第32話冴えない大学生の前日譚
「......お」
豪快な演出とともに禍々しい鎧をまとった魔王が光の中に消えていく。その様子を最後まで見届けると、ゆったりとしたテンポのBGMが流れ始めた。
コントローラーから手を離しほぅッと息を吐く。
ふと時計を見ればボス部屋に入った時間からいつの間にか一時間近く経過しており、さっきまでの戦闘がいかに熱戦だったか教えてくれる。
「「おわった......」」
ハモってきた声の持ち主を確認すべく首を回せば、向こうも俺と同じ考えだったようでしっかりと視線がかち合う。
「あー、すっごい疲れた......」
「まちがいない......」
小幡は言いながら後ろにぐだーっと倒れた。かわいらしいおへそがお目見えするが、いちいち反応してやる元気がないくらいには疲れていた。
なにしろ戦闘中は片時も集中を切ることなくずっと画面にかじりついていたので、特に目の疲労がすごい。
あと腰。ずっと同じ体勢でいたし多分立ち上がったらごりってなるやつだこれ......。
「でも、すっごい面白かった」
「まちがいない」
「さっきからそればっかじゃん。なんかほかにないの?」
「え、じゃあ、面白かった」
「小学生かな?」
「小幡の感想も似たようなもんだったろーが......」
「たしかに」
自分で言ってて気づかないのかよ......。
と、不意に二人黙って顔を見合わせる形になる。
それからなぜか急ににらめっこタイムに移行し、三十秒くらい経とうかというところで途端に小幡がふきだした。
「あははっ! なにその顔っ!」
「ひ、人の顔見て笑うとか失礼だぞ!」
俺が注意するとさらに『いひひっ』とか怪しい笑い方をし始めた。
しかもこれ、べつに変顔してたわけじゃないからただ単に地の顔笑われてるだけっていう......。
「ごめんごめんっ! ――んっんんっ! あー、おもしろかったぁ~」
小幡は咳払いを挟んでリセットして、目の端の涙をぬぐいつつ深呼吸する。泣くほどおもろいとか俺の顔どうなってんだよ......。
「――よしっ! もうおっけ!」
といいつつ口角上がってんだよなあ。
「お、ちょうどエンドロールも終わったね」
「そろそろ帰るか?」
「えっと雨は......降ってないね。うん、じゃあ帰ろっかな」
そういうと小幡はスクリと立ち上がって、んんっと大きく伸びをした。
......急にセンシティブな声出すの精神衛生上よろしくないからほんと勘弁してほしい。
小幡は濡れた自分の服が入ったビニール袋を指に引っ掛け、近くにほっぽり出していたスマホをポケットに突っ込む。
「......いしょっと。あー、靴はまだずぶ濡れだ~」
「チラシとかいれときゃよかったな」
「そうだねぇ~。うわっ、足踏みするとグチャっていうグチャって!」
なぜか楽しそうに足踏みする小幡をじっと眺める。
ひとしきりぐちゃぐちゃし終えると満足したのか、一息ついて傘を手に取った。
そして俺の顔をじっと見たまま固まった。
「どうした? 忘れ物か?」
「いや、なんでぼーっとしてるのかなって」
え、なに。ドア開けろってこと? 俺ってばそんな小間使いオーラ出てる?
「だから、送ってかないの? って聞いてるの」
「聞かれてないんだけど?」
「今聞いたじゃん」
なんという理不尽......と言いたいところだが、実は最初からわかっていたりする。
時間もそろそろ夕暮れ時で、ダルダルの防御力低めな服で女の子一人外に出すのは普通に考えて危ない。
それにこういう場合は送っていくのがマナーだ。
それだけわかっていながら、しかし俺は踏み切れないでいた。
「でも、なぁ......」
「なに? まさかまだこの前のこと気にしてるの?」
「や、気にしてないと言えば嘘になるけど......」
瞬間、いやらしく笑う木村の顔が浮かび上がってブンブン頭を振った。
「はぁ......情けない......」
そんな俺の様子を見て小幡はやれやれと肩をすくめる。
先のトラウマは克服し始めているとはいっても、まだ完治への道のりは半ばだ。
ふと、うつむいた視界の端で小幡の小さな手が揺らめいて、
「――ほら、行くよっ」
「へ?」
ぐわしっと手首をつかまれたかと思えば、今度はすずしい風が体を押してくる。
しかし引かれるがままに足を踏み出し眼を開ければ、いつの間にか俺は部屋の外に連れ出されていた。
「もう向き合うって決めたんでしょ? なら今は前のことなんか気にしてちゃだめだよ」
台風一過。
今朝からは予想もできないほどに穏やかな夕暮れ。
その朗らかな夕日を背に小幡は大人っぽく微笑をたたえている。
「それに台風の直後だしさ、見てる人もいないって」
