第8話 炎上

31 炎上

 レックスがあの駅前広場で撮影した動画を投稿したのはあの夜から三日後だった。


 投稿されない可能性の方が高いと思っていたその動画が堂々と投稿されている事に気が付いたのは、五島家お決まりの千穂のお楽しみタイムだった。何も知らない千穂がキャッキャとはしゃいで動画観賞する横で、月はレックスの心中を想像して密かに軋む胸を押さえていた。


 見たところ動画の最初と最後は自宅のスタジオ部屋で撮影されたもので、間に挟まれた駅前広場の映像は二分程度と短かった。変装したレックスが大型看板と自分の姿を同時に映した後にベンチに移動して、近くにやって来たファンのコメントを個人特定が出来ないように映像と音声は伏せてテロップのみで一部抜粋し、それにこっそりリアクションしている姿が映っていた。


 そこまでは撮影の様子を見ていた月が予想していた通りの映像になっていた。月が目を見張って驚いたのはその後の撮影部屋でのレックスのコメントだった。


 レックスは何てことない顔をして広場内で周囲に正体がバレてしまい、取り囲まれてしまったことを語った。それだけだったらまだしも、広場内に昔の知人が居たことすらさらりと暴露した。


 当然動画を見ていた月はそこまで喋っちゃって大丈夫なのかとハラハラした。するとそのタイミングで動画内のレックスがさらりと嘘を吐いた。


 知人は泥酔していた、と。


 泣き上戸で絡まれて困ってしまったと、あの場での美来とのやり取りを面白エピソードにすり替えてしまっていた。どうやら、動画を投稿するまでの間にレックスがあの広場に現れて騒ぎになった事がSNS上で複数呟かれていたらしい。その中にはレックスと美来のやり取りを少なからず目撃している人もおり、噂が妙な方向に飛躍する前の対処だったようだ。つまり、自衛の為に必要な嘘ということだ。


 ただ、本当の事情を知る月にはその嘘を語るレックスの笑顔が痛々しくて見えて仕方がなかった。


 そんな動画を視聴した後、仕事でいつものように赴いたレックスのマンションでさり気なく種田に確認したところ、トーク内容はレックスが誰にも相談せずに一人で考えたものだということが判明する。


「……少しくらい、頼ってくれてもいいのにな」


「……そうですね」


 種田が珍しく弱気な事を零し、月も何を考える前に同調していた。


 駅前広場での騒動以降、この時の会話が月と種田にとってあの場での事を初めて口にした瞬間だった。その後暫く、二人とも胸にそれぞれ抱える想いはあれど、レックスの“何もない”といった態度に応じてこの話題には触れなくなる。


 そして、その動画は平均的な視聴回数を刻み、他の動画に紛れるように存在感を消していった――――ように思われた。






 十二月に入り、寒がりな月が早々と真冬用のコートをクローゼットから引っ張り出してから三日後の土曜日。晴天の高い空を見上げて気分を上げ、日向を選びながら歩道を歩いてどちらかといえば機嫌よく辿り着いたレックスの部屋。


 在宅の予定だったので、いつもの様にレックスが笑顔で玄関を開けて招き入れてくれる事を想定して扉の前で開錠を待っていた。ただ、玄関の中から現れたのはレックスではなく種田だった。しかも明らかに眉間に皺が寄っていて不機嫌な上に、顔色まで悪かった。


「お、はようございます」


 思わずどもって挨拶をした月に対して種田は胡乱な目を向けてきた。


「…………アンタ、その呑気顔は何にも気が付いてないな」


「えっ? 何の話ですか?」


 話しながら中に入るように促されたので、素直に従いつつも尋ねる。すると月が靴からスリッパに履き替えている間に種田がスマホを操作して、顔を上げた月の眼前にそれを突き付けてきた。


 突然何だと、顔面から十センチ程しか離れていない画面に視線を向ける。


 初めに視認したのは何の変哲もないレックスの肩から上の写真だった。この写真がどうしたのだと思って視線を少しずらす。そうしてそこに並べられている文字を一文字一文字確認していく途中で、月は無意識に種田のスマホを毟り取って自らの見やすい角度に持ち替えて凝視した。


