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声をかけられたタイガの頬は、条件反射で赤く染まった。ニヤついてはいけないと思い、口を閉じてはいるが、口角が言うことを聞かない。どうしても嬉しさが表情に滲み出てしまう。
「う、うん。拐われちゃった。恥ずかしながら……」
すこし浮ついた声とともに、タイガは振り返った。高校に入学してからずっと片思いをしている同級生。フィリア・スタンホープの可憐な瞳に吸いこまれそうになった。
肩まである黒のストレートヘア。綺麗に切り揃えられた前髪と、長いまつ毛、透明感のある白い肌。学校中の男が憧れている。
しかしほぼ全員が彼女と男女の仲になることを諦めている。なぜなら、スタンホープ家は名家中の名家。すでに結婚相手が決まっているのだと、誰しもが語っている。
それに加え。学校一のイケメンが告白を試みた結果、いとも容易く玉砕されたのも全男子生徒に衝撃を与えた。あいつで無理なら、やっぱり無理なんだよ、と。
「なにに拐われたの?」
フィリアが尋ねる。教室の中はふたりの会話とは無関係にざわついた雰囲気。いつもの放課後という感じだ。
「あ、えと……。人間ではない、なにかに……」
「人間ではない……?」フィリアは困った顔をした。
「ああ、ごめん。人間だよ、人間」
慌てている、というか。好きな女の子に突然話しかけられて動転している様子のタイガである。
「人間だけど、人間ではない……」
考えるフィリアの瞳が、まっすぐと相手の目を捉えた。まるで心をぐっ、と鷲掴みにされるような。透明で柔和、それでいて鋭い視線がタイガを見つめてくる。
「まさかアンドロイド……?」
「……誰にも、言わない?」
互いの声は自ずと小さくなる。
「ねぇ、ねぇ」フィリアは顔を近づけた。「あとで、帰り道にある公園。そこに来て?」
どきん、とタイガの心臓が揺れた。
「どう、して?」
緊張のあまり引きつった声だ。
「アンドロイドのこと知りたいの。どんな感じだったか、教えてくれない?」
興味津々な様子だ。
「わ、わかった。これから保健室にいるレオナルドに会って、それから行くよ。フィリアさん時間は大丈夫?」
「うん。今日は家庭教師、お休みだから」フィリアは顔を離して、「五時までなら大丈夫だよ。というか、レオナルドくんどうしたの? 午後から顔を見ていないけど。体調でも崩したの?」
「あ、彼は、その……」タイガは少々口ごもってから、「昼休みに、ちょっと心が折れる出来事があって。あはは……」
「そうなの?」フィリアは不思議そうな顔をした。「いつも明るいのに、メンタルがやられること、あるんだね」
本人にとってはかなりショックな出来事だったみたいだよ、と。タイガは苦笑いを交えつつ、フィリアに話した。
「もし遅くなるようなら、家まで送っていくよ」
「本当? ありがとう! って言いたいところだけど……。五時を過ぎたら、どうせ執事が迎えに来ちゃう。私、GPSで居場所を監視されているから……。自由に歩きまわれるのは五時までなの。小学生みたいでしょ」
軽く笑ってみせたフィリアであったが、その目だけは沈んでいるように見えた。すくなくとも、タイガにはそう見えた。
きっと名家に産まれたその呪縛のようなもの。そこに共感したのだろう。形は違えど、背負っているものの重さは、おそらく似ている。
「僕も、昨日は拐われていたのに。その晩にはいつもどおりのルーティンをこなしていた。そしていまも学校に来ている。拐われた翌日なのに。笑っちゃうよ」
——フィリア。
他の女子の声が背後から聞こえた。
「あ、ごめん。ちょっと待って!」フィリアはそちらに声を投げてから、タイガの方を向き直して、「ちょっと委員会のことがあるから。さきに公園に行って待っててくれる?」
「う、うん」タイガが応える。「もしあれなら校門で待ってようか?」
「それは……。大丈夫。公園の前まで、女子の友達と帰り道が一緒だから。そこまではその子と帰るから」
