おばちゃん、泣いてるん

@koukou1

第1話

「おばちゃん、泣いてるん」

 私は手をつないでいた母の顔を見上げて聞いた。母はぐっと唇を閉じて見たこともない怖い顔をしていた。 

 私はそれ以上話しかけることができず、ただじっと、叔母のその細く甲高い悲鳴のような泣き声を聞いていた。

 

 私が小学生だった時、叔母が入院した。叔父から連絡を受け、母と私はお見舞いに行った。列車とバスを乗り継ぎ、叔母が入院している病院に着いた時は、もう午後になっていた。

 薄暗く人影の無い長い病院の廊下を歩くのは、子供心にも気が滅入った。叔母が何の病気で入院したかを聞いていなかった私は、産婦人科の病棟に叔母の名前を見た時、お腹がギュッと引き絞られるような嫌な気持ちになった。

 おばちゃん、なんでなん。

 

 病室のドアを開けると、窓に顔を向けベッドで体を起こしている叔母が見えた。

窓から差し込む春の明るい午後の光を背負い、振り向いた叔母があんまりきれいで、私は挨拶をすることも忘れて見とれてしまった。

 私達を見て叔母が微笑んだと思ったその刹那。

叔母の顔は醜く歪み、ヒーっと細く高い悲鳴をあげ顔を覆って泣き崩れた。細い体がぶるぶると震えていた。

私も母も言葉を失い、立ち尽くした。そばに寄ることさえ出来なかった。

明るい病室が一瞬で暗くなった気がした。

 大人も泣くんや。

 初めて見る叔母の涙と大人が激しく泣くという事実に驚きと衝撃を受けた。嘆き悲しむという言葉を知らなかったが、叔母がただ泣いているのではないことは分かった。

  

 叔母は目鼻立ちのはっきりとした華やかな顔立ちで、とてもきれいな人だった。母は叔母の姉だったが、全く似ていなかった。自分が母ではなく叔母に似ていたら、もっとかわいかっただろうと子供心にもうらめしく感じていた。

 叔母は顔立ちだけでなく性格も良く、周りのものを笑顔にする明るい性格で、私はそんな叔母が大好きだった。

 叔母が結婚した時、私はまだ5才だったが、まるで自分が結婚するかのようにうれしかったのを覚えている。結婚式で叔母にブーケを渡す大役を任され、普段は着せてもらえない可愛らしいワンピースを買ってもらったことも、私を有頂天にさせた。

ウエディングドレスを着た叔母はうっとりするほどきれいだった。

 あぁ、おばちゃんはお姫様やったんや。

素直にそう思った。

 美しい花嫁には幸せな新婚生活が約束されているのだと誰もが信じていた。

幼い私でさえ、叔母はシンデレラのように幸せになると疑いもしなかったのだ。

 めでたし、めでたし。

 でも現実は違っていた。


 叔母が結婚した相手には、小学生の男の子の連れ子がいた。

私がこれから従兄弟になる、その男の子と初めて会ったのは叔母の結婚式だった。 従兄弟は彫りの深いきれいな顔立ちで、父親である叔母の夫によく似ていた。

きれいな人はきれいな人と結婚して、その家族もきれいなんだと子供心に私は納得した。

 だが何より私を驚かせたのは、その無表情な顔だった。きれいで無表情な顔は、おめでたい明るい式場で異質な雰囲気を放ち、見るものに居心地を悪くさせる何かがあった。目は昏く底光りして、どこを見ているか分からないのに何かを睨みつけているようで、形の良い唇は永遠に言葉を出さないと宣言しているかのように、きつく閉じられていた。

 母に促されて挨拶をしたが当然のように無視された。愛想の悪い、こんな男の子が叔母の子供になるということが私には腹立たしかった。

 おまけに子供の直感だろうか。この子はあんまり好きやない、ええ子とちゃうなと感じた。それが後々、当たることになろうとは。運命や巡り会わせとは何なのかと考えずにはいられない。

 叔母がこれから難しくなるであろう年頃というだけでなく、底知れぬ冷たさと昏さを感じさせる継子がいる相手をなぜ選んだのか分からない。叔母なら相手はもっと選べたはずなのに。