「そう、かな......」
「そうそう! だからレッツゴー!」
高らかな宣言とともに小幡は歩き出す。
いまだに俺の腕は握ったままだ。
こんなことはじめてのはずなのに、なぜかどこか懐かしい気がした。
「なあ、小幡」
「なに?」
「俺まだ裸足なんだけど......」
***
「もう結構あったかくなってきたね」
「まあ、いま夏休みだしな」
俺の返事に小幡は『それもそうだね』ととぼけた表情で言った。
なんとはなしに視線を巡らせれば、色々とめちゃめちゃになった景色が広がる。
今はこんなに落ち着いているので忘れがちだがさっきまでは相当ひどい台風だったわけで。
足元のトタン板をよっと避ける。
「そういえば小幡」
「どしたの?」
倒れていたバス停を起こしつつ小幡が首を傾げた。
「今日の作戦っていつ実行するんだ?」
「まあそうだね......。最速で明後日かな?」
「あ、明後日?」
俺としては授業を再開してからの実行だと思っていたので思わず聞き返してしまった。
大学の授業期間ならそれでも大丈夫だとは思うのだが、今は夏休み期間である。
最後にバス停の向きを直しパンパンッと手を払うと小幡はくるりと俺に向き直った。
「うん。最速で、だけどね」
「てっきりもっと後のことかと思ってた......」
「まあ授業が再開してからでもいいんだけどさ、いやなことは早めに終わらせときたいじゃん?」
小幡の言うことにも一理ある。
けどなぁ......。もう少し心を落ち着ける時間があると思っていたが意外とゆっくりしてはいられないのかもしれない。
「また背筋曲がってるよ~」
「へ~い......」
小幡に言われて仕方なくうつ向きがちだった顔を上げると、ずびしっと効果音が付きそうなほど鋭く額に人差し指を突きつけられた。
「そんな事ばっかしてると、私の傭兵軍団に言いつけるよ」
「なんだよその物騒なもんは」
「私のファンクラブ、的なものかな? あ、佐伯も入る?」
小幡は軽い調子でそう言うとゆっくりと歩き始めた。俺もそれに続き、横に並ぶ。
......てか、一年生のくせにファンクラブってなんだよ。
特に興味があるわけではなかったが話題もないしこの話を掘り下げることにした。
「そのファンクラブってどんな奴がいるんだ?」
「一応言っとくけど、ファンクラブ『的な』ものだからね? そこんところよろしく」
小幡はそう前置きしてから、
「メンバーはだいたい男の子だよ。ちょっとは女の子もいるけど。学年はまちまちかな? やっぱり一年生が多い印象」
「へぇ、じゃあ上級生にもいるってことか?」
「うん。全員アメフト部だけどね。ごっつい」
「ご、ごっつい......」
ごくりと生唾を飲み込む。
つい昨日よんだR指定の漫画の内容が脳裏をよぎった。
「あ、今変なこと考えてたでしょ~。みんな素直で優しいからそんなことしないよ」
「そう......」
「もう、失礼しちゃうわ」
小幡はわざとらしく頬をぷっくり膨らませてプイッとそっぽを向く。
すると片目だけで俺のほうを見てきた。
......なんなんだよ。
「で、入るの?」
「今の流れで入るわけねーだろっ!」
思いっきり否定すると『え~』と残念そうな反応をされた。いやいや、当然ですから。
と、そろそろ小幡の集合住宅が見えてきた。
たしかこの前もここのあたりで別れたはずだ。
「――ありがと、ここらへんでいいよ」
数歩前でぴたりと立ち止まった小幡はくるりと振り返るとそう言って口角を上げる。
「おう」
「お、なんか前と違ってこなれた感じがするね」
「そうか?」
小幡は満足げにうなずくとパッと小さく手を上げた。
「じゃあ。今日はありがとね」
「こっちこそ」
「この服は急いで洗って返すから」
「ゆっくりでいいよ。冬用の服だし」
「ま、明日も行く予定だからすぐ返すんだけどね」
俺の気遣いが踏みにじられたことに若干ショックを受けていると、なぜか小幡が不思議そうな視線をくれてきていた。
首をかしげる。
「明日も行って、いいの?」
「あれ、小幡ってばまだこの前のこと引きずってるの?」
「......やられた」
ちょっとした意趣返しだ。効果はてきめんだったらしい。
......なんか俺も意外と執念深いな。
「じゃあ、なんか釈然としないけど、また明日......」
「おう、また明日」
納得いかない表情のまま踵を返してとぼとぼ歩く小幡の背中を少しの間眺めて、そう遠くない未来の大勝負に思いを馳せつつ、俺も帰途に就くことにした。
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