第2章 脱出〜幼馴染との再開

第15話 脱走者と美味しい飲み物

はぁっ、はぁっ、はぁっ............ふぅ......。





家、というか監禁部屋を飛び出してからすでに6時間ほど経過している。


間違いなく彩咲は僕の脱走に気づいて怒り狂って、血眼で僕を追いかけているころだろう。


もしも計画に穴があったら......そのせいで彩咲に捕まってしまったら。

そんなネガティブな想像に、凍ってしまいそうな悪寒が背筋を流れ、無意識にブルリと全身を震わせる。


だけどこれだけ時間が経っているのに僕が捕まっていないってことは、僕の脱走劇は今の所まだ失敗してはいないはずだ。

もしかしたら彩咲が僕の心を完璧に折るために、ある程度泳がせてから捕まえようと画策しているのかもしれないけど、その可能性は今考えても仕方ない。


その可能性に恐怖で足がすくむけど、もしそうだとしたら、もう僕に打つ手はない。

おとなしく彩咲のペットとして手足を奪われて、虚ろな生涯を全うすることになるだけ......。




速くコイツでもっと遠くに移動しないといけないけど、ここまでで随分消耗してしまっている。

段々と移動速度が下がってきていると思うし、少し体力を回復してからじゃないと、ただ効率が悪くなっていくだけだ。


埋め込まれていたGPSを取るために切り落とした耳たぶもズキズキと痛むし、見えない左目の分を補ってくれている右目の疲れも溜まってきているみたいで、ショボショボとしてきている。

その目の疲れのせいか、こころなしか軽い頭痛までしてきている気もする。


すでに秋になろうというところ、街頭とほんの少しの車の明かり、それと雲間から覗く星の光だけが暗闇を仄かに照らす。

気温も決して高くなく、これまで移動する中で肌に当たり続けてきた冷たい風の影響で、余計に体力を消耗してきた気もする。



あそこでちょっと休憩しよう......。


道を一本入った人気のない路地に100円の飲み物が売られている自動販売機が目に入ったので、止まるためにブレーキを握って速度を落とす。





僕は今、クロスバイクで移動してる。


もちろん、できるだけ足がつかないように家出をしてから新しく購入したものだ。


クロスといっても当然、何十万もするような高価なものを購入したりはしていない。

5万ちょっとの安いやつを買った。


お金は、家に100万円の束が1つ置いてあったのをひっ掴んで持ってきた分しかない。

これからなんにも無い中で生きていかないといけないことを考えると、決して無駄遣いができる金額ではない。


それでも自転車を買ったのは、可能な限り遠くまで移動するため。


残念ながら僕は運転免許を持っていない。

だから自動車っていう選択肢はない。


まぁ免許があったとしても、車なんて買っちゃったら彩咲が家の権力を使って見つけ出しちゃうかもしれないからね。


足がつかないように、少し離れた町までは全力で走って逃げて、それからその知らない町で見つけた町の小さな自転車屋さんで購入した。

また別の町で変装用の新しい服を買ったり、途中でご飯を買ったりして、すでにそれなりの出費がかさんでしまっている。


どこか頼れる人も、頼れる場所もない。


両親はいないし、友達も、言い方は悪いけどみんな彩咲の手に落ちてる。


僕は児童養護施設の出身だけど、そこにいくわけには行かない。

考えるまでもなく絶対に彩咲に見つかってしまうから。


だからどこを目指してるってわけじゃなく、とにかく遠くに行くことだけを意図して移動している。


現状、走ったのと自転車で移動したので合わせて家からは70kmくらい離れてると思う。

いや、自分でもここがどこかはわかってないんだけどね。



自販機で購入したスポーツドリンクをいっきに煽りながら、ここまでの状況を思い出す。





......うまっ。

え、スポーツドリンクってこんなに美味しいものだった!?


