第66話 中ノ瀬航路あやかしロックフェス! 〈九〉

 幽世の昏い空に、メルルファの物悲しい歌声が響いている。

 水晶はメルルファの手前で静止すると、「夢幻の国」の一節を透き通った声でそらんじた。


 僕はグスタフ 漁師の息子

 もしも願いが叶うなら

 僕は知りたい あなたの名前を


 すると、鏡が光を反射するかの如く、対応する一節がメルルファから返ってくる。


 あたしはメルルファ 原初の女神

 アムティアの声から生まれた 歌と予言の女神

 いずれとなり 消えゆく運命さだめ


「おいで、メルルファ」

 水晶はメルルファに囁きかけると、身を翻して船へと引き返した。メルルファは啜り泣くように歌いながら、吸い寄せられるようにして水晶の後に続く。

 水晶とメルルファが、〈大水薙結界〉の美しい幾何学模様をすり抜けた。メルルファは結界の上部で揺蕩たゆたい、水晶はゆっくりとステージに着地する。

 直後、オープン・ハイハットの冴え渡ったビートがステージを駆け抜け、ふたりの少女が高らかに歌い出した。


 あなたに船を造ってあげる!

 この大海を征く あなたの「かたち」を! 


 メリハリのついた大迫力のドラムと、重厚で安定感のあるベース音、繊細かつ複雑な旋律メロディに、躍動感溢れる歌声。

「――――ッ」

 突き上げるような熱と質量を持ったグルーヴに、メルルファの歌声が微かに乱れる。 

 シャープフラットが疾走する短いイントロが終わると、梗子がピックで弦を弾きながら軽快なアルトで歌い始めた。


 「今日は何を着ようかな?」

 Tシャツ ショートパンツ マリンシューズ

 色々いろいろ 何のイロ?

 さあさあ! 街へ出かけよう


 曲作りにおいて梗子が最も重視したのが、いかにメルルファの興味を惹き、その「心」を掴むかという事である。

『水晶の友達なら、歳も大体同じくらいだろ。小さな女の子に楽しんでもらうんだからさ、あんまり難しい言葉は使わずに、ポップでキュートな軽いノリのロックにしようぜ!』

 こうした梗子の発案により、「悲しみに沈むメルルファを地上に溢れる生の楽しみにいざなう」という曲のテーマが決定したのだった。

 代わって水晶が、子供らしい伸びやかな声でBメロの前半を歌い上げる。


 「今日は何を食べようかな?」

 クレープ アイス かき氷

 ティラミス パンナコッタ アサイーボール!


 作詞にあたっては、梗子が原案を作り水晶や他のメンバーがそれに意見を出すという形がとられた。

『梗子様。この間、まりかさんと一緒に食べたアサイーボールが美味しかったので、歌詞に入れてもよろしいでしょうか』

『おう! 入れろ入れろ!』

 このようにして作業が進められたため、歌詞の至るところに水晶の好みや意思が反映されている。 


 買い食い上等! 血圧上昇!


 血が沸き立つような高揚感に、梗子が拳を突き上げ、水晶が両翼を広げて飛び跳ねる。


 満腹 感服 食い倒れ!


 カラフルな音の粒が、ステージ上空で炸裂した。 

「――――!」

 高度な演奏技術に裏打ちされた強烈な思念の塊が、高密度の熱気となってメルルファをみっちりと包み込み、灰色に沈んでいた幽世を淡い光でライトアップする。

 タムとシンバルの高速連打による痺れるようなフィルインを経て、曲はいよいよサビに突入する。


 愉悦 満悦 悦楽 享楽

 「刹那的」って馬鹿にするけど

 それが誰かを笑顔にするなら

 存在価値レーゾンデートル 天井知らず!


 賑やかな楽の音に誘われて、海のあやかしや精霊たちが姿を現した。一切の邪念が無い情熱的なバンド演奏に、珍しい物好きの海の妖たちはすぐに警戒心を捨てて、結界の外側で踊り始める。


 知恵と勇気と工夫に努力

 「諸行無常」って遠ざけるけど


 陽気が更なる陽気を呼び、結界の周辺はあっという間に無数の化生けしょうの者たちで埋め尽くされていく。


 誰かの愛が宿っているなら

 私は 私という「かたち」で

 ひと粒残らず全部 味わい尽くしたい!


