた。
「今日、僕、レオナルドと話していたんだけど」タイガは昼休みのことを回想しつつ、「逃げたアンドロイドは、ビスクドールが製造していた全台数のうちの一〇パーセントみたいで。そのうちの二パーセントは、どうやらもう動いていないらしいんだ」
詳しいね、とフィリアは相槌をうつ。
調べたのはレオナルドなんだ、とタイガは言い添えた。
「その二パーセントに、うちにいたアンドロイドも入っているのかな」フィリアは遠い空を見ながら、「あの一台が最初におかしくなったの。残る二台のアンドロイドに命令を下して。それから窓を割って。どこかへ消えたのよ」
「命令……?」タイガは思案する表情で、「アンドロイドが、アンドロイドに命令を出した……。どんなことを命じたの?」
言いにくそうな表情で、フィリアは口を結んだ。
「ああ、ごめん」タイガは慌てて、「言いたくなければ、言わなくて大丈夫だよ」
「ううん、大丈夫。とてもショックな言葉だったから。いまでも鮮明に覚えてて。ちょっと思い出しちゃった」
そしてフィリアはうつろな表情とともに、
——人間は殺せ。
——この世から消せ。
——ひとり残らず。
「そう言った本人が、どうしてまっさきに逃げてしまったのか……。しばらくは、そればっかり考えていたの。でも、それから何年も経っているでしょう? きっとアンドロイドの数は年々減っているし。いろんな想像をしたけれど。AIがウイルスみたいなものに犯されていたのかなぁって。私はそう思っちゃって」
時間が過ぎるほどに、フィリアにとっても消えたアンドロイドの件は過去のものとなっていった。
「それで、遠まわりの質問になっちゃったけど……」フィリアは手に持ったペットボトルの飲み口を見つめながら、「タイガくんを拐ったアンドロイド。二〇代くらいのイケメンで、短髪の金髪。やたら背が高い個体……。とかじゃなかった?」
それに関しては即答できる。
「ううん、全然違うよ」タイガは首を横に振った。「どちらかというと山賊とか、そんな感じだった。そんなにスマートな感じじゃなかったよ。金髪のアンドロイドはひとりもいなかったし」
「そっか……。じゃあ、違うんだね」
公園はだんだんと静かになってゆく。
またね、明日ね、と子供たちの挨拶が聞こえる。
「タイガくんを拐ったアンドロイドたちは、どうなったの?」
「メイドのセリカが倒してくれたよ」
「すご……。なんだか有名だよね。イヴァンツデールのセリカさん。ものすごい化け物だ、とかで……」
化け物……。この言葉がひっかかったのか、今度はタイガの方が神妙な顔つきになってしまった。
「あ、ごめん」フィリアは察して、「世間ではそう言われている、ってだけで。私はそんな風に思っていないよ? そもそもみんなだって風のうわさ程度にしか信じていないから。トラクターを素手で運んだ、とか。ありえないもの。あはは……」
それがありえてしまう。
「どうやって救ってくれたの? 格闘術?」
「いや、金棒で……」
「金棒?」
「うん」
「日本の鬼が持っている、あれ?」
「そう、それ……」
てん、てん、てん、とはまさにこれだろうか。沈黙が流れた。
「またいつか、詳しく聞かせてくれる?」
「う、うん。セリカが話しても良いって言ったらでも、よければ……」
「もちろん。というか直接聞きたいかも。今度イヴァンツさんち、遊びに行こうかな」
「遊びに!?」
タイガはタイヤから転げ落ちた。
ひっくり返った亀のように仰向けに。
両足はまだタイヤの上に残っている。
「わぁ、大丈夫?」
「だ、大丈夫です……。わぁ!」
そしてさらに驚いた。頭のすぐ真上にタキシード姿の男が立っているではないか。さながら枕元に現れた幽霊だ。いままで気配すらなかった。
「わっ!」後ろを振り返ったフィリアも声をあげた。それからすぐにむっとした顔で、「もう! いるならいるって言って! いつも足音立てないで来るんだから」
突然に現れたのはスタンホープ家の執事。フィリアのお迎えだ。
「門限になりました、お嬢さま。お車はあちらです」
「わかった……」フィリアはタイヤから立ち上がり、「タイガくんごめんね。行かないと」
「あ、ああ」タイガも立ち上がった。「ごめんね、五時まで付き合ってもらっちゃった」
「いいの。こちらこそありがとう。今度、金棒のこと。よかったら聞かせて」
華のような笑顔だ。この麗しさに何人の男がやられているのだろうか。何人の雄ミツバチが集ろうとしているのだろうか。しかしこの華は、遠い遠い、天の彼方で咲いている。ミツバチの小さな羽では、到底たどり着けない場所で咲いている。
それでも、だとしても。華の蜜を舐めようとして、力一杯羽ばたいたミツバチはいた。
そして、彼らは全員残らず玉砕されたのだ。
フィリアの言う、ごめんなさい。この雷のようなひとことで。
現実は無情である。
淡い期待は、しないほうが身のためだ。
「車まで送るよ」
フィリアを徹底的にガードしながら歩く執事。その彼の一〇歩後ろを、タイガの弱々しい足取りがつづいた。
さすが名門スタン・ホープ家の愛車はちがう。メルセデス・ベンツの最上級セダンに乗りこむフィリアの様子も、なんら違和感がない。艶のある黒髪が、おなじ色のセダンの光沢に負けていないからだろう。傷ひとつ、くもりひとつ見たらない漆黒のボディは宝石のよう。やはりこの娘は手の届かないところにいる。高級車に馴染みのあるタイガでさえそう思うのだ。
「じゃあ、また明日。学校で」
後部座席の窓を開いてフィリアが言った。濃いスモークが貼られた窓ガラスだった。それが下がるまでは、彼女の顔がまったく見えなかった。
「うん。今日はありがとう」タイガは胸もとで手を振った。「話せてよかった」
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