第2話 ブリジットの居室

 蛮族ばんぞくダニアは定住の地を持たぬ流浪るろうの民だ。

 季節ごとに諸国の辺境付近を周り、略奪や狩りなどをして一年を過ごす。

 彼女らは決して諸国の奥深くまでは侵入しない。

 屈強くっきょうな女戦士らがそろっているとはいえ、その数は5,000に満たない。

 諸国が本腰を入れて軍隊を派遣すれば、ダニアは敗北をまぬがれないだろう。


 だが、諸国もそうしない理由がある。

 この大陸ではいくつかの国が互いに領土をめぐって絶えず牽制けんせいし合っている。

 そのためダニア討伐とうばつに軍を裂き、余計な消耗をしたくないというのが本音だった。

 万が一兵力をがれてしまえば、そこを付け込まれ他国に攻め入られる危険があるからだ。

 この大陸の絶妙な均衡きんこうの上に、ダニアはその存在を許されていた。


 そして移動生活に適応するべく彼女らは平原にゲルというテントを建てて一時的な集落を作り出す。

 今現在の平原にゲルの集落を設営したのは昨日のことであり、これより7日間ほどはここに滞在することになる。

 そんなゲルの集落の中心部に一際大きなそれが設営されていた。

 女王ブリジットの居室である。

 

 この集落に連れてこられた奴隷どれいの少年・ボールドウィンは、つい先ほど女たちに体を洗われ、今はブリジットの居室にその身を置いていた。

 元々着ていた衣服はぎ取られて捨てられ、代わりに絹糸でつむがれた夜着を着せられている。

 なめらかな着心地ながら裏地がついていて温かなそれは、それまで粗末な服しか着たことのない彼にとっては信じられないほど着心地のよいものだった。


 ブリジットの居室には温かな食事が用意されていて、居室の中にいる小姓こしょうたちが配膳までしてくれた。

 彼らはダニアの女たちと同じ褐色かっしょくの肌をしていたが、頭髪は綺麗きれいり上げている。

 そして女戦士らとは異なり、背は低く、体はせていた。 

 彼らはまるで表情を変えることなく、声を発することもなく、食事を提供してくれた。


 ブリジットの情夫というだけで、高価な衣を与えられ、十分な食事も与えられる。

 そのことが信じられないボールドウィンだったが、常に空腹で生きてきた彼には

温かな食事から立ち上る匂いにあらがうことは出来なかった。

 出される食事を夢中でかき込み、不思議な味のする茶を飲んで満腹を覚えた彼は

ようやく事態の恐ろしさに気が付いた。

 これだけ好待遇を受けるからには、相応のことを求められるはずだ。

 そう考えて慄然りつぜんとしているところに、ゲルの主たるブリジットが戻ってきた。


 その頃にはすでに日が落ち、夜のとばりが辺りを包み込んでた。

 どこかで宴会が始まったようで、女たちの上げる嬌声きょうせいが響いてくる。

 ブリジットはすでに食事を終えたようで、身に着けていた皮鎧を脱ぎ捨てて楽にするとボールドウィンを一瞥いちべつして声をかけてきた。


「おまえ。名は何という?」

「……ボールドウィンといいます」


 彼の答えにブリジットは顔をしかめた。


「長い名だな。奴隷どれいの割には気取っている。公国風の名か。気に食わん」


 そう言うとブリジットはわずかに何かを考え、すぐにまた口を開く。


「今日からボルドと名乗れ。アタシがつけた名だ。元の名で名乗ることは許さん」

「……分かりました」


 ボールドウィンはすぐにボルドという新たな名を受け入れた。

 それは彼がこれまで奴隷どれいとして生きてきたがための習性だった。

 すぐに恭順の意を示さねば、なぐられてられてきた。

 それゆえに彼は命令にはすぐに従うくせがついていた。


「さて、今宵こよいちぎりの夜だ。おのれが成すべきことは分かっているな?」


 そう言いながらブリジットは着ている衣服をスルスルと脱ぎ捨てていき、惜しげもなく白い素肌をさらした。

 あまりに突然のことにおどろいたボルドは彼女の体から目をらした。

 そんな彼の視界に入ってくるのは小姓こしょうらだが、彼らはブリジットの肢体を目の当たりにしても表情一つ変えず、泰然とそこに立ち続けている。


「ああ。こいつらのことは気にするな。全員、去勢済みだ」


 ダニアの女から生まれるのは9割が女児だが、1割の男児たちは性成熟するまでに全員が去勢される。

 そうして小姓こしょうとして女たちの世話を焼くことに一生を費やすのだ。


「では最初の命令を下そう。ボルド。今すぐに顔を上げ、アタシの体を見ろ」


 そう言うとブリジットの言葉に、ボルドはさすがに戸惑ってしまう。

 だがブリジットはピシャリとしかりつける口調で重ねて言った。


「二度は言わぬ。今すぐにアタシを見ろ!」


 ボルドははじかれたように顔を上げ、彼女の白い素肌をまぶししげに見つめるのだった。

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