メイドなめんなよ
燈羽美空
第1巻
prologue
このまま死んでしまうのだ——。
イヴァンツデール家に産まれた
「金持ちだから、おまえは拐われたんだよ。おぼっちゃん」
土色の肌をした痩せ男が、顔を横にして言った。その声には
名家の子息であるタイガ・イヴァンツデールは、
「いま電話しましたぜぇ、親分!」
「おーし。どさかんと金を持ってくるだろうから、ぜーんぶいただく!」
タイガを拉致し、その身柄を盾に多額の身代金を要求してきたのは、五人の悪党どもだ。彼ら視線は甘く、汚く、
「金を運んできたやつは、どうするんですかい?」
「てめぇ、つまらねえこと訊くなあ……」
けらけらと笑っていやがる。悪党どもめイヴァンツデール家に手を出すな……! タイガは怒鳴りたかった。が、噛ませられた布のせいで口から出る音は、んー、んー!
「ふひゃひゃひゃ! みな殺しですね、親分……!」
「あったぼうよ……、あったぼうよおっ!」
さらに笑うか。まだ笑うか。この人でなし。
そうだ。こいつらは人じゃない。
ドアが開いた。この場所、地下室へと通じる金属製の重厚なドアが開いた。
いや、ぶち破られた。
「タイガさま? こちらですか?」
悪党全員は地下室の入り口を見た。カチッと時が止まったように視線が釘づけられた。そこに立っているのは、軍警察でも、FBIのエージェントでもない。ひとりの女性だ。
「なんだぁ?」悪党のひとりが目を凝らした。「メイドさん?」
逆光でシルエットになっている彼女は、たしかにメイドの格好をしていて、手にはなにか危ないものを持っていた。トゲがそこかしこに生えている、デカイ棒。
「あれは、金棒ですかい?」子分が首をかしげた。
「ああ、金棒だな」親分が低い声で応える。
「あんな細い躰で、あんなデカイもの振りまわすんですかい?」
「無理だろう。そりゃあ無理だろう」
「じゃあ、あれはプラスチックのおもちゃですね、親分!」
「それだ、よく言ったそうだよそれ、プラスチックだ!」
さきにも増した勢いで、悪党たちは笑い出した。腹をかかえて、身をよじり、背中を床につけてまで笑う者も。
それからなにかを思い出したようにメイドをにらみつけると、金を持ってきたのか、と親分が言った。そこで空気が変わった。殺気が漂いはじめた。悪党全員が腰のナイフを抜いた。
「いえ、お金は用意してございません」
メイドが答える。親分はニヤリと笑った。
「どうゆう了見だ」
「わたくしの
「おお……、おお……」
「こりゃ……」子分のひとりがよだれを
甘いにおいがした。フェロモンかなにか、むんむんとした汗のにおいが鼻をつく。だがどうしてだろう。こいつらは人間ではないのに、汗などかくのだろうか。
「さすが、ビスクドール社の製品はしっかりとお造りになられていますね。擬似汗腺からフェロモンを放出する機能まで搭載しているなんて」
メイドは足を一歩進めた。
「壊しがいがあります」
満面の笑みとともに、もう一言と、もう一歩。
「おまえをめちゃくちゃにして、傷ものになったかわいいお躰をイヴァンツデール家に送りかえす!」親分の目がぎらりと光った。己の欲に正直になろうとしている。「俺たちに逆らうことがどういうことなのか、思い知らせてやる。……かかれ、野郎どもぁ!」
親分は怒号をあげた。まずひとりの子分がナイフを振りかざし、駆けだし、メイドを切り裂こうとする。
鳴ったのは金属が潰れる音だ。子分の顔が粉々になって真っ白な液体が飛び散った。割れた
「ほ、本物の金棒かよ……」
子分のひとりが震えた声で言った。
「お、親分……」
おれも、あんな風に砕かれちまうんでしょうか。線の細いメイドがいとも容易く振りまわす金棒の一振りによって、脳みそをさらしてしまうんでしょうか……。子分がそう言わずとも、親分には伝わった。なぜなら親分も、まったくおなじことを考えていたからだ。
「こいつぁだめだ、銃を出せ、銃!」
親分が言うと、子分のひとりが後方に走った。壁に立てかけられていた上下二連猟銃を手に取る。銃口をメイドに向けじりじり……、と歩み寄る。
「どうだ、この距離で撃たれちゃ敵わねえだろお」
そしてまた、へらへらと全員が笑いだした。さすがに無理だ、逃げてくれ、俺のことはいいから……。そう伝えたいタイガのんー、んー! がメイドの耳に届いた。
