死想者

紅山 槙

死想者・前編

「人には、それぞれの死の色があります」


 明るいが何処か棒読みのような、おとなしい男の声がした。


「何のために死ぬのか。何で死んでしまうのか。何のために死にたいか。何となくでも死にたいか。無自覚でも、必ず理由と目的があるものです」


 黄ばんだ白い床と剥がれかけの白い壁紙。配線が怪しい白い蛍光灯の下。2人がけの木の机が整列した教室。顔つきも服装もバラバラな老若男女が沈黙し、椅子に腰掛けている。


「さあ、それでは。まずは自己宣告から始めましょう」


 声の主は「夢羽むわ」と名乗っていた。壇上に立つ笑顔の講師だ。ただし目は笑っていない。


 年はたぶん、30代から40代。陽に当たっていないかと思える青白い顔だ。葬式のように、黒スーツと黒ネクタイで服装を整えている。


「さて。誰が一番に言いたいですか?」


 誰も手を上げない。数拍の間を置いて、目の小さな30歳くらいの女性が、「わたし……いいです、か?」と、小さく手のひらを立てた。


「ええ。どうぞ、ツギヤマさん」


 ツギヤマさんが椅子から立つ。


「ツギヤマです。あと10日以内に死ぬ予定です」


「はい。具体的には、どう死にますか?」


「く……首を吊って……」


「オーソドックスでいいですね。首吊りは最も簡便で、死に場所が限定されない。10日以内というと、8月23日ですか。予定にするよりも、『10日後に死にます』と時間をはっきりさせた方が、決意も堅くなり、準備も整えやすくなりますよ」


「……良く、なかったですか?」


「いいえ、大変素晴らしい。行動を起こすためには、まず、発言することが大切なのです。貴女は誰よりも率先して自己宣告を行った。死におじげづかない。それは貴女の長所です」


 講師は女性に微笑みかけた。


「欲を言えば、もっと理由を明確にして、自分に自信を持ちましょう。これからもその調子で、頑張ってください」


「はい……」


 女性は照れたように笑って、座った。


『死ね』


「さて、次は?」


「オレ、いいですか?」


「ええどうぞ、トナカさん」


 髪の薄い中年男が席を立つ。


「トナカです。会社をクビにされ、妻と子供に見捨てられました。生きる希望がありません。8月20日に会社の奴らを皆殺しにして、元妻諸共、火をつけて死にます」


「殺戮の上に無理心中とは。なかなかハードな挑戦ですね。そこまでやる理由とは?」


 講師の問いに、中年男はすぐ口を開く。


「あいつらは社会の害悪なんだよ。存在しちゃいけない。皆んな、俺を奴隷のようにこき使った挙句に捨てた。だけど、オレは毎日、ずっと家族のために我慢した。頑張った。頑張ったんだよ」


 中年男の声に、憎悪が込められていく。


「なのに。あのおんなは俺が汗水流して作った金に『足りない、足りない』ってケチをつけて、リストラされたらオレのせいだと罵った。最後には『あんたよりいい人見つけたから』って、出て言った。何だよあれ? おかしいだろ? どうしてオレがこんな目に合うんだ。全部あいつらのせいなのに。あいつがオレから搾取していたのに!!」


