第18話 儀式の後で

「母上。あらためてご紹介いたします。我が情夫であるボルドです」


 ブリジットの紹介を受けてボルドは先代の前にひざをつき、差し出された右手の甲にそっと口づけをする。

 事前に小姓こしょうたちより教えられていた作法だった。

 そんなボルドを先代はうつろな目で見下ろしている。


「……よくぞ参った。ボルド。ブリジットの御心をおなぐさめすべく、忠義を尽くしてはげむよう」


 口上を述べる先代の声にはまるで感情というものが込められていない。

 つい先ほど中庭でボルドを見かけた先代は、その黒髪を見て亡き自分の情夫が黄泉返よみがえったのかと取り乱した。

 その場はブリジットが収めたが、それ以来、先代はずっとこの調子で、時折ボルドをチラリと見ては悲しげに目をせる。

 その様子にボルドはどうすることも出来ずに居心地いごこちの悪さを覚えた。


 一連の儀式がとどこおりなく終わり、精根尽き果てたかのような先代はブリジットに寄り添われながら退室していった。

 実の母娘おやことはいえ、現在のダニアの長は娘である当代のブリジットだ。

 母と言えどおおやけの場では当代である娘に対して礼を尽くしかしこまらなければならない。


 そうした母を気遣きづかってブリジットは席を辞したのだろう。

 おそらく2人になった時だけ、母と娘として振る舞えるのだから。

 一方、ボルドは小姓こしょうらに付き添われて客室へと戻って行った。

 儀式に同席したシルビアも共に客室へと戻ってくるとボルドに頭を下げる。


「ボルド様。おどろかれたことと思います。申し訳ごさいません。ごらんの通り、先代は以前からお心を病まれておいでなのです」


 ボルドは先ほど中庭において間近に見た先代の姿を思い返した。

 かつては今のブリジットのように美しく、凛々りりしい女性だったのだろう。

 だが今はすっかりけ込み、その目は絶えず不安に揺らいでいる。


 シルビアも小姓こしょうらもその理由についてはボルドに語ろうとはしない。

 もちろんボルドも自分からたずねるようなことはしない。

 当然だ。

 自分は単なる情夫であり、先代の私的なことを聞ける立場にはない。


 だがあの時、先代が自分を見つめるその目は、愛しい相手が戻ってきてくれたことへの喜びと、死なせたことへの懺悔ざんげや強い自責の念が入り混じった情念深いものだった。

 他者からあんな目を向けられたことのないボルドは恐怖すら覚えた。


 先代をそこまで追い詰めたものは何か。

 そしてその情夫であったバイロンがなぜ処刑されたのか。

 そんな疑問がボルドの頭の中で繰り返しめぐる。

 その時、客室にブリジットが戻ってきた。


「シルビア。先代は落ち着かれたが、ひどくお疲れだ。寝間までお連れしてくれ」


 その言葉に一礼してシルビアは客室をそそくさと出て行く。

 そんなシルビアを見送ると、ブリジットは小姓こしょうらに目を向けた。


「おまえたちはここで休んでいろ。ボルド。おまえはアタシと来い」


 そう言うとブリジットはボルドをともない自室へと移動した。

 

「すまなかったな。おどろいただろう」


 自室に入るとブリジットは開口一番そう言う。

 そこはブリジットがこの館に立ち寄った際に使われる執務室だった。

 応接用の椅子いすに腰をかけると、彼女はボルドにとなり椅子いすに座るよううながす。

 ボルトは一礼して彼女のとなりに腰をかけた。


「父が亡くなって以降、母はずっとあんな感じだ。おそらくもう長くは生きられぬし、死ぬまでああして苦しみ続けるだろう」

「長くは生きられない……そうなのですか?」


 ボルドは表情をくもらせてブリジットを見つめる。

 確かに先代のブリジットが心を病んでいることは明らかだったが、それだけではなく体も随分ずいぶんと弱っているように見えた。

 今のブリジット同様、かつては戦場で誰よりも俊敏しゅんびんに動いて剣を振るっていただろう先代は、今や歩くことさえままならない様子だった。

 人はそんなにも弱ってしまうものなのだろうか。

 そんなボルドの視線を受けてブリジットは少しさびしげに笑う。


「ブリジットの家系に伝わる異常筋力の話は聞いているな? 我らは若い時代に常人離れした身体能力を見せる一方、その反動で40歳を過ぎると急激に体が弱るんだ。歴代のブリジットの中で50歳を超えて生きた者はいないという。アタシの祖母に当たる5代目も42歳で心臓が弱り果てて死んでしまった。生まれる前の話だからアタシは祖母の顔を知らぬがな」


 そう言うとブリジットはすっと立ち上がり、窓辺に寄って外の様子に目をやる。 そしてボルドに背を向けたまま言った。 


「ブリジットの名を継ぐ者の宿命なのだ。母も今年で42歳。もってあと数年だろう」


 それは今ボルドの目の前にいる彼女自身にもいずれ降り掛かる運命だった。

 先代の今の姿は、ブリジットのそう遠くない未来の姿でもある。

 窓から西日が差し込み、その金色の髪をかがやかせる中、ブリジットはボルドを振り返った。

 

夕餉ゆうげまでにはまだ少し時間がある。おまえには話しておこう。なぜ母が最愛の父を処刑せねばならなかったのか。その理由をな」

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