蛮族女王の情夫《ジゴロ》 第一部【ブリジットの章】

第10話 鳶狩り

　ボルドがこのダニアの集落に身を寄せることとなった日から４日目を迎えていた。

　ようやく寒さがやわらいだ春先の空は雲ひとつなく晴れ渡っていて、上空高くには鳶（とび）が旋回しながら鳴き声を上げている。

　この日、ボルドはブリジットに連れ出されて午前中から近くの森まで狩りに出ていた。

　昨晩、政務から戻ってきたブリジットは明朝から狩りに行くので伽（とぎ）は無しだとボルドに告げた。

　そしてボルドを狩りに連れていくと言い、小姓（こしょう）たちに準備をさせたのだ。

　集落から馬で半刻ほどの駆けた場所にある森の中の小高い丘がこの日の狩り場だった。

　丘の上だけは短い芝の地面に覆（おお）われているが、周辺は木々が連（つら）なる木立（こだ）ちとなっている。

「ゆうべはよく眠れたようだな」

　ブリジットは手にした弓の弦（つる）を手で検（あらた）めながらボルドにそう声をかける。

　ブリジットの情夫に迎えられてから連夜の伽（とぎ）で心身ともに疲れていたのか、ボルドは夜通し眠りこけていた。

「申し訳ありません。ブリジットが隣（となり）にいらっしゃったのに」

「まったくだ。アタシに目もくれず眠りこけるとは……と言いたいところだが、アタシもすっかり寝入っていたからお互い様だな」

　そう言うとブリジットは口元に少しだけ笑みを浮かべた。

　ボルドの後ろにはブリジットの側付きの小姓（こしょう）が２人控えているが、それ以外には少し離れた場所にダニアの女戦士ベラとソニアが退屈（たいくつ）そうに控えているのみだ。

　自身がダニア最強の戦士であるブリジットの護衛は必要最低限のみに限られる。

　他の女たちは馬に跨（また）がり、猪（いのしし）や鹿、野兎（のうさぎ）など食料となる獲物を探して別の場所に向かっていた。

　ボルドは弓弦（ゆんづる）の張りを確かめているブリジットにおずおずと尋（たず）ねる。

「何を狩るのですか？」

　辺りには動物らしきものの姿はない。

　不思議（ふしぎ）に思うボルドにブリジットは頭上を指差した。

　見上げると遥（はる）か上空には数羽の鳶（とび）が上昇気流にのって優雅に旋回（せんかい）しながらピョロロロと甲高い声で鳴いているだけだ。

「鳶（とび）だ」

　それだけ言うとブリジットは矢筒から一本の矢を取り出して弓につがえた。

　ボルドは信じ難い思いで頭上を再び振り仰ぐ。

　鳶（とび）が飛んでいるのはかなりの高度だ。

　あんなところまで矢が届くとはボルドにはとても思えなかった。

　ブリジットが構えているのは彼女の背丈よりも長い２メートルほどの長弓だった。

　ずっしりと重いその長弓は弓弦（ゆんづる）も太く、並の男ではまともに引くことも叶いそうにない。

　ブリジットはそれを軽々と頭上に掲（かか）げると弓弦（ゆんづる）に手をかけた。

　そこからボルドは目を見張る。

　弓弦（ゆんづる）を引くブリジットの腕の筋肉が異常に膨張（ぼうちょう）して盛り上がったのだ。

　そして狙（ねら）いを定めるとブリジットは一気に矢を放つ。

　ビョウという風切り音を立てて舞い上がった矢は、遥（はる）か上空を舞う鳶（とび）を見事に射抜（いぬ）いてみせた。

「す、すごい……」

　人間離れしたブリジットの腕力と技量に唖然（あぜん）とするボルドの後ろで小姓（こしょう）が囁（ささや）くように言った。

「ブリジットの超筋力です。一時的に筋力を極限まで引き上げることで、常人を遥（はる）かに凌駕（りょうが）する身体能力を発揮（はっき）するのです」

　小姓（こしょう）の話にボルドは先日のソニアとの立ち会いを思い返した。

　一瞬でソニアの背後に回ったブリジットの超人的な振る舞いも、その超筋力の賜物（たまもの）なのだ。

「ボルド。獲物を拾いに行くぞ。ついて来い」

　ブリジットにそう誘（さそ）われ、ボルドは彼女と共に鳶（とび）が落ちた周囲の木立（こだ）ちの中へと向かう。

　木々が連（つら）なる中に落ちていた鳶（とび）は太い矢で胴体を貫かれて絶命していた。

　ブリジットは右手でそれを拾い上げると満足げにボルドに見せる。

　そして近付いてきたボルドを左腕で抱き寄せた。

「えっ？」

　思わぬことにボルドは驚（おどろ）いて声を漏（も）らす。

　彼女は居室にいる時以外、特に人前では決してボルドに触れなかった。

　女王としての威厳（いげん）を保つためだ。

　だが、今は木立（こだ）ちの中であり、先ほどの開けた丘にいる小姓（こしょう）らからは見えない。

「秘密だぞ」

　そう言うとブリジットは顔を近付け、ボルドの唇（くちびる）を奪（うば）った。

「はうっ……」

　１０秒ほどだが濃厚な接吻（キス）を終えるとボルドは思わず吐息（といき）を漏（も）らした。

　そんなボルドを見るとブリジットはニヤリと笑う。

「夕べは久々に静かな夜だったな。だが、今夜はそうはいかん。覚悟しておけよ」

　その言葉にボルドは思わず顔が熱くなるのを感じて俯（うつむ）いた。

　ブリジットはそんなボルドの黒髪を軽く撫（な）でて言う。

「小姓（こしょう）どもの元へ戻る前にその顔色を戻しておけよ。はしたないと叱（しか）られるぞ」

　ブリジットは白い歯を見せ、悪戯（いたずら）な笑みを浮かべるのだった。