第2話 眼前に迫る死

 目を開くと、澄み渡るような青い空と鬱蒼と茂る森が広がっていた。


「こ、ここは?」


 先程までいた部屋とは全く違う青空。

 空を見上げたカミトは愕然とした。


「朝なのに月が二つ? ど、どういう事だ……」


 カミトは猛烈に湧き上がる寒気に身震いをした。まさか……と、過ぎった思考を振り払い立ち上がると、息を潜めて森の出口を目指し歩き始めた。


「ゲームの中か? だけど五感はしっかりある。夢にしては──」


 そう言いながら頬を引っ張ると、ジクジクとした痛みが頬から脳へ流れていく。

(やはり夢じゃない……新たに開発されたVRゲームか?)

 そんな推測をするが、木々が揺れる音、地面を蹴った際の土の音、遠くで鳴く鳥の声に風の吹き抜ける音、どう考えても今の技術では不可能な領域まで細々と再現されていた。


 それでもカミトは、脳裏にちらつく『この世界がゲームではなく現実なのでは』という可能性を肯定することは出来なかった。


「早く森から出よう」


 カミトは早足で目についた方向へ向かって適当に歩く。

 出口がどちらにあるか分からないのだから仕方がない。

 しかし、カミトの足音に合わせるように何かがだんだんと近づいてきている音がする。それに気がついた彼はすぐに背後へ振り向いた。


「だれだっ!」

「ギシャシャシャ」


 カミトの背後をつけてきたのは人ではなかった。

 カミトの身長の半分以下の背丈の生物。肌は周囲に生えている植物の葉より深い緑、むき出しの牙はナイフのように尖って、目つきはカミトを餌としか見ていない獣の瞳。


 ゲーム好きのカミトだから即座に分かった。デフォルメされたゲームのデザインより遥かにグロテスクだがこれはゴブリンだと……。


「ご、ゴブリンか。ゴブリン程度なら」


 カミトは側に生えていた木の枝をへし折ると、ゴブリンへ向ける。

(ゴブリンは序盤に出てくる魔物……今の俺でも勝てるはずだ)


