第37話陰キャと陽キャは帰途につく

 そろそろ日が傾き始めた昼下がり、俺と小幡は広い歩道を並んで歩いていた。

 チラリと後ろに目をやれば、もう幾分か小さく見える大学が待ち構えている。

 そして視線をもとに戻すと同時に目の前で信号機のランプが赤に変わった。


「――ねえ、佐伯」


「ん?」


「ん? じゃなくてさ」


 ぼーっと遠くに望む山の端を眺めていた視線を隣に向けると、すこし誇らしげな表情をした小幡が待っていた。

 そのかわいらしい口元が弧を描く。


「――今日、意外と大丈夫だったでしょ?」


 なにが大丈夫なのかは、もはや聞くまでもなかった。


「まあ、たしかに今日は木村たちからちょっかいかけられなかったな」


「でっしょ~? だから今朝言ったじゃん。せっかく頑張ったなら行って損ないよって」


「......そうだな。小幡のお陰だ」


「うんうん、そのまま何かジュースでもおごってくれたらうれしーんだけどねえ」


「おう、いいぞ。なにが飲みたい?」


「そうだね、じゃあやっぱりここは......って、あれ?」


「? どうした?」


 首を傾げた小幡に首を傾げ返すと、さらに首を傾げられた。もう傾げすぎて首の角度がすごいことになってる。

 しばらくそのままだったが、流石につらくなってきたのか、頭の位置をもとに戻してじっと俺の目を覗き込んできた。

 そして考え込むように顎に手をあてがう。


「佐伯が、こんなにすんなりおごる......?」


「ちょっと? 俺ってそんなケチだと思われてるの?」


「あ、ごめんごめん。冗談だよ、冗談」


 二回続けて言われるとなんか信用できないんだよなあ......。

 しかし今はいったんそれは横に置いて、俺は近くに見つけた自販機に五百円を投入し適当なジュースのボタンを押した。

 ガコンという音ともに落ちてきた商品を取り上げ、んっと小幡に差し出す。

 ......だからなんでそんな警戒してるの?


