深いところに潜るよーそして彼は消えたー

花彩水奈子

第一話 失踪した友人

「『深いところに潜るよー』」

 そう言い残した友人は、大学の同級生だった。

 突然アパートに訪ねてきて、風間乙矢はそれだけを言い残して去って行った。そして、その日から行方不明になった。

 深いところとは、どういう意味だったのだろう。比喩的な表現で、いわゆる表社会から失踪するという決意だったのか。それとも物理的な表現で、本当に地下深くで暮らしたりしているのか。

 あいつの性格上、後者な気がする。どこかスマホの電波の届かない地下の物件で、元気に暮らしている……のか?

 まさか次の日から本当に消息を絶つとは思わなかった。今から思えば、あの時、あいつは何か言いたげだった。

 どうしてもっと話を聞かなかったんだろう。

 後悔がある。だから俺は、あいつの行方を追う。


 乙矢の失踪から一週間後、アパートのチャイムが鳴って玄関を開けると、こげ茶色の大きな瞳に涙をにじませながら、ツインテールの美少女が立っていた。

「あたし風間ミキって言います。お兄ちゃんを探しています。何かお兄ちゃんが残した手掛かりはありませんか?」

 俺も失踪した乙矢も大学一年だから、妹ということは、高校生くらいか。


 乙矢に妹がいるとは知らなかった。乙矢とは小学校から大学までずっと同じ学校に通っているが、良く話すようになったのは、クラスが一緒になった高校生になってからだった。

 今では親友と言える仲だが、乙矢は基本的に無口で受け身な性格なので、こちらが聞いたことにはなんでも答えてくれるが、こちらが聞かないことについては自分からは話さないタイプだ。

 親友と言いながらも、実際は乙矢について俺は知らないことの方が多いのだろう。

「ねえ、お兄ちゃんが部屋に残したメモに、あなたの名前があったの。“俺の居場所は白石圭吾が知っている”って」

 妹はノートの切れ端のようなメモを渡した。確かにそう書いてある。あいつの字のようだ。

「ごめん。そうはいっても、何も知らないんだ」

 俺がその言葉を告げた時の、妹の絶望した表情と言ったら。それでも、目に涙を浮かべながらも、圧の感じる強い眼差しを向けて立っている。

 俺だってこの一週間、心当たりの場所はすべて探した。もちろん乙矢の実家の両親にも話を聞いた。大学の同級生たちにも話を聞いた。でもわからなかった。これ以上どうすればいいのか。

「乙矢のおばさんが警察に捜索願出してるし、後は警察に任せた方が・・・」

「警察?お兄ちゃんの書き置きがあって、家出の可能性が高いから、事件性はないからって、あんまり本気で探してもらえないの。後は、白石くんだけが頼りなんだよ」

 妹は、引く感じではない。なぜか“くん”付けで、前のめりに押してくる。

「お願い。なんでもいいから思い出して。何かお兄ちゃんが残した手掛かりはないか」

「わかったよ、協力するよ。俺もあいつのことは探したいんだ。一緒に考えよう」

妹が可愛いから応じたわけではない、断じて。

 しかし、手掛かりなんかあったか。やっぱりあれか?“深いところに潜るよー”ってやつか?

「深いところ?お兄ちゃんそんなこと言ってたんだ。どういう意味かな」

「わからない」

「他には何か残してない?お兄ちゃんから何か失踪前に渡されたものとか、預かったものとか、よく考えてみて。何かあるはずよ」

「特に何も…いや、でも」

“おまえに今まで借りていたもの全部返すな”

 そう言われて、高校の頃から貸していた俺のものを全て返してもらったけど。

「それだわ。ちょっと見せて」

「え、別にたいしたものじゃ。ボールペン、漫画本、CD、ノートだったかな」

「いいから貸して」

 乙矢から返された紙袋のまま、部屋の片隅に放置してあったそれをミキに渡すと、彼女は徹底的に調べ始めた。

 ボールペンは分解すると、中から付箋紙が。漫画本のカバー裏に付箋紙が。CDにも中に付箋紙が。ノートの裏表紙にも付箋紙が。

「やっぱりあったじゃない」

 ミキは出てきた4枚の付箋紙を並べた。それぞれには、『アノ』『エキ』『ウミ』『イナカ』と書いてある。

「なんだよこれ…」

 まさか、こんなものが隠してあったとは思わず、俺は心底驚いた。

「お兄ちゃん、なんでこんな暗号みたいなの。意味わかんない。わかんなかったら結局手掛かりないのと変わんないわ」

 ミキも絶望したようにうなだれた。

「何かまたわかったことがあったら教えてくれる?」

「ああ、もちろん」


 妹が俺のアパートから帰った後に、俺は早速、乙矢の実家に電話を入れた。出たのは乙矢の親父さんだった。

「こんにちは、白石です。今、乙矢の妹さんがうちに来ましたよ」

 よかれと思って話したのだが、親父さんは怪訝そうに答えた。

「乙矢に妹なんていないよ」

……え?ええええええええ、マジか?じゃあ誰だよ。

「あの……妹のような存在の女の子とかは?ミキちゃんって言うんですが」

「ミキ?聞いたことないね」

 マジで?じゃあ、さっきのあいつは一体誰だ?