 それは愛だと言われたら、その愛はどんな種類の愛なのかと聞いてみたい。

愛とは、何か。結婚するとは、どういうことか。

私ならどうしただろうか。

幼いあの頃に分からなかった結婚や愛が今の私なら分かるとは言えない。

愛どころか自分の将来さえ分からないのだから。


 毎朝、駅前の交差点近くにマイクロバスが停まる。会社が従業員の通勤用に走らせている駅から工場までの直通バスだ。

 バスが停まる付近に集まった従業員は皆、挨拶をするでもなく、付かず離れずバスを待つ。まるで自分はバスを待っているのではないとでも言うかのように、できるだけ素知らぬ顔で立っている。

 朝なのに疲れてむくんだ顔ばかりだ。そういう私も人のことは言えない。寝不足と疲れから、ひどい顔だ。でも誰も私を気にかけないから構わない。イヤホンをして他人をシャットアウトする。

 排気ガスを吹き散らしながらバスが到着すると、順番を争うこともなく皆、無言で乗り込む。20分ほど走ると海岸を埋め立てた、だだっ広い平坦な工業団地に入る。巨大で四角い同じような建物がいくつも続く。その中のひとつが私がアルバイトとして働いている製菓工場だ。甘い匂いがいつも漂っている。

 車内が人いきれで嫌な臭いで充満する頃、やっと工場正門前に着く。ドアがきしんだ音を立てながら開く。やれやれ、といった表情で皆、座席から立ち上がりバスを降りる。

 この瞬間。

 あぁ、今日もここに来てしまった。

諦めと自分への不甲斐なさが混じり合った、それでいて、今日行く場所とやる事があるという安堵の気持ちがわいてくる。

 そして今の私には、この工場にしか朝起きる目的がないことを思い知る。


 大学受験に失敗した私は、母ひとり子ひとりの母子家庭で予備校に行かせてくれとは言えなかった。自分で受験勉強をすることを条件に何とか翌年受験することを許してもらい、浪人生活が始まった。勉強より先に自分の小遣いと家に生活費を入れる為にアルバイトを探した。

 それがこの製菓工場だ。焼き菓子を箱に詰めたり、箱折や包装をする単純作業だ。お中元お歳暮前やクリスマスの繁忙期には、ケーキのような生菓子のラインにも回される。要するに企業側にとって使い勝手のいい、時給で動かせる従業員だ。

 受験勉強が優先のはずだったのに、いつの間にかアルバイトの時間が増えた。今は週7日の8時間変則労働だ。こうなると疲れ切って、帰宅してから受験勉強をする気も起こらない。ただ家と工場を往復するだけの毎日になってしまっていた。

 休日になっても受験勉強をするわけでもなく、他にすることも行く場所もない。悩みを相談したり遊んだりする友達もいない。 

 恋人や一家団欒、やり甲斐のある仕事、海外旅行やグルメ、、。私には一生、縁のない、そんなものが嫌でも目に入ってくるテレビは苦痛で、だんだん見なくなった。ネットに溢れる情報やゲームも私には現実には感じられず、面倒で利用する気力もなかった。

 誰かに何かで認められたいのに、誰にも構ってほしくないし知られたくはない。この矛盾。

 将来が不安なくせに受験勉強もせず、何の計画も考えもなく流されるままに、ただただ毎日を工場のラインの前で過ごしてしまう。そんな自分をどうすることも出来なかった。


 仕事帰りにはコンビニかスーパーに寄る。煌々と明るく照らされた店内を歩き、半額になった弁当やお惣菜を買う。お客のはずなのに、そのお惣菜を作ったのも不機嫌そうにレジを打っているのも自分のような気がする。

 バイトが作ったお惣菜をバイトの店員からバイトの私が買う。

 バイトのループ。私は他のバイトと何が違うんだろう。

決して社会や物事の主流にはなれず、使い捨ての都合のいい歯車から抜け出せないのは同じではないか。自分が作ったものを何でお金を払って買わないといけないんだろうかと、半額シールをじっと見ながら考えてしまう私はおかしいのだろうか。


 明日からお歳暮とクリスマスシーズンに向けて、ますます忙しくなる。 

クリスマスも年末年始も本当に嫌だ。自分以外が全て楽しそうで幸せに見える。プレゼントをくれる人も渡す相手もいない。希望も夢も持てないのに新しい年が来ても、どうしろと言うのだ。なんでめでたいんだ。

 お菓子は途切れることなくラインに流れる。クッキーが2枚入っているだけで300円。サブレやマカロンの小袋を詰めた贈答用セットは5000円もする。一切れが800円もする宝石のようなショートケーキ達。帰り道のコンビニで、300円のプリンアラモードを買うかどうかで悩む私には絶対、自腹で買うことはない代物だ。

