アーティストになる2

USAのらきち

第1話 野球部で遊ぶつもりが男子たった3人のクラスに

 週刊くるま情報は関西、中部、北陸、四国、九州の5地区を支社として編集室と営業所を構えて、それぞれ地域密着の中古車販売情報を編集して発行しているが、それを束ねる本社は関東版を発行している東京本社で、もちろん創業者の社長が常駐しており、各地域の編集長兼支社長に指示を出している。

 山鹿史矢も2003年から編集長兼支社長となって、担当の営業エリアこと後任者に引き継いだが企画や編集で多忙を極めており、加えて定期的に社長が支社長を会議名目で本社へ招集するから、これに2日を要して更にその報告書も提出しなければならないなど休みを潰しての業務もたびたびだった。

 この頃はまだ隔週での土曜休日で隔週で土曜日も出勤するか、日曜や祝日を休日出勤した場合の振替日として土曜日を代休にすることもあったが、なかなか代休が消化できず、有給休暇の消化など夢のまた夢、これは全スタッフとも同様であり、遊びで有給休暇など取得しようものなら冷たい視線を浴びる~まだそんな時代風潮があった。

 山鹿支社長が有給休暇扱いになったのは2000年の秋、長寿を極めた祖母が108歳で亡くなった時と、長男の郁矢が14歳で病死した時の忌引き休暇だけだ。

 郁矢は頑張った。余命6か月と宣言された12歳から幾度かの手術と集中治療を乗り越えて14歳の春には車椅子をクラスメイトに押してもらいながら念願の修学旅行へも母・麻郁の同行で参加できた。

 兄の郁矢と母・麻郁が3泊4日の旅行中は小6の麻矢と父・史矢の父子世帯。この4日間だけは終業定時の午後5時半に仕事を切り上げて帰宅を急いだ。

 郁矢は京都府と奈良県の名所を巡る旅をクラスメイトたちの援助もあって楽しんだ。念のため主治医の先生と看護師さんも同行もあったが、旅行期間中は特に容態が悪化することなく、参加者全員が旅行を満喫できた~という報告が父・史矢にとって何よりのおみやげだった。

 郁矢は父への京都土産に西陣織のキーホルダーを選んでくれており、それは今も愛車R34スカイラインGTのキーが繋がっている。

 小6の麻矢は急に身体が成長し始めて、甲高い声もだんだん父親に似た低い声に変わってきた。タテよりもヨコへ急成長したため、不足していた相撲部の地域親睦大会用に臨時の選手に選ばれたが、中学2年になったころには肥満体型は過去のものになったので、本人いわく忘れたい過去らしい。兄の後ろに隠れるような気弱な低学年期を過ごした麻矢も兄を亡くしてから母を励ましてくれるほど頼もしく成長。中学生になってからはリーダーシップも取れるほど、いつも周囲には友人がいて、野球部入りを断念して美術部へ入る時も周囲の仲間たちを同調させるほどになっていた。部室内では顧問の先生からの課題がない時は仲間たちと遊んでいることがほとんどだったようだが。

 中学では野球部には入部しなかった麻矢も、高校では野球を部活として楽しめるように甲子園を絶対に狙わない弱い野球部の高校への進学を目指して、そこで1年からレギュラーになれるように父・史矢と定期的な練習も積み重ね、家からいちばん近くて野球部の弱い高校への受験を考えていたところに、美術部顧問の先生からの「推薦してやる」の甘い言葉につられて受験勉強ナシで進学可能な芸術コース美術専攻課のある桃園中央高校へ進学した2004年の春。

 しかし、入学後のガイダンスで芸術クラスの生徒は専門分野の部活以外は禁止であることが判明。愕然となりながらも部活も美術部へ所属するしかなく、芸術コース40人のクラスのうち男子たった3人のうちの1人となった麻矢は土日も部活に登校するほど忙しい毎日、2年生の初夏を迎えていた。

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