 辺りがしんとする。壇上に立つ男から、静かな声が降りてきた。


「……悲惨な人生でしたね。ずっと耐え忍んで来た挙句に、不運の仕打ち。さぞ辛かったでしょう」


「道連れにしてやるんだ。元妻も再婚相手諸共、灰にしてやる」


「ええ。復讐だけに、燃えますね」


 講師の気軽い冗談に対して、どよりと笑いが起こった。トナカはそれに合わせて、少しだけ硬い頬を緩ませた。


「……けどな、先生。妄想するばかりで、実行できないんだ。だってこれ、犯罪だよな? オレは何も報われない。地獄行き確定だろ?」


「地獄が実在するならば、という仮定ですが。生きていても死んでいても有罪でしょうね」


「だよな」と声のトーンを落とすトナカに対して、夢羽はさらに声をかける。


「貴方は、何のために死ぬのですか?」


「……」


「復讐だけなら、心中する必要はないように思います。刑務所に入れば、いずれ絞首刑になるでしょう。貴方は何を達成するために、死にたいのですか?」


「何もかもを壊したい」


「そうでしょうか? 取り返したいのかもしれませんよ」


「……は?」


「貴方にも幸せな時期があったのではありませんか? 働くことに精を尽くし、希望に満ち溢れ、離縁した妻と婚姻に至るまでの道のりが」


「……最初はそうだったかもしれない。でも、時は戻せない」


「そうですね。時は戻せません。ですが、貴方が絶望している理由は、社会から突き離されたような感覚に怯えているだけ。寂しいだけなのかもしれません」


 ドンっ! と机が叩かれた。


「お前に何が分かるっ! オレの気持ちを知ったフリをするなっっ!!」


「……すみません。発言を否定したつもりはないのです」


 講師は少し顔を曇らせた。


「ですが、貴方の運命は悲しすぎる。だからもう少し死ぬ意味を掘り下げて欲しいのです。貴方が死後も、孤独にならないように」


「……」


「授業後に個別でお話しませんか? 私と一緒に考えましょう」


「……。わかった」


 納得いかない顔をしていたが、トナカは静かに腰を下ろした。


『死ね』


「……さて、次は」


「あの……」


 女子高生らしい、制服姿の女の子がしおらしく手を挙げた。


「はい。次はミズカワさんですか?」


「いえ、自己宣告じゃなくって。ここで言うのは変だけど……私、最近……死にたくない、って、思ってきて」


「死にたくない?」

 はたと、講師の瞳の面積が広がった。


「い、いじめが続くくらいなら、死んだ方がマシだと思ってたけど! あと1年したら卒業するし……」


「……」


「やっぱり、怖いんです。屋上には何度も行ったけど、足が震えて。死ぬのが、怖くて……」


「ごめんなさい」と、女子高生は気まずそうに俯いた。


 講師はしばらく、じっと女子高生のうなじを眺めていた。そしてかつかつかつと、足音を鳴らす。


「……ミズカワさん。顔を上げてください」


 夢羽は女子高生の傍に立ち、慰めるように、そっと笑った。


「それでもいいんです。死が怖い。それは生きていれば当然の感情です。それを乗り越える力が出ない時は、踏み止まるのもまた勇気。中途半端な覚悟で死ぬと、この世に未練を残しやすいからです」


「夢羽先生……」


「生きている限り、いつでも死ぬことはできます。今ではないと思うなら、それでいいのです。貴女のペースを保ちましょう」


 女子高生は「はい」と、嬉しそうな顔になった。


『死ね』


「次は、誰が宣告しますか?」


「ワシに言わせとくれ」


 痩せこけた老人が手を挙げて、ゆっくりと立った。


「ユキヅカです。子供と孫の荷物になっています。早く死にたくても死ねんから、11月に死にます」


「11月? どうしてその月を選ぶのです?」


 講師が不思議そうに首を傾げる。


「季節の行事がある月を命日にしたくないんだ。クリスマスや正月を重い気分にさせたくない。11月ならこれといって思いつかんし。娘や孫に、楽しむことに後ろめたさを持たせるのは申し訳ない」


 老人はぽつりと呟く。


「いずれ死ぬ命なんだ。病気して面倒はかけられん。妻のところに行きたい。早く現(うつつ)から、解放されたい」


 ぱち、ぱち、ぱち、ぱち……


 夢羽講師が手を鳴らした。それに合わせて、周りの生徒たちもぱちぱちぱちと賞賛の拍手を送った。


「ああ、何と美しい理由なのか。人のために命を断ちたいと。思わず感動してしまいました」


「ワシのは、そんなもんじゃない……」


「高齢社会ゆえに、老いた者を邪魔者扱いする現代ですからね。自分に価値を見出せず、残り僅かな人生に悩む者は少なくありません」


 講師は打ち鳴らす手を止め、続ける。


「ユキヅカさんはご家族のことをとても愛されているのですね。だからこそか、自分の亡き後のことをしっかり見据えた上で、自殺という道を選んだ。死に対して強い意味と意志がある。とても素敵な考え方です」


