夏休み編 その三 陰キャはただじゃ倒れない
ミンミンとセミがうるさい、ある夏休みの日のこと。
「そういや、聞いたことなかったんだけどさ」
ネットでの調べ物が一区切りついたので、俺は目の前でジトっとした目を向けてくる来訪者へと声をかけた。
「なんだその不服そうな眼」
「ぶっすー......」
自分で言うのかよそれ......。まあ五分くらい待たせたのは悪かったけども。
今日も今日とてやってきた小幡三枝の表情は、まさしく言葉通りぶすっとしていた。形のいい唇を尖らせ、目いっぱい眉間にしわを寄せている。
......こんな顔しても美人なのほんとずるいと思う。しかもこれですっぴんときた。
生まれたままの姿がすでに完成してるとかどういうチートかな?
こいつがアイドルになったらさぞかし人気が出るんだろうなんて考えていると、小幡がペチンとちゃぶ台を叩いた。
「うるせー、こっちは客やぞ」
「ここはそういうサービスやってないから」
「そんなん聞いてないし」
「えぇ......」
でも口を開けばこれだもんな。そういう面で言えば結構バランス取れてるのかもしらん。
「って、いまそんな話はいいんだよ」
「私は全然よくないんだけど」
「んじゃ話は終わりだ。俺はもうちょっと調べものするから、小幡は勝手にしてくれ」
俺がしっしと手を振って、大げさにため息を吐きながら視線をパソコンに戻そうとすると、はす向かいから伸びてきた手がノートパソコンの画面をぱたりと閉じてきた。
キーボードに下ろしていた手がバチンと挟まれる。
「いった! ちょっとした冗談だろ!?」
「冗談の割にはひどかった、だから喝」
「わかった! わかったかグリグリ力入れるのやめろ!」
引っこ抜こうとしたときに運悪く残ってしまった小指が、ゴリゴリと不気味な音を立てている。このままだと肉がえぐれて骨が見えるんじゃないかと錯覚するくらいには痛い。って、いった痛い!
俺の必死の懇願が功を奏したのか、それとも小幡の気分が晴れたのか、ふっと小指を責め立てていた痛みがなくなった。第一関節から先があることを確認して、ほっと息を吐く。
ああ、指があるって素晴らしいなあ......。
「ほら、やめたよ」
「......いややめたよじゃなくてね?」
まだじんじん痛む指をフーフーしながらそう返すと、小幡はふんと鼻を鳴らした。
まあこのまま突っ込んでいると永遠に話が始まらない気がするし、この辺で俺が大人になってやるとしよう。
「はあ......。んじゃ、そろそろ本題入るけどさ」
「うん。なんの話?」
切り替えの早さに若干思うところはあるが今は知らんぷりしておくことにしよう。
これが男の度量ってもんだ。当の本人はそんなことみじんも気にしていなさそうだが、そこも今回は(リアルで)出血大サービスということにしておこう。
こほんと一つ咳払いしてもったいつけてから、俺はようやく本題を切り出した。
「聞いたことなかったけど、小幡と木村たちって今までどんな風に過ごしてたんだ? 結構仲良かったしさ、色々出かけたりとかなんとかしたんだろ?」
訊ねた途端に小幡の表情が少しだけ引き攣るのが分かった。
木村の話題に触れられるのはイヤだろうが、俺としてはそれなりに重要なところだったりする。
これでも俺は大学生だ。そうなるとやっぱ、それなりに遊んでみたい欲望はあるわけで。だがこんな田舎で地元民でもない俺が思いつく遊び場と言えば......えっと、なんだ。
まあ、公園とか銭湯とか、それぐらい思いつかない。とにかく簡潔に結論を言うのであれば、俺の質問の真意は、
「木村たちの、陽キャの生態が知りたいんだよ」
嫌いとはいえ陽キャは陽キャ。
そして俺は陰キャだ。脱陰キャに向けて学べることは何でも学び取っておきたい。
ただ問題は知識だけ集めて実践しないので、結果として無駄に意識だけ高い迷惑系陰キャが完成するという点だ。そして一時の気の迷いで知識を手探りに陽キャに突撃し、爆死するまでがワンセット。
さて、とにかくそういうわけでいま一度、目に力を込めて小幡に目線を送る。
「まるで私は陽キャじゃないみたいな言い草だね」
「木村の口ぶり的に小幡は頼りにならないと思ったまでの話だ」