 こんなことを考える人間だから、ここから抜け出せないのか。それとももっと金持ちだったり、社会的地位や権力のある家に生まれればよかったのか。

 いや、こんな家に生まれたから、こんなラインに立っているのだ。こんなところにいる人間は、このままラインに流れるケーキを見ているしかないのだ。きっと一生。死ぬまで。 

 

 嫌で惨めな繁忙期が過ぎると、また受験シーズンが来る。最近は母も受験について話さなくなった。私以上に諦めと目には見えない生活の疲れが積み重なっているのが分かる。母と私に出来る事は、お互いに深く考えず相手を問わずに毎日をやり過ごすことだけだった。

 

 明日はやっと休みだと帰宅すると、叔母が死んだと叔父から連絡があった。

自殺だった。

ほんの3ヶ月前に、従兄弟の葬儀に行ったばかりだったのに。

従兄弟の時とは違い、あまりの衝撃にくらくらした。窶れた叔母の顔が浮かんで涙が出た。そして悲しかった。

 翌日、叔母の葬儀に向かう列車の中で、従兄弟の葬儀を思い出した。あの時は悲しむことも泣くこともなかったのに。 


 3ヶ月前のあの日、工場から疲れて帰ると、従兄弟が亡くなり明後日、お通夜を兼ねたお葬式をすると叔母から連絡があったのだ。

 従兄弟にはもちろん、私が中学生になると叔母に会う機会もなくなり、何年も会っていなかった。正直、仲がいいわけでもなかった従兄弟に、死ぬにはまだ若いんちゃうん、という程度の気持ちしか持てなかった。それにきっとろくな死に方やないなという確信があった。

 できることならば参列したくなかったが叔母の家に母と向かった。

 少しずつ平らな田園風景へと移り変わる車窓からの景色を眺めていると、叔母に頻繁に会っていた頃を思い出した。


 結婚しても母と叔母は仲が良く、休みになると旅行やドライブに出かけていた。もちろん、叔父と従兄弟も一緒だった。叔父は機嫌よく優しかったが、従兄弟は初対面の時と同じで無表情で愛想は全くなかった。

 田んぼを潰して造成された新興住宅地にあった叔母の家にも、よく泊まりに行った。

 大手の電機メーカーに勤務していた叔父は、結婚を機にガレージと庭付きの新築一戸建てを買ったのだった。ハイツとは名ばかりの6畳二間の古いアパートに住んでいた私にとって、夢のような豪邸だった。

 父親がいて家は一戸建て。私にとって手に入ることのない理想だった。

 そんな夢の家にも嫌なものがあった。広いダイニングリビングのキッチンに近い場所に置かれた長いダイニングテーブルの照明だ。日のあるうちはいいのだが、夜がたまらなく嫌で、夕飯をそこで食べるかと思うと食欲がなくなった。

 そこの照明はテーブルの真上に吊り下げられた黄色い間接照明だけだった。今なら間接照明がおしゃれだと知っているが、白色の明るい照明しか知らなかった私には、ただ黄色くて暗くて嫌な電気としか思えなかった。

 テーブルの真上だけを黄色く照らす照明のせいで、食事も席につく者の顔色も気味悪く見えた。おまけにテーブルの照明以外、電気は全て消すので周りは真っ暗なのだ。

 なんでこんな暗いとこで、ご飯食べるねん。

どうしても馴染めなかった私は、夕飯時になると息苦しくなり口数も少なくなった。

 ある夜、グレて家にいないことが多くなっていた従兄弟が一緒に夕飯を囲むことになった。

 いつもは笑顔を振りまき愛想のいい叔父がなぜか、その夜は機嫌が悪くイライラして怒っているようだった。

 食べ始めてしばらくすると、黙って従兄弟が立ち上がった。ほとんど箸をつけていないのを見た叔父は「まだ残ってる」と従兄弟に声をかけたが、従兄弟は黙ってその場を立ち去ろうとした。