「そ、そっか……」
余計な提案だったかな、とタイガは後悔を覚えた。
「どこに座ればいいんだ?」
公園という場所をまともに訪れたのは、タイガにとって小学生以来かもしれない。まして、ちょっとしたデートのようなシチュエーションが待っている、という状況は経験がない。
「ブランコ……」
だめだ。子供が何人もいる。
「ベンチ……」
ワイシャツのネクタイを緩め、缶コーヒーをちびちびと啜りながら、やたらとため息をついている中年男性がひとりいる。六人は座れるであろう、長いベンチだ。ふたり分の座るスペースがないわけではない。が、あの
「ゾウさんのすべり台……」
三人の子供と、ふたりの母親らしき人がいる。いわゆるママ友同士なのか。子供に目をやりつつも、口と耳は世間話に夢中だ。
「あ、夫婦タイヤか……。子供のころ、レオナルドがそう呼んでいたっけ……」
地面に半分を埋めているタイヤがふたつ。
それが目に入った。周辺には誰もいない。
「あそこがいいかな」
ひとまず場所は決まった。
するとタイガは、あたりを大きく見渡しはじめた。
探しているのは、飲み物を売っている自販機だ。
「フィリアさんが来る前に、なにか買っておかないと」
公園に設置された一台の自販機の前に立ち、タイガは財布を取りだした。小銭を穴に入れる。かちゃり、かちゃり、と数枚の硬貨が飲みこまれてゆく。
赤く点灯したボタンのどれを押そうか。思案に困った。なにせ、フィリアの好みなどわからないのだ。ここで変な飲み物を買って、センスがない男として認定されるのも、寒いものがある。かといって無色透明の天然水を選ぶのも、無難すぎてつまらないだろう。
「うーん。コーラ……」
絶対にだめだ。ゲップを聞かせろと言っているようなものじゃないか。
「もう、なんでタピオカミルクティーとかないんだよ」タイガは自販機にメンチを切りはじめた。謎の行動である。「黙っていればお金をもらえると思って。相手はフィリアさんだぞ? 学校一の美人じゃないか。それなのにおまえってやつは。砂糖たっぷりのドリンクばっかり腹に蓄えて……。恥ずかしいとは思わないのか! もっとこう、グリーンティーとか。無糖の紅茶を置こうとか思わないのか! コーラをひとつ残らず買い占めて、それらを思いきり振ってから、おまえの中にまた戻してやってもいいんだぞ! そしたら、ここでコーラを買った子供たちは
思わず声が大きくなった。これからフィリアとふたりきりになる、その緊張が、タイガのなにかを狂わせてる。気づくと、すべり台の前にいるご婦人ふたりが、怪訝な顔でこちらを見ていた。
見てはいけない変人を発見してしまったような。非情なほどに冷たい視線。それがタイガの肌を容赦なく突き刺してくる。その甲斐あってか、タイガは冷静さをとり戻した。
「落ち着け、落ち着け……」
タイガはボタンを押した。がたん、と音を鳴らして。自動販売機が腹底に落としたのは、甘さ控えめのカフェオレ。三五〇ミリリットルの温かいペットボトルだった。
「ありがとう」タイヤに座るフィリアは、カフェオレを受け取った。「委員会の話が難しくってさぁ……。頭が疲れちゃった。ちょうど、甘いものが飲みたいと思っていたの」
「そっか、それはよかった」
心の中にいるちっちゃいタイガが、ガッツポーズをした。
「それでさ、聞いてもいい? 昨日のこと」
「あ、うん。もちろん」
「学校のみんなはね、そんなの嘘だろって言うの。拐われた翌日なのに、登校してくるわけないじゃんって。私は、そう思えなくて」
そう言ってフィリアは、ペットボトルの蓋を開けた。飲み口を唇に当てて、ごくり、ごくり……、と流しこむ。白肌の喉が波打つように動いた。タイガは思わず見つめてしまい——。
「ん?」フィリアは横目でタイガを見た。飲むのをやめて、「どうしたの? 私、なにか変?」
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