「いいよ勝ってやろうじゃないその喧嘩!」
「短気にもほどがあるだろ!?」
ノートパソコン片手にぐわっと立ち上がった小幡をどうどうとなだめ、俺はもう一回、同じ質問を繰り返した。あまりにも勢いよく立ち上がったので、それでふるりと揺れた双丘に目が行ったのは内緒だ。
てかノーパソでなにする気だよこええよ......。
「......珍しく佐伯のほうから話題を振ってきてくれたことに免じて、今回はこの辺にしとく」
ようやく落ち着いた小幡をなるべく刺激しないように、俺は静かにこっくり相槌を打った。
しかしまあ、木村たちとの関係については、どうせいつかぶち当たるのだし、早いか遅いかの問題だろう。
そのことは小幡もわかっているようで、ふうと気合を入れるように細く息を吐き出すと、やれやれというように首を振ってからゆっくりと顔を上げた。
「それで、何が聞きたいんだっけ?」
「じゃあそうだな、せっかくだからまずは出会いからだな」
「それは佐伯も知ってると思うけど」
「え?」
「入学式の時だよ。優馬に追い返されてたとき、私と目あってたでしょ?」
言われて記憶を探ってみると、確かにいたなそんなヤツ。
その時はすぐに目逸らしたからあまり意識しなかったけど、いま思えばあれは小幡だったかもしれない。
......ただちょっと今でもあのシーンはトラウマなので、ここは早急に話題を変えるのが吉だ。
「ま、まあ、そんなこともあったな」
「うん。で、それからは普通に履修合わせたり一緒に新歓行ったりで普通に距離詰めていったかな」
「へえ、うちにも新歓とかあるんだな」
「え? 佐伯新歓行ってないの?」
「その顔やめて? なんかすごい心配になるから」
......べつに新歓行かなかったからって死ぬわけじゃあるまいし。それに行かなかった奴だっていっぱいいるに違いない。うん。そうに違いない。
そうやって俺が自己暗示していると、小幡は思い出したようにまた口を開いた。
「でもやっぱり、一番仲良くなったのはGWかな。みんなで熱海行ったんだ」
小幡はちょっと待ってねと一言断ってから、スマホをいじいじし始めた。ほどなくして、ほらと写真を見せてくる。
「特にこのプリン、めっちゃ美味しかったんだ~。佐伯も今度行ってみなよ」
「機会があったらな」
「それ絶対行かないやつじゃん」
すぐ見抜く日本の文化怖い。
「まあ、いいや。そんで、あとはちょくちょく授業後にカフェ行ったりして、だべる感じかな」
「なるほど、だいたい分かった。陽キャっつっても意外とやってること普通なんだな」
「どんなの想像してたの?」
「クラブとか、朝帰りとか、オールとか」
「あー、そういうのは優馬たちだけでやってるかな。私はすぐ眠くなっちゃうからいつもパスしてる」
......なるほど、寝る子は育つってやつね。いや、べつにどこがとは言わないけども。
「こんなところかな。期待してた話は聞けた?」
「いやなんか、かなり普通で拍子抜けな感はある。けど、聞きたいことは聞けたな」
「さらっと人の生活にケチつけたのは見逃しといてあげる」
すんませんと手を合わせて、俺はお茶を汲みに行くべく立ち上がった。
まとめれば陽キャは一日にしてならずってところだろう。知らんけど。
湯呑に粉末緑茶を入れてポットでお湯を注ぐ。そいつを持って居間に戻ると、小幡は猫みたいにぽけーっと虚空を眺めていた。湯呑をその近くに置いてやる。
「ま、陰キャも陰キャで悪くないんだけどな」
強がりみたいに言ってみたけど、やっぱりなれるもんなら陽キャになってみたくはある。
ずずっとお茶を一口飲んで、小幡がゆっくり口を切る。
「まあ、今はそんなの考えなくていいんじゃない?」
「どうして」
「夏休みだからね」
「どういう論理だよ......」
しかし確かに、せっかく学校が休みならそんなことで悩むのは無駄っていうのは確かだな。
一人で勝手に納得していると、不意に小幡がことりと湯呑を置いた。
「時に佐伯くん」
「どうかしたのか?」
「舌やけどした」
「猫舌じゃん」
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