 すると叔父は、力いっぱい熱いお茶の入った湯呑みを従兄弟に投げつけた。

湯呑みは従兄弟の背中に当たり床に落ち転がった。振り返った従兄弟は、唇を片方少し上げて叔父を見て、無言で立ち去った。

私はその光景が現実とは思えず、声も出せず動くことも出来なかった。

何よりきれいな従兄弟の顔が怖かった。

 静まり返ったテーブルで、母と叔母が何事もなかったかのように食べ続けていた。叔父も当たり前のようにまた食べ始めた。

 暗く黄色い光に照らされたその光景は恐ろしく、私のお腹の底を冷たくした。


 そんなことを思い出しながら景色を見ていると、叔母をお見舞いに行ったことも思い出された。その時は幼くてよく分からなかったが、入院した事情を知った時は叔母がかわいそうでたまらなかった。

 結婚後、叔母は何年も子どもを授からなかった。待ち望んだ妊娠は、2回続けて妊娠初期で流産してしまった。

 諦めかけていた頃、再び妊娠した。何とか無事にとの願いも虚しく、また流産し入院した。

 そして二度と子どもを授かることが出来ない体になってしまった。

 繰り返される流産。長く苦しい治療。

 他人には分かってもらえない絶望感や悲しみ。

 そんな苦しみから、やっと希望がもたらされたのに。

 それなのに。なぜ。

 私が見た叔母の涙は、その悲しみの涙だったのだろうか。


 駅に着くと叔母が迎えに来てくれていた。窶れてはいたが、きれいな笑顔は変わっていなかった。

お葬式で来たというのに私はうれしくて、 

「おばちゃん、久しぶりやん」と飛びついてしまった。

 叔母から従兄弟は用水路に落ちて死んだと聞かされた。酔った上に睡眠薬なども服用していたことが重なり、助けを呼ぶことも出来なかったらしい、とも。

 驚きはしたが、やはり何の感情も持てなかった。


 従兄弟は中学生になるとすぐにグレ始めた。家出や暴走行為、恐喝で何度も警察や学校から呼び出しを受け補導もされていた。その度に仕事のある叔父の代わりに、叔母が警察に迎えに行っていた。

 やっと入った高校も、ろくに登校せず地元のヤクザの下っ端になり、とうとう退学した。ヤクザの舎弟になると家には寄り付かなくなっていた。

 道を外れた人間が辿る道だと言われればそれまでだが、従兄弟はまさにその道を辿り死んだのだと思った。


 葬儀の参列者は、叔父や叔母も知らない何人かの知り合いと近所の友達が2、3人だけだった。従兄弟のきれいな顔の遺影が葬儀をよりわびしくさせていた。叔母と叔父は悲しむというのではなく、淡々としてどこか虚ろな表情なのが少し怖い気がした。

 その夜は久しぶりに叔母の家に泊まった。相変わらずテーブルの真上の照明が黄色く暗く陰気臭く、気を滅入らせた。

 翌朝、叔母が駅まで送ってくれると私の手を握りながら、

 「あんたはがんばらな、あかんよ。大丈夫やからね」とちょっと涙ぐみながら別れを言ってくれた。

きれいな伯母の笑顔に、幼い頃のように私は見とれてしまった。

 あれが叔母の笑顔を見た最後だった。


 その従兄弟の葬儀から3ヶ月を過ぎた頃、叔母が自殺したと連絡があったのだ。 葬儀に向かう列車に揺られながら、ほんの少し前に従兄弟の葬儀に行く為に、この列車に乗って同じ景色を見たことが信じられなかった。

 駅に着くと迎えに来てくれていた叔父は驚くほど痩せていた。自宅での叔母の葬儀は簡素で参列者はほとんどおらず、ただただ暗かった。

 帰る前に叔父が、母宛の叔母の遺書を母に渡していた。

駅まで送ってくれた叔父に挨拶をしながら、もう二度と会うことはないなと私はなぜか感じた。

 帰宅して遺書を読んでいた母は、黙って私に差し出した。

あまり読みたいとは思わなかったが、叔母の笑顔が思い出され懐かしさがこみ上げてきた。

 おばちゃん、なんでなん。

私は叔母に声にならない問いかけをして、遺書を読み始めた。


お姉ちゃん、ごめんなさい。迷惑をかけて。私、もう疲れました。

私、やることやったから、もう力がなくなった。

だからもう、いいです。

お姉ちゃん、ごめんね。ありがとうね。私、悪いことしたけど許せへんかった。

でもあの子が悪いことしたからあいこよ。

あの子にもあの人にも、文句は言わせへんし。

お姉ちゃん、ごめんなさい。私、アホやし、我慢できへんかってん。

私の赤ちゃんを殺したんは、あの子やった。


 あの子が結婚する前から私を嫌っていたのは分かっていた。でも時間がかかっても大事にしたら、きっと仲良くなれると信じてがんばってきた。あの子が自分以外の子供ができることをよく思っていないことも分かっていた。

