第63話 ボルドの叫び

 馬車は少しずつ速度をゆるめ、先ほどまでいた丘をグルリと回り込むようにして走り続けていた。

 このまま奥の里へと戻る進路を取る馬車の上では皆、一様に押しだまっている。

 アデラ、ナタリーとナタリア、御者の女戦士2人、そして……。


(ブリジット……)


 ボルドは馬車に揺られ、風に吹かれながら彼女の無事をいのり続けていた。

 荷台の上では誰もかれも重苦しい表情だ。

 ブリジットとベラ、ソニアの3人を丘の上に残してくることになったことで、この場にいる全員が後ろ髪引かれる思いだった。

 特にボルドは今すぐにでもブリジットの元に戻りたいという焦燥感しょうそうかんから今にも叫び出しそうなほどに苦しんでいた。


 ブリジットはボルドを助けるため、危険をかえりみずに少数の仲間たちとこの場へ駆けつけた。

 それは女王という立場を考えれば無謀で軽率だというそしりはまぬがれない行為だった。

 そんな全てを承知の上でブリジットはボルドを助けようとここまで来たのだ。

 その彼女を置き去りにして今、自分だけが逃げようとしている。

 もちろんボルドの存命がブリジットの一番の目的なればこそ、今のこの行動は正しい。

 だが……。


(これで……本当にこれでいいのか?)


 ボルドは歯を食いしばって後方の丘を振り返る。

 そこで彼は気が付いた。

 丘の反対側から無数の影が丘に向かって近付いていることに。

 土煙を巻き上げて丘に向かっているのは大群の騎馬兵たちだった。


「あ、あれは!」


 ボルドの声に皆がそちらの方角に注目する。

 

「本家から兵が出る話は聞いていないから、分家の増援か?」

「あいつら、あれだけ多勢に無勢でまだ増援を呼ぶか?」


 疑いの眼差まなざしを向けるナタリーとナタリアのとなりでアデラが青ざめている。


「いや……あれはもしかして公国軍では?」


 その言葉に皆が目をらす。

 そんな中、ボルドは痛いくらいに拳を握り締めていた。


(まずい。あれがどんな集団なのか分からないけれど、このままじゃブリジットはますます危ない)


 向かって来るのが分家と敵対する勢力なのかそうでないのか現時点では不明だが、どちらにせよブリジットたちにとって決して良い結果にはならない気がして、ボルドはとうとう我慢がまんできずに声を上げた。

 

「戻りましょう! ブリジットの元へ!」


 その言葉に御者の女たちまでもがおどろき、ボルドを振り返る。

 そして双子はまゆを潜めてボルドを見やる。

 

「いや、何言ってんだ。ボルドさんよぉ。あんたの命を救うためにブリジットは危険をおかしたんだ。今さら戻ってあんたを危険にさらしたら全部台無しだろうが」

「そうそう。そんなことしたらアタシらブリジットから大目玉を食らうだろうが」


 苛立いらだちを隠すことなく双子はボルドに刺々とげとげしい視線と言葉を向ける。

 わずかにひるむボルドだが、それでも彼は引き下がらなかった。


「私だけが助かってブリジットが助からなかったら? 私だけが奥の里に戻ってブリジットが戻らなかったら? そんなことに何の意味があるんですか! ブリジットがいなければ私が生きている意味なんかない!」


 ボルドは自分でもおどろくほど声高に叫んでいた。

 その様子にアデラは面食らって目を丸くしている。

 双子が何かを言い返そうとするが、ボルドはそれをさえぎってまくしたてる。


「助けに行きましょう。ブリジットはダニアにとって絶対に欠かすことの出来ない人です。今この時にブリジットを救うことが出来るのはここにいる皆さんだけなんですよ。今、動かなければ皆さんだって絶対に後悔します。戻りましょう! ブリジットの元へ!」


 そう叫ぶボルドの肩をナタリーがガシッとつかむ。

 ブリジットの情夫であるボルドにれるのは緊急時以外はとがめられる行為だが、ナタリーは我慢がまんが出来なかった。

 なぜなら自分でも思っていたこと、言いたくとも言えなかったことをボルドに言われたからだ。

 痛いところを突かれたと、ナタリアも苦々しげな顔でボルドの前に立つ。


「あんた……自分では何も出来ないだろうが」

「そうだぜ。あんたに出来るのはブリジットのために生き残ることだけだ」


 だがボルドは2人から目をらさずに言う。


「違います。私に出来るのはそれだけじゃない。ブリジットを助けるために……あなたたちをきつけることだって出来ます。私はブリジットに……ブリジットに生きていてほしいんです。あの人はこんなところで死んではいけないんだ」


 そう言うボルドの必死な様子に、双子は困惑して互いに目を見合わせる。

 そこで事態を見守っていたアデラが立ち上がった。


「……戻りましょう。しかられたっていいじゃないですか。ブリジットを助けられるなら、アタシはどんなばつだって喜んで受けます!」


 その言葉に双子の表情が揺れる。

 そして御者の2人がいきなり馬の手綱を引いて馬車を方向転換させた。


「うおっ!」


 思わずよろける双子は、馬車が丘に向かっていることを知り、御者をジロッとにらんだが、すぐに観念してため息をついた。


「ハァ。皆、ブリジットのこと好き過ぎるだろ」

「仕方ない。こうなったらヤケっぱちだ。ブリジットと……ついでにベラ先輩たちも回収して全員で生きて戻るぞ!」


 双子のその言葉にボルトは深々と頭を下げ、それから前方に迫って来る丘を見据みすえた。


(ブリジット。今行きます。絶対に死なないで)


 心の中でそう念じ、ボルドは彼女の無事を神にいのるのだった。

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