第25話冴えない大学生は育たない
土日の間、俺はバイトに試験対策に明け暮れた。
とはいっても、それは急に勤労意欲が増したわけでも学業に目覚めたわけでもなく。
「――せんせ?」
不意に舌足らずな声が耳を打つ。
瞬間、目の前の光景にピントが合っていく。そこは見慣れた個人塾の教室だ。
「......あ。ど、どうかした?」
「なんかいま、たましい抜けてたよ?」
「そ、そう?」
どうやらバイト中にも関わらずボーっとしていたようだ。勤労意欲が増したどころか、これじゃちょっとした給料泥棒だな......。
声をかけてくれた小学生の女の子は俺の顔を指さして「へんな顔してておもしろかった」と笑いをかみ殺す。
いつもならそれに少しくらい乗っかるのだが、今日の俺にそんな元気はなかった。
......ああ、この状況で明日からテストかよ。
***
起きていたのか寝ていたのかわからないような土日の先には大学のテストが待ち構えていた。
まさに夏休みの前にどんと構える守護神。さながらブッフォンのようである。
しかし、それでも同じ学部のやつに合う回数が少なく済むのはありがたかった。
「――そこまで。解答をやめてください」
マイクの声に俺はペンを置いた。全員が手を止めたことを確認し、広い講義室の各所に立っていた職員が解答用紙の回収を始める。
試験の出来は、どれに関してもやや危なそうな感じだ。単位取得要件はテスト以外のレポートも含めて六割取れていればいいのだが......この調子だといくつか落としてそうだな。
しかしまあ、提出すべきレポート等は基本期限内に出していたので、ギリギリなんとか......なってたらいいなあ......。
「確認できました。では、静かに解散してください」
教授がそう告げると途端にざわめきが広がる。
それを背に受けつつ俺はさっさと講義室を後にした。
これでもう春学期の授業は終わり、次の授業は一月後。中学校や高校なら最後に担任のありがたくも鬱陶しいお話があるだが、大学にはもちろんそんなもの存在しない。
なのでちょっと、まだ夏休みという感じがしない。『これ大丈夫なんだよね?』と質問できる友人などいるわけもないので正体不明の焦りが募る。......なんだこの『学校、もう来なくていいの......?』とかいう人生初の疑問。
ブンブン頭をふるって奇妙な感覚をリセット。もういっそ学校に行くべき日も休んでやればいいのだ。
バス停が近づくにつれて周りに人が多くなっていく。それに従って、なぜか心臓がきゅうっとすくみ上る。
......木村たちは、いないな。
せっかくテストを終えてすっきりしてたってのに、なんだってこんなとこで緊張しなきゃならんのだ。
***
混雑を極めたバスのなかでリア充にもまれ続け、最寄りのバス停に着くころにはもうへとへとだった。
......おかしい。テストなんかよりも全然疲れた。
膝に手をついて肩で息をする。ぜーはーぜーはー。
「......よし」
最後に大きく鼻から息を吸い顔を上げ、そしてのろのろアパートを目指しはじめる。
歩きながら、ふと視線を横に振れば一面みどりの田んぼが広がっていた。ここに来た頃はまだなにもなかったのに、いつの間にという感じだ。
その一方、俺はと言えば、
「......なにしてんだろ」
稲がこうして育つ間、俺は果たしてなにか成長していただろうか。そんなこと、問いかけるまでもなく自分自身が一番わかっている。
友達はいない。作る気もない。向上心などみじんもない。
それで成長など、見込めるはずもない。
「......はぁ」
そろそろアパートが見えてきた。こういうと大家さんに失礼だが、いつか見た小幡の物とはくらぶべくもない、まさしく俺のような人間が住むにふさわしい。
......さすがにそれは言いすぎか。
足をかければギイと音を立てるような階段をゆっくり上り、とぼとぼうつむきがちに歩を進める。
――と、
「......お、おかえり、佐伯」
部屋の前に立っている人影が、そういって小さく手を挙げた。
もはやリアクションしてやる気力すら残っていなかった。
......米より成長しないくせに、他人に世話はかけさせる。一番タチわりーじゃねえか。
「また、懲りずに来たよ」
「......」
「ねえ、佐伯......っ」
人影、小幡三枝の相貌が鋭く俺を見つめる。
「ここでいいからちょっと話さない? 部屋に上げてもらわなくていいからさ、お互い、面と向かって。......ね?」
小幡は俯き加減の俺の顔を下から覗き込むように首をかしげた。
その表情はすこし哀し気で、俺が知っている小幡とうまくかみ合わない。
でも俺は、それに以上目を合わせることが出来なかった。視線を逸らして、止めた足をまた前にやる。
「佐伯......っ」
「――邪魔だよ」
横を通り過ぎようとした瞬間に俺の腕をつかもうとした小幡の手をはじく。
小幡の表情はどんなだろう。怖くてもう見ることが出来ない。
おぼつかない手つきでポケットからカギを出してかちゃりと戸を開ける。
「――まって!」
ノブをつかむと同時に小幡の声が飛んできた。
でも俺は構わず扉を手前に引く。それに小幡が息を呑んだ気がして、逃げるように部屋の中に入り込んだ。
そして扉を閉じる直前、
「また、明日も来るから!」
そのセリフだけ聞き届けて、俺は戸を閉じた。
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