『死ね』


 ふいに、講師がチョークを手に取った。


「孤独死、という言葉があります。これは老衰とも病死ともとれますが。では、何が問題とされるのか」


 《突然死》と、黒板に白い文字が書かれた。


「つまりは、勝手に死なれることなんですよ。『可哀想』『誰かが助けてあげられたら』というのは所詮、他人事だから言えるのです。それらは社会的な倫理観や客観的な感想にすぎず、生者が死者を目の当たりにして投げかける言葉は醜い」


 きっきっと、講師はチョークで黒板を引っ掻く。


「それは、自殺死体に対しても同じです。例えば、道端で突然死体を見つけたら。まずは動揺するでしょう?」


 横窓しかない車の前に、寝そべる棒人間の絵が描かれた。


「それがいつもの通勤・通学路に起きた非日常だとしたら。自分の家の前で起きたことだとしたら。いつも乗る電車のホームで見たものだとしたら。次からはその場所を恐ろしく感じて、避けたくなるのではないでしょうか?」


 赤いチョークで、棒人間がぐちゃぐちゃに塗りつぶされた。


「死を見世物に捉える人々。野次馬は他人であり、冷静です。同情と同時に、心無い言葉を吐き散らす。『ああはなりたくない』という戒めの気持ちや、『気持ち悪い』といった嫌悪感。『馬鹿な人だ』と、死をせせり笑う者までいる」


 真っ赤な死体の隣に、冷たい目でそれを眺める棒人間が描かれる。


「……ですが、半分は仕方がないものです。死に対する不快感は、生存本能。自然に沸き起こる感情ですから」


『死ね』


「そもそも皆さんは、死後の処理がどうされるかご存知ですか?」


 講師はしばらく生徒の顔を見渡してから、かつかつと黒板に文字を書き始めた。


「"人"というのは、財産の塊です。本人ではなく、それに付属する遺産……それを受け取るのは、法定相続人。皆さんのご家族です」


 《特殊清掃員》と、緑の背景に、白い線が浮かぶ。


「病院以外で見つかった遺体は通常、特殊清掃員という方々に依頼して処理をします。依頼をするということは、つまりお金がかかる。相場は5万円から10万円と言われています」


 《死体・虫の掃除》《死臭除去》《遺品整理》と、白い字が追加される。


「遺品はプラスの遺産です。しかし遺体は、費用面だけで見ればマイナスの遺産と言えます。特に室内で亡くなられた場合、クリーニングには多額の費用が必要です」


『死ね』


「次にお葬式の費用です。地域によって相場は異なりますが、一回の式でおよそ200万円は掛かるでしょう。これには式典代と接待飲食費を含めています。家族葬でも高くて50万円。火葬も30万円はかかります。参列者への返礼品は30万円前後、お経をあげてくださる寺院へのお布施は15万円前後かかります。墓石や仏壇の購入も必要な場合、総じて160万円ほど用意しなくてはなりません」


 《死者にかかる総額:約300万円+10万円(処理)》


「つまり、突然死に相当する自殺は、親兄弟に負担を残すのです。死体の周囲で生活する者にも。精神面だけではなく、金銭的にも、自死は迷惑極まりない」


 講師は黒板の右端に棒人間のハングマンを描いた。


「お葬式でお香典をいただくことはありますがね。葬式費の半分も賄えません」


 そして、ハングマンから2股の矢印を引いた。

 一つは《死者にかかる総額》へ。

 もう一つの矢先には《相続放棄の場合:手数料10万円》《遺体引き取り拒否:供養料30万円》と書き足された。


「ちなみにですが……お金がかかるからと言って、遺体を捨ててはいけません。死体遺棄罪になりますからね」


 きーん……こーん……かーん……こーん……


 間抜けとも不気味ともとれる、音の外れたチャイムが鳴った。


「おや、もう時間ですか。今日の講義はここまでにしましょう」


 講師はチョークを置いて、ぱしぱしと手の粉をはたく。


「命には、社会的なしがらみがぶら下がっている。それを忘れることがないように」


 夢羽は教卓に両手をついて、俺たちの姿を見渡した。


「よい終末をお過ごしください。それでは、これで。さようなら」













『死ね』

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