黒と白と階段

 タイチは──射場タイチはトイレで嘔吐していた。


 富田アツシの家の近所にある公民館で、富田アツシとのお別れ会が開かれていた。

 親族などのみが参列することとなった葬式は別の場所で行い、富田家の近所に住む隣人や同級生ら生徒たちも参加できる簡易的な会が町内会の薦めで開かれた。

 茨北中学校の三年生たちも教師の引率でお別れ会に参加していた。


 簡易的なものであるために、遺影が置かれた祭壇の横にCDラジカセが置かれていて、お経はそこからリピート再生されていた。

 生徒たちの嗚咽と無感情に流れ続けるお経。

 その中で遺影に映るアツシは修学旅行に向かう際に撮ったにこやかな笑顔で笑っていた。


 タイチは、公民館のトイレで嘔吐していた。


「タイチ、大丈夫?」

「射場君、大丈夫?」


 トイレの外から姉のアキと高塚クミの心配する声が聞こえ、顔を上げる。

 吐瀉物を流す水の音、タイチを心配する二人の声、生徒たちの嗚咽、繰り返されるお経。

 そこに混じって遠くの方から救急車のサイレンが聞こえてくる。

 だんだんと音がハッキリと聞こえ出して、近づいてくるのがわかる。

 タイチはその音に身体を強張らせた。

 また吐き気が込み上げてくる。


 タイチはサイレンの音が嫌いだ。

 苦手など生易しいものではなく、嫌悪と言えるほどの感情を抱いている。

 三歳の頃、ろくに顔も覚えてない父親が家を出ていくことになった時に聞こえていたのがサイレンだった。

 父親と母親、夫婦間の問題での離婚という形になりサイレン──パトカーも救急車も消防車もその離婚とは全く関係はないと今はわかっているのだが、幼いタイチにはサイレンが父親を連れ去ったのだと強く印象付けされてしまった。

 あの音は誰かの何かを奪っていく音だ。

 幽霊や妖怪のようなものと同一視してタイチはサイレンに恐怖し、サイレンを嫌悪していた。


 トイレの中で、サイレンの音が近づいて、また遠ざかっていくのを身を震わせながら聞いていた。

 また奪っていくのか。

 俺からアツシを奪っていくのか。

 嫌悪が憎悪として膨れ上がりそうになる。

 しかし。

 違う、奪ったのは──。


 タイチは立ちあがりトイレの個室から出る。

 手洗い場で口をすすぎ、濡れた手で顔を拭った。

 顔を上げて鏡に映る自分の顔を見ると、酷い顔だなと愚痴た。


 トイレから出ると、そこにはアキとクミが待っていた。


「大丈夫、タイチ?」

「うん・・・・・・ごめん」

「射場君・・・・・・」

「高塚も、ありがとうな」


 タイチは口角を上げて無理くり微笑みを作った。

 酷い顔だと自分で評したものが微笑みを作ろうとしても見るものに安堵は与えなかった。

 よろけるタイチの身体をアキとクミが支える。


「何処かで座って休んだ方がいいよ」


 クミに言われタイチは首を横に振って答える。


「もう一度、アツシの顔が見たいんだ」


 タイチはそう言って、アキとクミの支えから離れて一人よろよろと歩き出した。


 通路を進み突き当たりのドアを開くと、そこはお別れ会の会場だ。

 ドアをゆっくりと開くと、開く音に反応してか何人かがタイチを見てきた。

 その中に上牧と宇野の姿があった。

 目があって、互いに反らす。


 アツシは明るくお調子者のようなタイプだったけれど、クラスの中心人物と言えるほどの人気者ではない。

 それでも自由参加となっていたお別れ会に大勢の生徒が参加していた。

 多くの生徒が嗚咽し、別れを偲んでいる。

 タイチと馬鹿なことを言って笑って映った写真のアツシが、大勢に別れを告げられていた。

 それはタイチにとって非現実のような光景で、早く覚めてくれと願う悪夢のようだった。


 別れを偲ぶ生徒たちの端で、特に泣き喚く女生徒が一人。

 それを囲む同級生たちと教師たち。

 タイチはその声を聞く度に吐き気が込み上げてきていた。

 林セツコ。

 アツシの彼女。

 彼女の喚きを聞く度に、富田アツシが死んだということが悪夢ではなく現実なのだと思い知らされるようだった。


 やめてくれ。

 その音を止めてくれ。

 その声を止めてくれ。

 アツシを連れていかないでくれ。

 アツシに別れを告げないでくれ。

 アツシはそこで笑ってるじゃないか。

 アツシはまた笑ってくれるんじゃないのか?

 馬鹿みたいな話で笑ってくれるんじゃないのか?

 彼女と喧嘩した不甲斐なさを笑って話してくれるんじゃないのか?

 高塚に告白できない不甲斐ない俺を笑ってくれるんじゃないのか?


 なんで笑っているんだよ、アツシ。

 なんで笑ったままなんだよ、アツシ。

 皆泣いてるんだぞ、何か言ってやれよ。

 泣くなって、言ってやれよ。

 さよならなんて、言わせんなよ。


「さよならなんて、言いたくないよ」


 タイチは小さくそう言葉を溢した。

 涙は流れなかった。

 それを流す権利は自分にはないと思ったからだ。


 自分もこんな思いを誰かにさせてしまったのだろうから。

 涙を流すのは、許されない気がした。

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