 でもあの人と話し合って私達の子供をつくろうと決めていた。子供ができてもあの子を変わらず大切にすることも心に決めていた。

 結婚前からあの子との関係を何とかうまく作ろうと頑張ってきたが、本当に難しかった。

 あの子の母親になれなくても、家族のひとりとして受け入れてほしいと思ったけれど、あの子は私を母親とは決して認めず、家族とも認めなかった。

 結婚してもずっとあの子は無表情で私の存在を無視した。まるで私がこの家に存在しないかのように。

 あの人はあの子の事となると、まるで自分は無関係かのように振る舞い、私とあの子の関係を見ないようにしていた。

 それでも赤ちゃんが生まれれば、あの人もあの子も変わるだろうという希望が私にはあった。

 でもそれは大きな間違いだった。そんな考えはあの子には通用しないのだとあの日、私は思い知らされた。

 

 あの日、久しぶりにあの子が帰ってきた。中学生になり家出を繰り返し始めた頃で、少し驚いたが、あの人と話でもあるのかと気にしなかった。

 夕方、2階のベランダから取り込んだ洗濯物を抱えて、私は1階に降りようとしていた。おなかの赤ちゃんに気を付けながら、ゆっくり足元を見ながら私は階段を降り始めた。あの子は1階のリビングでテレビを見ていたはずだった。

 その時、背中に衝撃を受けた。

強い力で前に押し出され、私は洗濯物と一緒に階段を2階から1階まで転がり落ちた。

 あまりのことに私は、分けが分からなかった。

ようやく、自分が階段を落ちたことに気がつくとパニックになった。

 私の赤ちゃんは、赤ちゃんは、、。

お腹を押さえようとしたその時、あの子が私を真上から見下ろしていることに気がついた。無表情で目が昏く冷たく光っていた。

 あまりの恐怖に声が出なかった。

 そして、あの子はゆっくり右脚を上げると、私のお腹を蹴り上げたのだ。階段の手すりを握り、体勢を保ちながら、何度も何度も。

 私は痛みと恐怖で声が出せず、両手でお腹をかばって目を閉じることしか出来なかった。 

 薄れゆく意識の中で、あの人が近寄ってくるのが見えた。

助けて、と声にならない声をあげ、あの人を見つめると、ほんの一瞬、目があった。

あの人は、すっと目をそらして居間に入っていった。

 あぁ、この家には私を助けてくれる人は、いないのだと分かった。

 私はゆっくりと目を閉じて暗闇に降りていった。


 どれくらいの時間がたったのだろうか。

気がつくと、かかりつけの産婦人科のベッドの上だった。そこでは手術ができず、すぐに大学病院に転院した。

 赤ちゃんを失い二度と子供の産めない体になった私は、夫と継子という家族も失ったのだ


 入院中も退院後も階段での出来事は、あの人とは話さなかった。もちろん誰にも言えなかった。退院後の生活は以前と何も変わらなかった。変わったことと言えば、どうしても眠れなくなり何とか眠れるように睡眠薬と安定剤をもらいに心療内科に通うようになったことだ。しばらく薬を飲んだが不眠は続き、飲んだり飲まなかったりを繰り返すうちに、飲み残した薬がたまっていた。

 ある時、あの子を警察に迎えに行き、久しぶりに一緒に帰宅した日があった。

あの子はテーブルに置きっぱなしにしていた私の薬を見つけると、くれと言った。言われるままに全部渡すと、すぐに何錠も飲み込み、しばらくするとふらつく足取りで帰っていった。

 一週間ほどすると、またあの子が帰ってきた。私の顔を見るなり、薬が残っていたらくれと言う。

 私は考えた。

 このことが何をもたらすか。

 何が私にできるか。私にできることはあるか。

 考えろ。準備しろ。実行しろ。

 もう私には何も残っていないから。


 それから私は病院をはしごして薬を集め、いつ帰ってくるか分からないあの子を待った。あの子は薬欲しさに頻繁に帰ってくるようになり、私は薬と一緒にビールや食事も出すようにした。それが特別だと思わせないように。薬とビールで朦朧として足取りが悪くなったあの子を、車で駅まで送る日もあった。何度もそういう機会を作った。今までと態度を変えないよう、変だと思われないよう、慎重にふるまった。

