No.10「魔獣」

 ゆっくりと立ち上がった巨大な熊は、目の前に立つ一人の男をずっと睨み付けている。


 この巨大な熊は、この山に住むヌシとしてここら一帯を牛耳っていた。名を『クリスタル・ベアー』と言う。クリスタル・ベアーは山のヌシと言うが、実際は『魔獣』と呼ばれる種族なのだ。


 特徴としては、肩や背中などにたくさんの宝石が生えており、その強度は鍛冶職人も認めるほど硬い。鉤爪も宝石で出来ており、目にも宝石が埋め込まれているのだ。気性も荒く、群れを好まないのも特徴である。


 その狂暴さからか、今までたくさんの人や動物などを喰らい、殺してそれを食糧にして生きてきた。


 一時は討伐隊も組まれ、クリスタル・ベアーを討ち取ろうとしたのだが、結果は失敗。その後、クリスタル・ベアーはどこかに隠れてしまい、足取りが途絶えてしまっていたのだ。


 しかし、最近になって魔獣の被害も増え続けていた。それはクリスタル・ベアーも例外ではない。近年ではこの山に現れ、暴れ始めているのだ。


 それで今回、狙われたのが奴隷たちを乗せた馬車だったのである。


 そして全員を殺し、当分は食糧に困らない。そう、クリスタル・ベアーは考えていた。だが、その計画も崩れてしまう。今、目の前にいるこの男に邪魔をされたのだ。


 今まで負け知らずでもあったはずなのに、たかが人間に殴り飛ばされた。これだけでクリスタル・ベアーのブライドが許さず、怒りが頂点にまで達しようとしているのだ。


 見ると男は左足を前に出し、両手を肩ぐらいまで上げている。それで両手は軽く握りこぶしを作り、そのまま左手を前に、右手を胸の近くまで後ろに引き、軽く膝を曲げていた。


 明らかに、敵意がむき出しなのがよくわかる。その後ろには、手負いの女が二人いた。女は柔らかくてうまく、クリスタル・ベアーにとってはメインディッシュのような存在なのである。


 それを邪魔されたのも、クリスタル・ベアーは怒っていたのだ。


 そしてクリスタル・ベアーを殴り飛ばした男の名を『ナギサ』と言う。


 ナギサは後ろにいる女性と少女を助けるため、クリスタル・ベアーと対峙しているのだ。



「GURURURU……」



 クリスタル・ベアーは唸りをあげながら両手を地面に着いた。そのまま、四足歩行の形へと変えていく。



(……あれが手紙に書かれていた『魔獣』と言うやつか? 肩や背中、目に宝石……その可能性が大きいな)



 構え取りつつ、ナギサはそう考えていた。


 ナギサがこの世界で目覚めた時、近くに手紙が置いてあったのである。その手紙には『魔獣』と呼ばれる存在が暴れ回り、被害が拡大してきていると書かれていたのだ。


 そんな生物がいるか半信半疑だったが、目の前で起きていること考えると、真実なのだろうと受け入れるしかない。


 それにもし、そんな生物がいるのだとしたら、いつかは戦うことになるのかもしれないと、そうナギサは覚悟していたのだ。


 だが、こうも早く対峙することになるとは想定外ではあったが。


 それよりもナギサは、別のことに驚いていた。それはについてだ。


 先程まで、クリスタル・ベアーとナギサの間にはかなりの距離があった。だが、ナギサが走るとあっという間に距離が縮まったのである。


 それと同時に繰り出した拳も、普通ならば勢いをつけて殴れば相手が怯む程度だ。そしてナギサがクリスタル・ベアーに対して放った拳は、腹に命中した。


 すると、そのままのだ。


 殴った際、ナギサは無我夢中だったため、気にしてはいなかった。だが、クリスタル・ベアーが立ち上がるまでの間に、ナギサはその『違和感』に気がついたのである。


 これが手紙の最後の方にに書かれていた、なのだろうか。


 どちらにしろ、そんなことを考える余裕などもうない。クリスタル・ベアーがゆっくりと動き始めたのだ。


 そのため、後ろにいる女性と少女の様子を確認する余裕がないのである。



「……アンタ、助けてくれるの?」



 後ろにいる女性から、ナギサに震える声で話しかけてきた。少女も頭を上げるが、何が起こっているかわからず、困惑したような表情でナギサを見上げている。


 それもそうだろう。


 先程まで、あんな恐怖体験をしていれば声や体が震えるのは仕方ないことだ。


 だが、ナギサは何も答えなかった。


 それほどまでに集中しているということだ。


 気を抜けばられる。それは前の世界戦場でも同じであり、集中しなければならぬ場面なのだ。



「GUUUUUUUU!」



 唸りをあげていたクリスタル・ベアーは、少しずつ小さな唸り声から、怒りのような唸りをし始めた。


 そろそろ仕掛けてくる。


 ナギサは直感でそう感じ、より一層身を引き締めて全身を集中させていた。



「GAAAAAAAAA!!」



 すると、直感は的中する。


 クリスタル・ベアーは叫びながら、ナギサに対して突進を仕掛けてきたのだ。


 普通の人ならば、熊の突進を避けるのは避難の技だろう。仮に避けれたとしても、少なからず無傷ではすまない。その例が、ナギサの後ろにいる女性だ。


 女性は少女を庇うため、クリスタル・ベアーの突進を避けた。しかし、避けた際に足を怪我してバランスを崩し、肩を強く打ったのだ。その結果、肩も外れてしまって、女性は満身創痍の状態。


 それでもナギサは違った。


 何も動じず、じっと待つ。


 このような状況でも、ナギサの思考はいたって冷静でいられたのだ。


 それもそうだろう。


 クリスタル・ベアーが突進している中、ナギサの目にはように見えていたからである。


 正に、ゆっくりと動くただの的にしか見えない。


 そしてクリスタル・ベアーがナギサの間合いに入る、あと少しのところだった。ナギサは前に出ていた左足を退のだ。


 そのまま、左足に渾身の力を溜めていく。


 そうして次の瞬間、間合いにクリスタル・ベアーの前足が入ってきた。


 この時を待っていたナギサは、力を溜めていた左足を勢いよく出したのである。


 それも一直線で蹴り上げるのではなく、回し蹴りのように時計回りで飛び出したのだ。



「ハァッ!」


――ガッ!


「GUGYAARA!!」



 回し蹴りのように飛んできた左足は、クリスタル・ベアーの顔面の右側に直撃するのであった。

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