第19話冴えない大学生は思い知る
――今思えば、俺はなんて呑気だったのだろう。
そんな後悔が、頭の中でループした。
***
週が明けて月曜日。
俺が教室に着くと、異様な空気が漂っていた。
俺に向けられる奇異の目線はいつも通りのことだ。だからそれ以外で、なにかがおかしい。
「......なんだ?」
まだこの違和感の正体がなにかはわからなかったが、俺はもはや定位置と化した窓側の一番後ろの席に腰かけ、さっと授業の準備を整える。
それから机に突っ伏すふりをして周りの会話に耳をそばだててみることにした。
「――え、まじ?」
「――まじまじ。ほら、この写真」
「――わっ、ほんとじゃん......。うわー、なんか意外」
ちょうど三列ほど前で話している女子グループの会話は、おそらく誰かのスキャンダルについてのものだろう。まあ内容から察するに、どこぞのイケメン俳優の熱愛が発覚したとか、多分そんなところが妥当だ。
となると、それが原因で教室がピリピリしている、ということなのだろうか。現状だとそう考えるしかない。
さておくとして、芸能には特に興味がないが他人の不幸には興味津々な俺である。特に女子がキャーキャー言うイケメンの不幸となればその興奮もひとしおだ。
「――おめーそれはやべえって!」
と、さらに続きを聞こうとすると、うるさい運動サークル軍団が教室に入ってきた。
まだ木村グループが来ていないのをいいことに、ここぞとばかりに騒いでいる。
そのせいで肝心のセリフが途切れ途切れでしか聴き取れなくなるが、それもまあ仕方ないのでなんとか耳を澄ます。
「――ばた.....って、ああいうのが.....」
「――どうせ..........しょ?」
「――言えてる~」
が、肝心なところが聞き取れない。
断片的には聞き取れるだけにもどかしさだけが募っていく。
ちくしょう、もうちょっとで聞き取れるそうなのに.....! 誰のスキャンダルなのかだけでもいいから知りたい。アイドルグループならもう最高なのだが。
しかし、その淡い希望はあえなく散った。
運動部の連中とはまた種類の違う騒ぎ声が教室にやってきて、ぎりぎり届いていたセリフをぶった切る。
......なんというかもう、この時点で何となくだれが入ってきたかを予測しつつ、
「.....はあ」
腕の隙間から騒ぎ声の発生源を確認し、ため息を一つ。目線の先には果たして木村たちがいた。
木村たちはきょろりと教室を見渡すと、ふっと口元を緩める。
それはなぜか俺に向けられているように感じて、
「席、あそこでいい?」
木村はあろうことか、俺の前に空いている席を指さした。
すると木村の取り巻きの一人が「いんじゃねー?」とか適当に返事する。
......いや、おい、いんじゃねー? じゃなくて。
いつもお前ら真ん中の席だろーが。心の中で異を唱えるが、もちろん木村たちに届くはずもない。
「おい池田早く歩けよな~」
「んなら先行けこら」
「いった! 意味わからんわっ! ははっ!」
意味わからんはこっちのセリフなんだよなあ......。
そんな不満が頭の中に浮かぶが、俺の意思など関係なく、気づけばあっという間に俺の前に木村グループ全員が集結していた。
その中に小幡の姿を発見する。
――が、
「......」
小幡は口をきゅっと真一文字に結んで、じっと一点を見つめていた。いつもはニコニコしているのに、今日はどこか様子がおかしい。
いや、小幡だけじゃない。隣に座ってる女子も小幡を避けてる感じがして、いつもとはすこしちぐはぐだ。
でもなぜか、その視線は小幡に向いているように見えた。
と、なんとなく違和感を感じつつも視線を木村たち以外に向けてみると、なぜか教室の視線が小幡のいる方向を向いていることに気が付いた。
いや、小幡の『方向』ではない。
こっそり見たりチラ見したりと見かたに差はあれど、すべて小幡のことを見ていた。
......なんだ、これ?
慎重に視線を前に戻すと、小幡はさらに居心地悪そうに俯いている。
これは間違いなくおかしい。なにかが、小幡を中心にしてずれている。
ふと、木村がまわりのとの会話を止めた。
そしてその視線を、まっすぐ小幡にむける。
「――あのさ、さえちゃん、ちょっといいかな?」
びくりと、小幡の肩が揺れた。
すると不意に木村が目が俺のことを見たような気がして、とっさに視線を逸らした。
......っぶねえ。なんだ、いまの。
胸の奥で、なにか言い表せない、焦りのような感情が鎌首をもたげる。
「ちょっと聞きたいんだけどさ」
前を向いている木村の表情は俺のところからは見えない。
でも、その声色は不自然なくらい優しいものだ。
それはまるで、前見た刑事ドラマの犯人のような、
「――さえちゃん一昨日、佐伯の部屋で、なにしてたの?」
言い知れない闇を孕んでいるように思えた。
「え?」
俺は無意識のうちに顔を上げていた。
でも誰も俺に気付かない。俺を含めた教室全員の視線が小幡三枝一人に集中していた。
「......べ、べつに、なにもしてないけど」
「いやいやさえちゃん、なにもってことは無いよね? なにしてたの」
「......べつに、特には」
「――なに、してたの?」
木村が少し語調を強めた。
「......ずっと、ゲームしてただけ」
「へえ、そうなんだ」
そういう木村の声色は、小幡の言うことを全く信じていないのがありありとにじみ出ていた。
「ほ、ほんとに! そう、なの......」
「ずっと何時間も?」
「だから、そう言ってるでしょ」
「部屋で、二人きりで?」
「......っ」
小幡の反応を見て、木村はまた「へえ」とこぼす。
そして机にドンっと肘をついた。小幡がビクッと反応する。
「もう大学生だよ? 男女二人きりで、何時間もずっとゲームだけなんてありえるのかなあ? ねえ?」
木村が隣に座っている池田に同意を求めると「さすがにな」と苦笑交じりにうなずいた。
「ほらね。で、ほんとはなにしてたの?」
「......でも、実際そうだったし」
そう答える小幡の声は、今まで聞いたことがないくらいか弱いものだった。
しかしその相貌はまっすぐ木村の目を見据えている。
「............へえ」
「なんで信じてくれないの?」
「べつにそうは言ってないでしょ? ......うーんそうだな。じゃあ、聞き方を変えようかな」
木村はピンと人差し指を立てると、こんなことをのたまった。
「――さえちゃんって、佐伯と付き合ってるの?」
瞬間、心臓を射すくめられたみたいに呼吸が浅くなる。
......いまあいつ、なんて言った?
「これなら答えれるでしょ?」
ちらりと木村の視線がこちらを向いた。
前と同じだ。あの心底人をバカにしくさった目。
一瞬、小幡と目が合った気がした。
ふと、その表情がゆがんだ気がして、しかし次の瞬間にはもう木村のほうを向いている。
そして小幡は一言、静かにこう言った。
「――そんなの、あり得るわけないでしょ」
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