「あらやだ。
「なんだとお……」
「じめじめとした地下室にそのまま保管するのは、よろしくありません。できれば除湿剤と一緒に、専用の箱に入れておくのがよろしいかと。そうすれば火薬も銃身も湿気ることはなく、必要なときに十分の機能を発揮してくれるかと思います。たとえば、山で鹿を狩るときや、畑に侵入した猪を追い払う場合などに」
そう言ってメイドはにこやかに微笑んだ。
空気を読めないのはどちらだろうか。彼女が言っていることは、この殺伐とした状況に対して、あまりに
「おもしれえ、おもしれえ!」親分は横隔膜を押さえながら、目を見開いた。「あんたの躰でこの銃が湿気っているか、試してやるまでさ。ほら、引くんだよ、引き金を!」
「もちろんでさあ!」
すっきりとしない銃声が鳴った。高音が心地よく抜ける音ではなかったから、やはり湿気っていたのだ。が、弾は発射された。人を殺めるのに十分な勢いで、散弾が撃たれた。
そしてそれは、全ての弾丸は、壁に穴を空けた。血まみれのメイドを期待していた悪党どもは肩を透かされた。——気づくとメイドは、銃を撃った悪党の眼前に立っているではないか。
「なん……、速っ……」
ぶうん、と金棒が風を切り、精密機械が潰れた音が鳴る。悪党のひとりが倒れた。畳み掛けるように風切音が鳴る。もうひとり。さらにまたひとり。あっというまに残るは親分のみとなった。タイガの頬に白い液体が付着した。人口の血液が飛び散っている。
「お、おい、おまえら、起きろって!」
おそれ慄いた親分は後ずさった。壁に背中があたり、そのひやりとした石壁の感触がしただけで、ひっ……、と情けない声を出してしまった。怯えている。金棒を持ったメイドに怯えている。
「わたくしのご主人さまを返してもらってよろしいでしょうか? いまから三〇分後に、家庭教師が一時間のレッスンをしますの。それが終わったら武道のお稽古。お風呂に入って、お食事をとり、明日の準備をして。一〇時にはベッドに入って消灯です。ね、タイガさま」
さすがにタイガの躰もふるえている。片手で金棒を振りまわし、悪党をぶっ壊してゆくメイドに対してなのか。名家の子息というだけで、誘拐されてしまったことへの恐怖なのか。もしくは、予定がきっちりと組まれたお屋敷生活に戻ることへの
「ふ、ふざけんな、金がいるんだよ……。おれたちには金がいるんだよおっ!」
親分のナイフは、メイドに向かって振り上げられたそのときに手から離れた。宙を舞い、床に刺さったナイフの傍ら。腹から火花を散らし、人口の内臓を露出した親分が倒れこむ。
勝負をつけたメイドは金棒を一旦、床に置いた。ちょっとお借りしますね、と言って、床に刺さったナイフを手に取ると、それを使ってタイガの拘束を解いた。慣れた手つきだった。
「ごめん……、拐われちゃった」
「ええ。拐われましたね」
「ごめん……、本当に」
「お金持ちですから。よくあることです。さあ、おうちに帰りましょう」
ちょっと待て、まだ、終わっちゃいない。悪党の親分はノイズの混じった音を発した。そしてうつ伏せながら片手をかざした。手のひらに黒い穴が見える。そこに熱が溜まり、赤くなり——
「タイガさま伏せて!」
赤い熱線が放たれ、尋常ならざる高温がメイドの髪をかすめた。毛先が焦げるにおい。綺麗に整えられていたボブの髪が崩れた。タイガは肩をふるわせ、後ろの壁を見た。石壁の一部が赤く溶けている。
「レーザーなど、お撃ちなられて」
メイドは金棒を握りしめた。
「違法改造のアンドロイドに容赦はいりませんね」
金、金がおれのすべてだ。
メンテナンスにも、改造にも、金が必要なんだよ……。
しかし立ち上がれない。いまのレーザーでバッテリーも残りわずかだ。にもかかわらず、この親分の
メイドが振り上げた金棒は、親分の頭に思い切り落とされた。それが決めてとなった。人口の頭部はぐしゃりとつぶれて、火花と白い液体。そしてざーざーと砂嵐の音。声を発する機能がイカれたのだろう。それでも親分は、砂嵐に混じってなにかを言っていた。
メイドのくせに。
ただの、メイドのくせに。
「メイドなめんなよ」
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