 あの人はあの子が時々家に帰っている事に気づいているようだったが何も言わなかった。もちろん私から何も言うことはなかった。


 赤ちゃんを殺されてからどのくらいたったのか。時間も年月も、もう私には問題ではなかった。

あの日から私の時間は止まり、生きることをやめたのだから。

私はただ機会を待った。それまでは死ねない。


 そしてあの夜。あの子が来た。

 天気予報通りに昼間から雨が降っていた。あの子の好きなカレーを睡眠薬と安定剤を混ぜ込んで、ビールと一緒に出した。薬を飲んだあの子は当たり前のようにビールを飲みカレーを食べた。カレーはお代わりまでした。いつもより早く薬が効いてきたあの子はウトウトしはじめた。私はしばらく様子を見てから、いつものようにあの子に肩を貸して立たせ車に乗せた。


 雨の降りしきる中をしばらく走った。周りは田んぼで街頭すらない農道は真っ暗で、何の音も聞こえなかった。

 こんなに暗くて静かなのはどこだろうと考えた。私の心の中だ。静かで暗くて何も見えないのだ。

もう私は闇に取り込まれているのかもしれないと思った。

 用水路の横に車を止め、駅についたと言いながら、あの子を車から引きずり出した。あの子は頭を振りながら、ふらつく足取りで立ち上がった。

 私はあの子の腕を取り腰に手を回し、用水路の前に立たせて、階段だから気をつけてと言って用水路の段差を上がらせた。

用水路のヘリにふらふらと危なっかしく立つあの子を私はじっと見た。

 そして私はあの子の背中を押した。

あの時、私が押されたように。

両手で力いっぱい押した。

 あの子の曲がった膝は体を支えきれず、あの子は用水路に落ちていった。激しい水音がしたが、悲鳴や助けを呼ぶ声は聞こえなかった。

 真っ暗な用水路は時折、ヌメヌメと白く細く光りながら流れていた。あの子も流されていったのだろう。

 できることなら、用水路の中に一緒に落ちていって蹴ってやりたかった。私の赤ちゃんが蹴られたように、同じ苦しみや痛みを味あわせてやりたかった。

 少しの間、あの子が這い上がってきたり助けを呼ばないかを確認してから家に帰った。

 びしょ濡れの服を脱ぎ、熱いお湯につかり布団に入った。赤ちゃんが死んでから、初めて睡眠薬をのまずに深く眠った。


 あの人に揺り起こされて目を覚ましたのは夕方近くだった。あの子が用水路に落ちて溺死したと警察から連絡があったのだ。遺体の確認から帰ると、あの人はじっと俯いていた。

 私はあの人の前に座り、長い話をした。

話を聞いている間、あの人は一度も顔を上げなかった。私に対して怒りもせず泣きもせず、ただ黙って俯いていた。

 それから葬儀の準備をあの人はひとりで始めた。

 私はそれを見て、十分だと思った。

 もう、十分。

 だから終わりにすることにした。

 もう、私が生きる理由はなくなった。

 赤ちゃんに会いにいかなくては。

 さようなら。

 私には後悔も喜びもありません。


 明け方、遺書を読み終わった。

 叔母は叔父に従兄弟を殺したことを自分から話したのだ。それは叔母が叔父に科した罰だったのだ。わが子を殺された苦しみを自分と同じように味わえと。

赤ちゃんを見殺しにした叔父は従兄弟と同罪だと。

叔母は従兄弟も叔父も許すことが出来なかったのだ。

どうしてそこまで思いつめたのだろう。

なぜ叔父と別れなかったのだろう。

あの涙は悲しみだけではなかったのだろうか。

聞きたくても、もう聞くことはできない。

 

 起床時間を告げる携帯のアラームを聞きながら、アルバイトを辞めようと決めた。次の仕事が見つからないかもしれないし、もっと時給や条件が悪くなるかもしれない。受験しても失敗するかもしれない。このまま惨めに年老いてしまうだけかもしれない。不安はいくらでもあるけれど、もう、いいと思った。

 私も終わりにしなければ。

 おばちゃん、私、大丈夫やから。

小さな声でそう言うと、叔母がきれいな笑顔で聞いてくれているような気がした。

 

終わり

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