「なっ、なんですかこれはっ!?」


 月が目を剥いて種田を勢いよく仰ぐと、種田は心底不快そうに眉を寄せた。


「そんな事は俺だって聞きたい」


 種田の吐き捨てる様な台詞に月は再び視線をスマホに下ろす。黒い太文字は一目でそれが記事のタイトルだと分かるフォントだった。


 ************


 大人気イケメンYouTuberレックスがファンの女性に暴言!! 汚いものを見る目で「穢れるから触るな」と言い放ち、女性が号泣するも無視


 ************


 月は目を大きく見開いたまま画面をスクロールさせた。タイトルとレックスの写真に続く本文の内容は掻い摘んで説明すると以下のようなものだった。


 昨晩、レックスの大型看板動画にあるコメントが投稿された。それは、レックスが語った“酔った知人に絡まれた”というトークは全くの嘘で、レックスの存在に最初に気が付いたファンの女性が声を掛けたものの無視され、追いすがったその女性に対して「穢れるから触るな」と言い放ち、ショックで号泣する女性をさらに無視してその場を去ったのだという目撃情報だった。すると、レックスがファンにそんな事をする訳がないとファンから否定の返信が複数投稿される。それに対して事実だと最初の投稿者が強く反論。仲裁のコメントやコメント欄で荒れるな、などと訴えるコメントを挟みつつ、複数回両陣営から喧嘩腰なやり取りが繰り返される。両者一歩も譲らなに雰囲気になったところで、自分も広場でレックスと対峙している女性が泣いているのを見たが酔っているようには見えなかった、というコメントが入る。すると、見る間に最初に投稿されたコメントが真実なのではないかという声が増え、否定するコメントも同等に存在するにはするが、そのままコメント欄は大炎上。


 それがネットニュースに取り上げられるという事態に陥ったのだった。


 記事を読み終わり、驚きで言葉を失っている月の手中にあったスマホを回収した種田がスマホを再び操作する。今度は件の動画のコメント欄を月の眼前に翳した。そうして俄かには信じ難い一言を言い放つ。


「この最初の投稿。これは事実か?」


「はぁ!? 何言ってるんですか!? 事実であるわけがありません!!」


 勢い余って噛みつくように言い放った月の目の前で種田は顔を覆って崩れるように床に座り込んだ。


「だよな。…………よかったっ」


 心底安心したと言うかのように深く長い息を種田が吐く。


「アイツ、何を聞いてもだんまりで……。そのくせ、かつてないくらい負のオーラ放って昨日から一睡もしないで編集部屋籠って仕事してんだよ。事務所から問い合わせが来ても一切自分では電話に出ようとしないし。全くっ、何考えてんだかっ」


 吐き出すように言った種田の声はレックスを責めているようで、心配の色が非常に濃く感じられた。月はそんな種田に同情しつつも、レックスを案じた。


「朝食、お二人とも食べられました? 種田さんも顔色悪いですよ。何か直ぐに作りましょうか?」


「ああ、頼む。でもって仕事しながら、アンタが当時あの広場で見聞きした事を教えて欲しい」


 種田が普段はワックスで整えられている前髪を雑に掻き上げて歩きだす。いつものように仕事着は身に着けているが、ノージャケットにノーネクタイ。その上ワイシャツのボタンが上二つ分開いている。話しぶりから推測するに、きっと炎上していると分かったタイミングで直ぐに駆け付けて、種田自身も寝ていないのだろう。


 種田に続いて廊下を歩きリビングに向かう途中、レックスが徹夜で作業している編集部屋の前に差し掛かる。いつもなら笑顔で玄関を開けてくれるのに、この日は編集部屋のドアすら開かない。


 本当の内情を知らない月は表面上の心配しか出来ない事が歯痒かった。それでも出来る事など数が限られていて、それをするしかない。


 編集部屋の前で月は立ち止まり、一礼してから声を張った。


「おはようございます。朝ごはん、作って持って来ますね」


 出来る限り明るくいつも通りの声を心掛けたが、少しだけ期待していた返事が来る事はなかった。

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