 巨大な龍が、波飛沫と共に姿を現した。雷鳴の如き咆哮を一帯に轟かせながら、長い胴体をしならせて、美しい幾何学模様の結界へと迫り来る――





「……あれは、木更津の萩緒だな。少なくとも、演奏の邪魔をするつもりは無いらしい」

 萩色のたてがみを持つ龍が船の上空で狂喜乱舞するの眺めながら、少年の姿になった蘇芳が失笑した。

 蘇芳は現在、巡視船「あずま」の数百メートル西側を、潮路の並走しながら、その神霊力を駆使して演奏を見守っているところである。

「人間の目がある中で、ああも容易たやすく本性を晒すとは。あれでは、龍神の威厳も何もあったものでは無いな!」

 首を振りながら大袈裟に肩を竦める蘇芳に、本性であるアオウミガメの姿になった潮路が問いかけた。

「はてさて。それは、どなたの事でありましょう」

「……それは、どういう意味だ?」

「いいえ、何でもありませぬ」

「何でもない事はないだろ、コラ」

「しかし、蘇芳様。本当に、もっと近くに寄らなくとも宜しいのですか」

 自分の主と同僚がバチバチに視線をぶつけ合うのに頓着せず、黒瀬が蘇芳に訊ねた。黒瀬もまた、彼の本性であるホシザメの姿に戻った上で潮路に並走している。

「まりか様のご活躍をご覧になられるのをあれほどまでに楽しみにされていたのですから、もう少しくらい接近しても宜しいのではないかと」

「まあ、正直、あの結界内に侵入して真正面から声援を送りたい気持ちは大いにあるのだがな」

 蘇芳が、少年の顔に寂しげな笑みを浮かべた。 

「まりかが……我が弟子が、超常の力に頼ることなく、仲間と共に困難を乗り越えようとしておるのだ。その努力を毀損したいなどと願う師が、どこにおるというのだ」

「左様でございます」

 潮路が、潤んだ瞳で幾何学模様の向こう側を見つめながら、カメの首を縦に振った。

「あれ程までにご立派にご成長されたのです。我らの存在など、今のお嬢様にはお邪魔虫にしかなりませぬ」

「うむ……」

 黒瀬もまた、ホシサメの目を細めて、杖術の弟子であり、かつては「じいや」と呼び慕ってくれたまりかの成長を静かに噛み締める。

「尊い……尊い……!」

 そして、蘇芳たちよりも船に近い海面では、伊勢海老の多聞丸が、水晶の愛くるしい歌声に咽び泣きながら10本の脚を合掌させるのだった。





 梗子の超絶技巧が光るギターソロが終わると、今度は水晶が、可憐な声で2番のAメロを歌い始めた。


 「今日は誰と会おうかな?」

 ジャンパースカートにヘアアクセ

 ちょっとオマセに着飾って

 さあさあ! 街へ繰り出そう


 変則的なコード進行と、軽やかに弾むピアノの旋律。歌声や表情、身振りではありったけの喜びを表現しながらも、心の中では、隠しだての無い真摯な言葉で、切々とメルルファに語りかける。

(聞いて、メルルファ。この世界は、楽しい事だけではないの。辛い事や苦しい事、口にするのもおぞましい事だって沢山ある。そうでなければ、私たちは生まれなかったのだから)


 「君と何処へ行こうかな?」

 遊園地 水族館 ショッピングモール


(私は、悪鬼羅刹を滅ぼすため。あなたは、地上に混乱をもたらすため。明確な目的のもと、人の手によって創造された存在。そう、まるで正反対で、それでいて似た者同士の私たち)

 

 真夏のビーチ 菜の花畑!

 あっち! こっち! どっち? そっち!?

 電池が切れて バタンキュー!


(でもね、メルルファ。断言するわ)

 ひたすらに朗らかな曲と歌詞の中に、この数ヶ月の人生で得た、ありとあらゆる喜怒哀楽を注ぎ込む。

(どのように生まれたかなんて、そんな事は関係無いのよ!)

「ッ!!」

 歌声と共にぶつけられた感情の爆発に、縦波で構成されたメルルファの身体が大きく震えた。その衝撃で、悲しくも美しかったはずの歌声に小さなブレが生じる。

「…………ぁ」

 自我を持たず、現象としての怪異に過ぎなかったはずのメルルファの中に、今、確実に何かが芽生えようとしていた。


 親切 気遣い 誠意 人情

 「裏がある」って疑うけれど

 億にひとつ 「本当」があるなら

 全部まとめてかかって来いや!


 梗子と見事に声を調和させて歌いながら、水晶は生まれてから今日までに出会った様々な存在を脳裏に閃かせていく。

(まりかさんとカナさん、キヌちゃんとタマちゃんとトネちゃん、それに――)

 そして、最後に思い浮かべるのは。

(――梗子様と楓様、そして、我が主・明様。大切な人たちと積み重ねてきた、この日々が全て)

 最も敬愛すべき主の気配を背中で感じながら、未だ独りで彷徨い続けるメルルファに想いを強く傾ける。


 友情 愛情 絆に御縁

 「儚いから」って突き放すけど


(メルルファ、お友達になりましょう。そして、共に日々を積み重ねるの。それはきっと、かけがえのない宝物になるはずだから)


 私の心には永遠に残るから

 私は 私という「かたち」で

 あなたの全てを抱き締めてあげたい!