「これ飲んだらエッチな事させろとかいうわけじゃないよね......?」


「たかだか百六十円でそこまでは要求しないかな!?」


 言ってから、今の言いかただと値段が高くなれば要求するという風にとれなくもないと言うことに思い至る。

 こういう時は特に鋭いからなコイツ。しかしその懸念は杞憂に終わる。


「......じゃあ、いただきます」


 小幡が口を付けたのを見てから俺も適当な缶コーヒーを買い、プシュッと開けて一口あおる。

 そして一息ついて、いまだに警戒した様子を見せている小幡に向き直った。


「ほんとになんもないって、今日のことのお礼がしたかったんだよ」


「......そこまで言うなら信じるけどさ」


「おう。もう一本いっとくか?」


「ううん、大丈夫」


 本当はあと三本くらいはおごってやりたい気分だったが、今日はよしておくことにしよう。

 それからちびちびとジュースを飲む小幡を見つつ、俺はいま一度本題に入ることにした。


「あらめて、今日はありがとな、おかげで自信ついた」


「うん、どういたしまして。――優馬も夏休みのことみんなに話す素振りなかったし、もしかしたらもっと自信もっていいのかもよ?」


「へえ、よっぽどタックルされたのが応えたみたいだな」


 俺がそう答えると小幡は不満げに頬を膨らませた。


「なんでそう考えるかなあ......」


「いやいや、あのタックル食らえばわかるけどわりとマジでやばいからな」


「まあ、気絶してたしね」


 ......ぐっ。なんて特大ブーメラン。

 しかしまあ、いまのはタックルの話題を出した俺が悪かった。

 ちょうどそこで信号機の色が変り、俺たちはまたゆっくりと歩き出す。


「――そういえば、小幡のほうはどうだったんだ?」


「私のほう?」


「夏休み前のぎくしゃく、大丈夫だったか?」


 外から見た分には時間を置いたおかげか特に変な感じはしなかった。

 しかし、はたから見ていてはわからないこともあるだろう。

 俺が訊ねると小幡はジュースのキャップを閉じてそれに応じる。


「そうだね、完璧ってわけじゃないけど、問題っていう問題もないかな」


「おお、それはよかった」


 俺の相槌に小幡は『まあ、夏休み中まったく会えなかったことについてすごい聞かれたけど』と困り顔で言い足した。

 ということは、そのギャップがあるだけで、あとはもう時間の問題ということのようだ。


「もういろいろ、収束に向かっていってる......」


 その言葉にはどこか哀愁の色がにじんでいた。

 うん、実に物語の区切りをつけるのにキリがいい、そんな理想のエピローグが展開されている。

 そうしてこのまま穏やかに静かに日常へと戻る。

 .....と、行けばよかったのだが、


「ただ......」


 小幡から気づかわし気な目線が飛んできた。

 知らず、歩調がどんどん緩くなり、終いには完全に停止してしまう。

 ......さっき、強引に小幡の話へもっていったのには理由があった。

 それはもうなんとも情けなく浅ましい理由なのだが、とはいえ俺としては見逃せないほど大きな問題でもあって。

 ふと、今朝教室に入った瞬間のことを思い出す。

 そして、



「――まだ、みんなから変な目で見られてるんだよなあ......」



 俺は肩を落としながらそう吐き出した。

 ......いやまあ、なんとなく予想していたことではあるけどさ。もう少しマイルドになっててもよかったんじゃない?

 しかも久々すぎて耐性がなくなっていたので、むしろ休み前よりもきつくなっているように感じた。


「はぁ......」


 しかも明日にはまた授業がある。もういまからちょっと憂鬱な気分になった。

 とはいっても、それを含めても今日学校に行ったことに後悔はない。

 まあ、もとより今回の作戦はズレの根源たる木村を説得することで、そこから徐々に現状の解決を目指すというものだ。

 即効性ではないことは重々承知している。

 ......けど、もう少し効果があると思ってました......。


「だ、大丈夫......?」


「え? あぁ......ごめん、大丈夫」


 不安げに顔を覗き込んできた小幡にそう返しつつゆっくり顔を上げる。

 すると、前に回り込んできていた小幡と対面する形になった。

 急な沈黙に一瞬戸惑うが、ぎこちない笑顔とともに小幡が口を切る。


「......まあさ、長い目で見るしかないんじゃないかな」


 慰めに見せかけたとどめきたぁ......。


「つまり、現状は耐えるしかないと?」


「そう言わなくもないというか、その通りというか......」


 あ、その通りなのね。

 濁した割にはストレートな物言いだった。


「でもでもっ! それが大丈夫になるのもそう遠くないと思うよ」


「そうか?」


「だってちゃんと作戦は成功してるし、みんなすぐに気付くよ。優馬が佐伯にちょっかいかけるのやめたって」


「まあな......」


 俺の返事が思うようなものではなかったのか、小幡の表情がまた険しくなる。

 すると今度は俺を元気づけようと少し明るい声で話はじめた。

 時にこの場にそぐわないようなとびっきりの笑顔で、時にすこしおどけた表情で。

 そんな、珍しく慌てている小幡を見て俺は、


「だから佐伯は――って、ん?」


 思わず俺の口元が緩んだのを小幡は見逃さなかった。

 さっきまでの多彩な表情から急に間抜けな表情になって、またそれが笑いを誘うが、俺はそれをごまかすように口を開く。


「――まあ、でも大丈夫だろ」


 状況はまだあまり改善していなくて、というかむしろ精神的にはさらにつらくなったかもしれない。

 それでもなぜか、裏腹に俺の心は晴れていく。

 涼しい風がびゅうと二人の間を通り過ぎた。聞こえてくるのはただ遠くを走る救急車のサイレンと、名前も知らない鳥の鳴き声。


 こういう時はここが田舎でよかったと思う。なんてったって人目がないからな。

 こうして道のど真ん中で二人見つめ合っていても、冷ややかな目線を向けてくるヤツはいないのである。

 そしてまっすぐ小幡の目を見て、俺はしばらくぶりの意趣返しをしてやることにした。



「なんたって、俺には三枝さえがいるんだからな」



 おお、確かにこれは恥ずかしい......。

 しかしそれでも俺は目をそらすことなどしない。


「何とか言ってくれよ......」


 そういうと、ようやく小幡の瞳が状況を理解したようにいたずらっぽく揺れて。



 ――それから死ぬほどおちょくられたのは、きっと言うまでもない。


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