一章 9.尾行
「じゃあ、またね。また連絡するね」
頼子は、三月最終の金曜日、決算日の今日、処理した伝票整理や欠品商品の納品予定の確認と、得意先への連絡に追われていた。
やっと業務を終えて、高校時代の友達と花見と称して、飲み会に行った。
友達と別れて自宅に帰る途中、頼子は飲食店街で景子を見つけた。
居酒屋から出て来たところだった。
誰かと一緒だったのだろうか、店先にひとりで立っていた。
頼子は、高校時代から何人かの彼氏と付き合っていた。
同じ高校の男の子だったり、アルバイト先の先輩と付き合ったり別れたりしてきた。
試験前には勉強もするが、普段は、映画に行ったり、ゲームセンターで遊ぶのが好きな、ごく普通の女の子だった。
家庭も有り余るほどお金がある訳ではないが、大学へ進学できる程度の余裕はあった。
勉強はあまり好きではなかったし、成績も自慢できる程ではなかったので、地元の私立大学へ進学した。
頼子は、大学を卒業すると、寺井物産への就職が内定していた。
しかし、寺井物産は、頼子が卒業する直前に花宮水産へ売却されてしまった。
その時に、寺井物産に就職が内定していたのは、頼子を含めて三人だった。
三人とも、花宮水産に引継がれ、なんとか頼子は就職浪人をしなくて済んだのだった。
会社の規模も、寺井物産より大きく、条件も決して悪くはなかった。
しかし、四月になって、実際に仕事に就いた時に、違和感を覚えた。
結局、六ヶ月足らずで退職してしまった。
その後、地元の派遣会社に登録していたが、なかなか派遣先が決まらず、一年近く、アルバイトの掛け持ちで、やっと食べていた。
もちろん、足りない時は、実家からの応援に頼っていた。
頼子の実家は、徳島県の西の端に近い小さな町だ。
やっと一年契約で、派遣先が決まり、仕事に慣れた頃、派遣先の契約期間満了になった。
それでも、業務は一生懸命取組み、なんとか無事に終えた。
その後、派遣会社から、派遣先を紹介してもらったのが、木島薬品で、二年前から派遣社員として勤務していた。
木島薬品での頼子の業務は、得意先の受注係だった。
得意先から注文の電話を受けると、伝票を作成して倉庫係へ出庫伝票を渡すというのが主な作業だった。
頼子が受け持っている得意先は、専用伝票先ばかりだった。
出力伝票と専用伝票を照合し、提出した専用請求書と得意先元帳を一致させておかなければならない。
得意先元帳は、金庫室に保管しているので、いつも景子に金庫室を開けてもらっていた。会社内でも親しい方だった。
最初に勤めだした時から気付いていたのだが、実を云うと、頼子は、景子と弥生の二人と、同じ高校の同じ学年だった。
景子さんは、情報処理科、弥生さんは、商業科、そして、頼子は、普通科だった。
思わず「景子さ」声を掛けようとした時、女性が出て来た。
あの人は寺井社長。
でも、どうして景子が、寺井社長と一緒にいるのだろう。
頼子は、なんの躊躇いもなく、二人の後を追った。
頼子はしっかりと覚えている。
寺井社長は、頼子とさほど年齢が違わないのに、会社の社長をしている。
どこか垢抜けた美人だった。
今もあの時のままだ。
頼子は、二人の後を追いながら思っていた。
今、景子と一緒に、微笑みながら歩いている寺井社長は、何故か親しみやすい、柔らかな雰囲気が漂っていることに驚いていた。
駅から少し離れたマンションへ、二人が入って行った。
頼子は、二時間ほどそのマンションの前で、何を企む訳でもなく佇んでいたのだが、どちらも出てこなかった。
もちろん、別の出入口があるのかもしれないけれど。
翌日、会社はお休みだ。
このまま二人が出て来るまで待とうかと思い迷った。
しかし、ここが景子か、寺井社長の、どちらかのマンションだということは分ったし、何か、二人の秘密を知ったような気分を味わえた。
もう帰ろうと思い、歩きかけた時だった。
「あの二人、知ってるんですか?後、付けてましたね」
頼子は突然声を掛けられて驚いていた。
確かに二人の後を付けていた。
それをまた、誰かに見られていたのが分って恐ろしくなった。
「い、いいえ。知りません」頼子は咄嗟に嘘をついた。
男は、穏やかに話しかけてきた。
「大丈夫です。強盗やないです。痴漢でもないです。石鎚山銀行へ勤めています」
おどけたように頼子に云った。
「石鎚山銀行」
「ええ。横山と言います」
「あなたも木島薬品に勤めているのですか?」
頼子は怖かったが、横山と名乗られたことで少し安心した。
しかし、石鎚山銀行のよこやま、と云えば、景子の元彼だ。
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