「…………?」

 曲調が、暗転した。シンバルは鳴りを潜め、ピアノの仄暗い旋律がステージ上に侘びしく響く。

 まるで戸惑うかのように、結界上部の空間をメルルファの歌声が右往左往する。


 言われなくたって理解かってる

 「かたち」は偽り 欺き 惑わす


 水晶は、メルルファに起きた変化を敏感に察知しながらも、事前の打ち合わせ通り、感情を削ぎ落とした声で歌い続けた。


『未だ魂を持たないメルルファの心を鷲掴みにするためには、明るさ一辺倒の薄っぺらい曲じゃあ駄目だ』

 不穏な歌詞に懸念を示した水晶に対し、梗子はキッパリとした口調で説明した。

『〈夢幻の国〉がそうであるように、どす黒い要素を容赦無くぶち込むことで、物語ストーリー全体に深みと説得力を持たせることが出来るんだよ』

 そう言って、蛇の鱗が薄っすらと覆う手を、水晶の翼に優しく添えたのだ。

『もしも、メルルファが怯えてしまったとしても、その時はお前が手を差し伸べてやればいい。メルルファは必ず、その手を掴むはずだから』


 あの時、初めて自分に触れてくれた梗子の手の温度を思い出しながら、水晶は両翼を上空に差し伸べる。

 そして、渾身の想いを「叫び」と共に解き放った。


 だから私は見つめ続ける

 「かたち」の奥底に潜む あなたの心を 魂を!


〈タマシイヲ……タマシイヲ……タマシイヲ……!〉

 結界上部で、水晶の放った「魂」という言葉が反響した。

「あ、まし、い」

 強い思念を含んだ濃密な熱気と共に、「魂」という言葉と、その意味が、メルルファの内部で指数関数的に増幅する。  

 そして、曲調が元に戻り、賑やかな間奏が流れる中、ついに、無数の光の粒がメルルファの内部で凝縮し始めた。

(魂が……!)

 水晶は、全身が歓喜に打ち震えそうになるのをどうにかこらえると、梗子やまりか、明と目配せを交わし、メルルファに「かたち」を与えるための最後の総仕上げに取り掛かった。

 

 視覚 嗅覚 触覚 味覚

 さあ! 未知の海へ漕ぎ出そう!

 海図も羅針盤も無いけれど

 闇夜に輝く 灯火とうかのように

 私があなたを導くから!


 私が船を造ってあげる!

 この大海を征く あなたの「かたち」を! 


 音の粒のひとつひとつ、振動の隅々にまで強い思念が行き渡ったダイナミックな大サビに、生まれたての魂は直視が叶わぬほどにその輝きを増していく。

(今なら、伝わる。リズムや旋律で飾らない、私自身の言葉が……!)

 水晶は強く意気込むと、眩い光芒を放つメルルファの魂にあらん限りの声量で呼びかけた。

「メルルファ! 私ね、あなたに相応しい『かたち』を決めるために、色んなことを考えたり、勉強したりしたの!」


『我が主よ。佐渡島というのは、どんな所なのでしょうか』

『そうだな……まず思い浮かぶのは、この朱鷺っていう鳥かな』


「でもね、この世界には数え切れないほどの素敵な色や形が溢れ返っていて、調べたり考えたりする程に分からなくなってしまって……」


『わあ! 綺麗な色!』

『朱鷺色だね。鼠色や狐色みたいに、生き物の名前がそのまま色の名前になったんだよ』


「だからね、私決めたの。私が好きだと思った色や形で、あなたの『かたち』を創ろうって」


『ひと口に鳥と言っても、陸地の鳥たちは脚の形が全然違いますね。枝を掴んだり地面を走ったり出来るのは、ちょっと羨ましいです』

『でも、水晶の海鳥の脚だって可愛いと思うよ』

『そっ……あ、ありがとうございます』


 寄り添うように流れるピアノの旋律に耳を傾けながら、水晶は改めて、両翼を上空に差し伸べた。

「これは、私からあなたへの最初のプレゼント。どうか、受け取ってほしい」

 そう叫んで目を瞑ると、幾度となく想像し、夢にまで見たメルルファの「かたち」を強く念じる。

(朱鷺色の翼、叡智をたたえた梟の瞳、流麗な弧を描くシギの長いくちばし、尾長鶏の優雅な尾羽――)

 可能な限り明瞭な像として思い描くと同時に、具体的な言葉による表現を心の中に響かせる。

「――メルルファ!」

 そして、もう一度メルルファに強く呼びかけると、曲の締め括りの歌詞であり、曲名でもある台詞を、梗子と共に力強い笑顔で斉唱したのだった。

「〈that'sザッツ yourユア shapeシェイプ!〉」

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