 しかしカミトは突然の状況に困惑して大切な事を失念していた。

 自分が《Very Hard》を選択していたという事実を──。

 その事実は激痛としてカミトを襲う。

 カミトには認識できない速度でゴブリンは動くと、鋭い爪でカミトの体を切り裂く。同時に彼の体からは鮮血が飛び散った。


「かはっ……!」


 全身に強い衝撃と文字通り体を引きされるような激痛が走る。衝撃は凄まじくカミトは十メートル近く吹き飛び、大きな大木に強く激突した。

 木に激突したカミトの口から漏れ出した赤い液体が彼の足元を赤く染め、朦朧とした意識の中カミトは必死に立ち上がり、フラフラとゴブリンから逃げる。


 止まれば死ぬ。捕まれば死ぬ。──逃げても死ぬ。

 大量出血をしている以上、どれだけ足掻いても死ぬことは目に見えていた。

 それでもカミトは傷口を押さえ逃げる。


 先程までこの世界はゲームの中では、と疑っていたがそんな状況ではない。流れ出てくる血が、激痛が、この世界はゲームでも夢でもない現実(リアル)だと強く主張していた。


「はぁはぁ……もう、無理だ」


 肉体的にも精神的にも限界が来ていたカミトはその場に四つ這いになり、血液を垂らしながら肩を揺らす。

 背後から追ってきたゴブリンが近づいてくる足音が響き、カミトは死を覚悟した。

 次の瞬間、カミトを取り囲む様に周囲から赤い光が放たれる。


「「「「ファイアー‼」」」」


 四方から生まれた火球がカミトの頭上を通り抜け、背後にいたゴブリンに炸裂する。

 ゴブリンの絶叫が森に響くのと同時にゴブリンへ向かって複数人の騎士のような服を着た人間が剣を持って突撃する。


「殺せぇぇぇ!」


 騎士達の剣に刺されたゴブリンは瞳を血走らせ、一人の騎士の腸に拳を叩き込む。


「ぐはっ……‼」


 妙に水っけの多い破裂音が響き、騎士の一人が大きく吹き飛んだ。

 見れば殴られた騎士の鎧は大きく歪み、歪んだ鎧自体が騎士を圧迫させて苦しめていた。


「構うなっ! 殺せ! 殺すんだ!」


 騎士の一人が叫ぶと、再度騎士達の剣がゴブリンに振り下ろす──そしてゴブリンは力尽きた。


「大丈夫か⁉」


 騎士の一人がカミトに駆け寄り、彼を抱き起こすと、カミトの患部を覗き込んだ。

 カミトの体は右肩から左脇下まで大きく裂けている。どう見ても致命傷、大量出血の影響もあり彼の余命はあと数分といったところだろう。

 しかし騎士さして悲観した様子もなく他の騎士に声をかける。


「これは酷い。回復薬を!」

「しかし……ここまでの道中で回復薬はほとんど……」

「いいから出せ! 市民を殺させはしない」


 騎士同士の会話が意識の途絶える寸前だったカミトの頭に響き、彼はその場で意識を失った。



 再び意識を取り戻すと、カミトは体をガタゴトと揺さぶられる感覚を覚えた。

 目を開くと、木目状の天井、硬い地面にぶつかり車輪が空回りする音、そして馬の鳴き声。それらを聞いてカミトは今馬車の上にいると知った。


 恐らく先程の騎士が馬車に乗せてくれたのだろう。実際周囲を見渡せば疲れ果てた顔の男や顔を押さえ鳴き声をあげる女性が座っていた。


「よぉ。目が覚めたか」


 声がした方へ顔を向けると、一人の騎士がカミトを睨みつけている。

 まるで親の仇を見るかのような視線にカミトは苦笑いをする。


「……何笑ってんだよ。市民は街から出るな。子供でも知っているお触れがでているだろ。知らないとは言わせねぇぞ」


 明らかに喧嘩を売るような言い方にカミトは即座に反論する。


「そんな事言われても知らないんだから仕方がないだろ。気が付いたらあの森の中にいたんだぞ⁉」

「はっ。どうだか。それに助けてやったのにお礼も無しか?」

「……あ、ありがとう、ございます」

「チッ」


 騎士は不機嫌そうに顔を逸らすと、カミトから少し離れた床に視線を移した。そんな彼の視線を辿りカミトは自分のすぐ右隣に顔を向ける。


「あっ……」


 死。

 ついさっきまで無縁だった存在が目の前に転がっていた。

 恐らく先程カミトを助ける際にゴブリンの一撃を受けた騎士の一人だろう。顔は苦痛に満ちた表情で固まっており、見るに堪えない姿だった。

 気がつくと、カミトの心拍数は全力で走った後のように早くなっていた。


「おい」


 息を切らすカミトへ先程の騎士から声が掛かる。騎士の方へ顔を向けると、カミトの顔面に拳が飛んできた。

 声をあげる間もなく吹き飛んだカミトは馬車の壁に激突し目を回した。その間に騎士はカミトの胸ぐらを掴み上げる。


「なにビビってんだよ。こいつはお前が殺したんだよ。お前の無知さが、無能さが、非力さがこいつを殺したんだよ。一丁前に無関係ぶってるんじゃねぇぞ!」

「辞めないか! エドガー。騎士団に入った以上こうなるのは時間の問題だっただろう」


 一人の体格の大きな騎士がエドガーの肩を掴み、カミトへの攻撃を辞めさせた。


「チッ」


 エドガーは不機嫌そうにカミトを押し飛ばすと怒りを隠す事無くカミトから離れ外の景色を眺める。

 カミトにフォローを入れた騎士はそんな彼をチラリと見た後カミトへ視線を向けた。


「まぁ気にするな。人死なんてこの世界じゃよくあることだろ。エドガーは親友を失ってカリカリしてるんだ」

「……そうなのか。悪い……俺のせい、だよな」

「まぁエドガーのことは俺達に任せろ。それよりお前だ。なぜ街から遠く離れた森の中にいた?」

「……分からないんだ。気が付いたらあの場所にいた。証明出来るものは何もないけど」


 あまりにも虫がいい話だとは思ったが事実がこれなのだから仕方がない。自分の証言を証明出来る手段がない事に悔しさを感じつつ、せめて真摯な態度でいようと、騎士の瞳を真っ直ぐ見た。

 すると騎士はフッと微笑んだ。


「大丈夫だ。鑑定の水晶がある。お前の能力を確認して魔族側ではない証明ができれば問題がない。精神性の記憶喪失に魔物にやられた奴、記憶がないやつなんて珍しくもない」

「そうか……」


(一体どんな世界なんだ? 平気で人死が出る世界って尋常じゃないぞ)

 そんな警戒をしながらカミトは騎士が持ってきた緋色の水晶に視線を向けた。


「それは?」

「これが鑑定の水晶だ。お前の名前、年齢、種族、保有能力、そしてレベルなどの情報を開示させる物だ。これに手を添えろ」


 周りの騎士達が息を潜め見守る中、カミトは鑑定の水晶へ手を伸ばした。水晶は淡く光り始めると、水晶内に未知の言語が浮かび上がる。


「カミト、一七歳、人間、剣術中級、魔術初級、そしてレベル一。問題はなさそうだな。森にいたのは大方街に侵入した魔物に攫われ、あの森の中まで運ばれた。とかそんな理由だろう」


 騎士は鑑定の水晶を再び持ち上げると、馬車の奥へ持ち運ぶ。

 その様子を見ながらカミトは疑問に思っていた。

(おかしい。スキルとして、タイムディレイも取得したはずだ。鑑定の水晶には映らないのか?)


 余計なことを口にするのはマズイ。そんな気持ちがあったため黙りこくっていると、鑑定の水晶を収納してきた騎士がカミトの前に座り込んだ。


「まぁ安心しろ。街まではもうすぐだ。着けばすぐに開放する。その後は自分の仕事に戻るんだな。もう街から出るなよ」

「あ、あぁ。すまなかった」


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