第17話 出会いと旅の終わり2

「お客さん、起きてくださーい。もう閉館のお時間ですよ〜」


「はっ!?」


完全に意識が覚醒した。

瞬間、シュバッと起き上がって、声をかけてきた女性から距離を取る。


身体が反射的に彩咲の関係者で僕を見つけてしまった人かもしれないと判断して、警戒態勢をとってしまったのだ。



目の前の彼女をよく見てみると、シルバーアッシュに染められたウルフカットの髪を小さくなびかせて、クリクリとした大きな目を不思議そうに見開いて首を傾げながらこちらを見つめていた。

若く可愛らしい見た目に反して、目の下には黒ずんだ隈が浮かんでいて、それなりの疲労が溜まっているのが伺える。


女性は青い作務衣のような衣装を身につけている。

この衣装は多分、この銭湯の従業員の方だろう。

さっきまで入ってた風呂でも、お湯の温度を測ってたり見回りをしているのを見かけた記憶がある。



警戒はそのまま、彼女から視線を外して周囲を確認してみると、今いる場所は自分が眠りに入った記憶のある畳の間に変わりなく、他のお客さんは誰も居ないこととガラス張りの窓からは外が真っ暗で、すでに完全に夜になっていることだけがわかった。



......どうやら彩咲の関係者じゃなさそうだ。


とうか考えてみれば彩咲の関係者なら、僕がのんきに寝ている間にクスリでも打って即持ち帰っていたことだろう。

こうしてわざわざここで起こしてもらえるはずもない。


寝起きの一発目に急激に動いたことと、油断していた焦りとでバクバクと早鐘を打つ心臓を深呼吸で落ち着かせる。


何度目かの息を吐き出したころ、ずっと不思議そうにこちらを見ていた目の前の銀髪女性が口を開いた。


「あ、あの......? 大丈夫ですか? ......寝起きで混乱されているところ大変申し訳ないのですが、この銭湯はもう閉館のお時間ですので、そろそろお会計をお願いできますでしょうか?」



伝えられた内容は普通の業務連絡でしかない。


だけど間違いなくさっき僕を起こしてくれた優しく柔らかく、懐かしさを覚える声だった。


依然としてその懐かしさの原因はわからないけど、ともかくその女性に伝えられた「閉館時間だから出ないといけない」という事実は、ようやく頭の中で処理されたようで、慌てて荷物を持って立ち上がる。

荷物と言っても、道中購入した数着の衣服が入ったかばんだけなんだけど。


「あの、起こしてくださってありがとうございます。それと、ギリギリまで居座ってしまってすみませんでした......」


「えっ? あ、はい......」


なんだか煮え切らない返事を返す彼女の胸元に着けられたネームプレートを見る。

するとそこには『星迎真霜ほしむかえましも』と印字されている。


声に感じた懐かしさの正体に繋がるかもしれないと思って興味を持ってみたんだけど、残念ながら僕には「星迎」という苗字の知り合いには生まれてこの方出会ったこともない。


どうやらただの気のせいだったらしい。


変に声をかけたりしなくてよかった。

危うく初対面で「あなたの声に懐かしさを感じました。僕たち過去にどこかで会ってませんか?」なんて尋ねるヤバいナンパ野郎になってしまうところだった。



「それじゃあ、行きますね。ありがとうございました」



星迎さんにペコリと頭を下げて、レジの方に向かおうとした。

そのとき。



「あ、あの!」


自分の背後で星迎さんの声がする。


ドキッとする。

照れるとかそういうのじゃなく、背後から不意打ち気味に声をかけられたらびっくりするでしょう?


僕は特に彩咲が気づいたときにいつの間にか背後に居て、急に声をかけられてびっくりした経験がありすぎて、余計に反射的にビクついてしまうのもある。



さっき確認したときに周囲に人が居ないのは確認していたから、この声掛けは多分僕に対してのものだろう。

なんの要件だろうか......?



「は、はい? なんでしょうか......?」


おそるおそる背後を向き直って星迎さんの表情を見てみる。

不安そうに目を伏せたりこちらをチラ見したり、まごまごとした様子で、何かを言おうか言うまいか迷っているかのような星迎さん。


「え、えっと。なんか忘れ物とかしてました?」


特に思い当たることがないので、有り得そうなことを尋ねてみる。


「い、いえっ。そういうわけではないんです! えっと、なんていうか......」


とても煮え切らない星迎さん。

別に僕自身行き先があるわけでもなんでもないし急いでいないので構わないんだけど、そこまで焦らされると気になって速く要件が聞きたくなってしまう。


「すみません、僕なにかしました? 何かあるなら気軽に言ってみてください」


ちょっと冷たい言い方になってしまっただろうか。

度に出るようになってからというもの、これまで彩咲の手前振る舞っていた爽やかな自分像の演技はできなくなっていて、若干ぶっきらぼうな感じになってしまっていることは自覚している。


初対面の銭湯の清掃員さんにするには、横柄な態度だったかもしれない。


幸い、星迎さんは特に気にした様子でもなさそうなので一安心。


それからややあって、ようやく決心したのか、星迎さんの表情がぎゅっと決意に引き締まったように見えた。












「その......いきなりで、もし違ったら申し訳ないんですけど............。あなた、ナナくんだったり......しない?」


「..................え?」



ナナくん。

わからないけどどこか懐かしいその呼び名に、僕の思考はしばらく凍土の中に沈んだ。

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