 俺は、身体の底から震えあがった。誰だかわからない相手に、大事な友人が残したメモを渡してしまった。


 そこへ再びチャイムが鳴った。ミキだった。

「やっぱりさっきの紙、もう少し考えてみ……」

「お前は誰だ?」

 俺は玄関先でミキの胸元にナイフを突き付けて脅した。

「乙矢の親父さんに聞いたんだ。妹なんかいないって」

「きゃーーーー!」

 大声で叫んだのは、ミキではなく近所の人だった。すぐに目撃者に通報されて、警察官に駆け付けられてしまった。

 あたふたする俺とは裏腹に、ミキは余裕を見せて、駆け付けた警察官たちに、

「やだなあ。劇の練習ですよ。びっくりさせてすみません」

 そう言って、ミキは俺の待っていたナイフがマジック用の偽ナイフであることを説明してくれたので、警察官には厳重注意されただけで助かった。

「困るよ君たち。一応、住所と名前、教えて」

 俺とミキが答えると、警察官たちは、やれやれと言って帰って行った。

 この機会に、ミキのなりすましについて、警察に言おうかと思ったが、ミキが俺を庇う様子を見たら、何か事情があったのかな、怪しい子じゃないのかな、という感情が湧いてきて、何も言えなくなった。

 いきなり脅して悪かったな。本人に話を聞いてみよう。そう思う俺を、ミキは睨み上げた。

「こんなおもちゃ、一目で偽物だとわかったわ。あたしを脅してどうするつもりだったの?白石くんはこれであたしに借りができたわね。これからもあたしに協力してもらうわよ」

 女とは思えないような低い声で、ミキが言った。

 ん?ちょっと待て、ちょっと待て、もしかして?

「男なのか?おまえ妹じゃなくて弟?」

 言われてみれば、女の子にしては筋肉があるようだ。

 改めてまじまじと見る俺の額をミキは指ではじいた。

「いてっ」

「性別なんて意味あるのかな?一度しかない人生なんだから、そんなカテゴライズしないで好きに生きたらいいと思わない?」

 そうなのか。乙矢の両親にもう一度聞かなければ。弟居ますかって。

 ミキを疑う気持ちのままではもやもやするので、俺がその場で乙矢の実家に電話すると、今度はおばさんが出た。

「あ、おばさん?白石ですけど、もしかして、乙矢には弟がいますか?」

「いますよ」

「名前って、ミキ……?」

「ああ、嫌だわ。美樹って書いて、よしきなのよ」

「その……女っぽい服装とか言葉とか使ったりしてます?」

「そうなのよ~困ってて。お父さんはそのこと知らないのよ。私もねえ、一時的なものかしらって思ってるんだけどね。名前のせいかしらね。でもそれが何か?」

「いえ、なんでもないです。ありがとうございました。また何かわかったら連絡します」

 乙矢に弟がいたとは。今はどう見ても妹になっているってことも、ミキと名乗ってるってことも、親父さんは知らなかったんだな。

 俺は改めて、弟・・・いや、個性を認めよう。妹と、もう一度あの紙を見直した。

「疑ってごめんな、ミキ。あの紙、見せてくれるか?ちゃんと考えよう」

 俺たちはあの四枚の付箋紙をもう一度眺めた。順番を入れ替えたりひっくり返したりしてみる。

「アノ」「エキ」「ウミ」「イナカ」

 あの駅、海、田舎?

 頭文字は、アイウエか。オだけない。おなし……小名氏?

 この近所に小名氏駅もあるし、駅の目の前には小名氏海岸と言う海もある。それにここは田舎だ。

 アイウエという頭文字以外の言葉だけ抽出すると、ノキミナカ?いや、キミノナカ?

 そうだ、小名氏海岸から海に潜ると、喜美野中という有名なダイビングスポットが確かあった。高校の頃、乙矢と一緒に潜ったことがある。

 喜美野中に、大事な何かを隠した、そういうことか?

 深く潜るっていうのは、ダイビングのことだったのだ。昔から乙矢はダイビングをしていた。

 あそこへ行ってみるか。

 小名氏海岸のダイビングスポットは、夏は賑わっているが、冬に潜る奴はそうそういない。喜美野中の海中に何か隠したのなら、気付かれてはいないだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る