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 自宅を遅く出たのもあったが、茨北中学校に辿り着いたのは昼前のことだった。

 学生時代に利用していた後門から入った吹田は、後門にも立派な装飾がされていることに驚いた。

 昔もこうだったっけ、と二十年ほど前のことを思い出そうとするがまったく頭に浮かんでこなかった。

 後門すぐにある体育館から学生たちの歌声が響いていた。

 吹田の学生時代とスケジュールに変わりがなければ午前中は体育館で二年生の合唱が行われている。

 午後からは交代して三年生が体育館で演劇が行う。

 一年生は一日中何かしらの研究発表を教室に展示していて、説明役として交代制で残る生徒以外はほとんどの全校生徒とその保護者で埋まるぎゅうぎゅう詰めの体育館に訪れるか、何処かでサボるかだった。

 文化祭なんて真面目にやってなかったな、とサボり先を探していたのを思い出し誰に言うでもなく独りごちた。


 サヤカには取材だと伝えていたが、吹田は今日呼び出されて学校に訪れていた。

 ショルダーバッグの底にあるわざわざ用意してくれた弁当のことを申し訳なく思っていた。

 高塚クミの事で話がある、文化祭当日、学校の三階、視聴覚室に来てほしい。


 高塚クミの記事については、順調であるともないともどちらとも言えない状況だった。

 卒業アルバムから同級生を当たっていって、高塚クミの小学生から中学生になってからの変わり様や、あの夏の日からの周囲の印象などを聞いていた。


 事故についても調べ直した。

 高塚クミの父親──高塚シゲルは軽度のアルコール依存性だったらしい。

 事故当日もかなりの量のお酒を飲んでいて、家を出た際に酔いが回り階段を転落した。

 十段しか無い短かな階段を落下して踊り場の手すりに脛椎を打ちつけて骨折、死へと至った。

 高塚シゲルは普段から飲酒による隣人トラブルや職場でのトラブルを起こしていたので、酔っぱらって転げて死んだ間抜け、と彼を知る人物は軒並み納得したのだという。

 地方紙の小さな記事には事の詳細は省かれて死亡事故とだけ記載されていた。


 茨北中学校は四階層になっていて、一階には三年生の教室や保健室が、二階には職員室などがあって、三階には二年生の教室や演劇部の部室、視聴覚室があり、四階には一年生の教室や音楽室がある。

 思い出を回顧するように律儀に下駄箱を通って、吹田は上履きを用意することを忘れていたと気づく。

 用事を済ましてバレないうちに帰るかと、少し罪悪感を抱きながら土足のまま階段を登っていった。


 高塚クミに対しての印象というものは誰も彼も似たようなものだった。

 あの夏の日の事故前の印象は無口で愛想が無いとか散々なもので、事故後は近寄りがたい印象だとか腫れ物扱い。

 吹田は自分の視点で見た高塚クミ以外の話を聞きたかったのだが、目新しい話は無かった。

 唯一のとっかかりは射場タイチの反応ぐらいだった。

 他の誰とも違う高塚クミを守ろうとする少年に、吹田は少年が想定する悪役を演じることにした。

 先輩記者が取材の際にわざと失礼な物言いをして相手を激昂させる手法を真似たのだ。

 怒りは理性を失わさせ閉ざした口から本音を溢れさせる、とか。

 そうやって出版社ごと裁判沙汰になる事が多々ある先輩記者を見て、吹田は尊敬どころか嘲笑っていたのだが使える手は使ってみようと思った。


 吹田にとって本当は、高塚クミが事故を起こしたのかどうかはどうでも良かった。

 幼い少女が父親を事故に見せかけて殺した、などとショッキングな記事を是が非でも書きたいわけではなかった。

 吹田が記事として書きたかったのは、父親の死を見つめる少女の在り方だったのだ。

 捨てた父親に恨みを抱くことなく、老いていく母親を殺しかねなかった吹田が、あの夏の日の少女に何を垣間見たのかを明確に書き出したかったのだ。

 そうすることで吹田は自己を確立できる気がしたし、それが記者としての確立に繋がるとも思っていた。

 その為には幻想的にも思えたあの日の少女の佇まいをぶれずに捉える必要があった。


 一階から二階、職員室の階層を忍び足で登っていく。

 連日続けた生徒たちへの聞き込み取材はPTAや教師陣から怪しい人物だと目をつけられるには充分な理由だった。

 警察に声をかけられ注意されたこともあった。

 音を立てないよう気を遣いつつ、早足で階段を登る。


 二階から三階、踊り場で一息ついてから三階へと登っていくと上から足音が聞こえてきた。

 駆け足で降りる音。

 居るのがバレて教師陣に報告されてしまうのは面倒だと、万が一を考えて吹田は顔を反らす為に足元を見ていた。

 吹田の視界の端に女子生徒の姿が横を通りすぎていくのが見えた。


 そして──。


 肩に提げていたショルダーバッグにグッと体重がかかったように感じた。

 強く後ろに引っ張られて、階段から足が離れていく。

 浮き上がる自分の身体に困惑して、吹田は両手を前に伸ばし何かを掴もうとしてもがいた。

 手すりに手は届かず遠ざかっていく。


 落下する。

 妙に緩やかな速度で自分が落下していくことを吹田は感じていた。


 落下する。

 落下していく中で先程横を通りすぎたであろう女子生徒と目があった。


 落下する。

 ただ、茫然と。けれど、冷淡に。

 女子生徒の姿に、あの夏の日の高塚クミの姿が重なる。


 落下する。

 泣きじゃくる母親の横で少女は父親の死体を見て何を思っていたのだろうか。


 落下する。

 自分が少女の立場だったら、一体何を思ってたのだろうか。


 落下する。

 落下する。

 落下する。


 吹田は階段の踊り場の壁へとぶつかり、朦朧とする視界の中で階段を駆け上がっていく女子生徒の姿を見ていた。


 落下した。

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