そういえば、水以外のちゃんとした飲み物を飲むのって久しぶりかも。

喉が渇き倒してるってのももちろんあるだろうけど、毎日プレーンな水か彩咲のお小水しか飲むことを許されなかった身としては、久々の「美味しい」飲み物に一抹の感動を覚えるのも無理ないだろう。


人体の体液に近い成分で構成された電解質が、文字通り五臓六腑に染み渡るのを感じる。



............逃げ出してよかった。

これだけで、もう、そう思えた。


きっとあの家にいたままだったら、生涯こんなに美味しいものは口にできなかったと思う。


いや、「美味しいと感じるもの」は毎日もらえたかもしれないな。

彩咲の排泄物を美味しいと思う動物に変えられていただろうから。




彩咲は僕のことを「ペットにする」と言っていた。

彼女がそういう言い方を変えるときは間違いなく言葉上の変化だけじゃなく、扱いの実体もしっかり変化する。

決して単なる言葉遊びや脅しみたいなものじゃない。


彩咲がそう表現するのだから、間違いなくこれまでとは比較にならない扱いをするつもりなのだろう。


今までは「彼氏」としての扱いだったという彩咲。

もともとこれまでの僕が聞かされていた閉ざされた僕の将来像、ディストピアそのものの未来は「お婿さん」扱いだったというのだから驚きでしかない。



数年ぶりの自由の身。

彼女の元を離れられただけのことを、心の底から「娑婆に出られた」と感じる男は世の中にどれだけいるのだろうか。


もしも同士がいるのならぜひにでもお会いして語り合いたいものだ。




......と、余計なことを考えて不用意に時間を浪費してしまったか......。

さて、ここからどうするか。



家を出た時点ですでに夕方と形容して差し支えない時間だった。


自転車の購入だって、閉店時間ギリギリに滑り込めたくらいだ。

むしろ、あんな遅い時間まで営業してくれていたあの店に、感謝感激雨あられってな時間。


時計も携帯端末も何もなく、今の正確な時間を知ることはできないけど、1時間くらい前に横切ったコンビニの時計をちらっと見えた時間から計算すると、現在時刻は深夜も深夜だろう。

むしろあと数時間で夜が明けるかもしれない。


このあとどうするか、何の計画もない。

もともと予定していた脱走計画で詰めていたのはここまで。


金だけ持って家を抜け出して、GPSを逆方向に向かわせて撹乱して、自転車でできるだけ遠くに逃げる。


それ以上のことは行った先で、どんなものが使えるか、どんなことと出会うかによって変わってくるものだから、事前にはわからない。

そもそも携帯端末やらパソコンなんかで勝手に調べ物をすることは許されてこなかったし、仮に許されたとしても、検索したことのある場所を行き先に設定したりすれば行き先が彩咲にバレてしまって逆に逃げられなくなる可能性もある。


脱走計画を思いついてから、こと「脱走」に関して彩咲に告げ口をしないと信じられる人は誰もいなかった。

だから、手引をしてもらうような相手も当然いるわけなくて。


なので当然ながら、事前に十全な調査をすることなんて出来なかったし、ここからは行き当たりばったりの旅になる。




お金も無限じゃないけど収入源はない、生活の基盤もない、学歴も多分彩咲ならすぐに退学手続きを進めているだろうから僕は中卒になることだろう。


正直、逃げたは良いけど何かこれからのビジョンがあるわけじゃない。

このビジョンのなさが、これまでわざわざ危険を犯してまで逃走を実行しようとしなかった理由だ。


だって、もしなにかやりたいことだとか行き先があるなら、あんな悪辣な環境、すぐにでもなんとかして逃げ出すでしょ?


今回はさすがに堪忍袋が爆発したというか、ペット扱いはいやだったし、なにより間違いなく最後のチャンスだったから無理にでも実行しただけ。



うん、先のことはわからないけど、今晩は明るくなる前にとにかくもっと遠くに行こう。


見つかりにくい場所で、これから生活していけるところって、どこだろう......。


人がめちゃくちゃ少ない山奥とか?

逆に木を隠すなら森の中理論で、人だらけの首都圏とか?


山奥は......なくはないけど、新しい人間、しかもこんな怪しいやつを受け入れられるだろうか?

最悪、誰もいない場所で静かに暮らすってのもありか?


首都圏は......辞めたほうが良いよな。

どこで彩咲の家と関わりのある人間がいるかわからない。



............まぁそれもまた考えればいいか。


だって今の僕は、何にも縛られない「自由」の身なんだから。


よしっ、と一呼吸置いてスポーツドリンクの入っていたペットボトルを自販機横のゴミ箱に突っ込んで、僕はまた自転車のペダルを漕ぎ出した。

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