EP4.セナくんの瞳に逆らえない
セナくんは高校生ながら一人暮らしをしている。なんでもお父様が転勤の多い仕事なので、セナくんのモデル業のことも考えてそうしているらしかった。
「どうぞ」と通された部屋は、良い意味で思っていたよりずっと普通で安心する。これでタワマンとかに住んでた日には気後れしまくりだったと思う。それでも人気モデルのセナくんの家は未成年の一人暮らしには随分と広い間取りで、リビングダイニングの他に洋室が三部屋あるようだった。頻繁にモデル仲間が遊びに来るようで、部屋数を確保したのはそのためだと言っていた。
「綺麗にしてるね」
「普段は汚いよ?沙耶香ちゃんが来てくれるからめっちゃ掃除したの」
恥ずかしさを誤魔化すようにセナくんは「さ、ここ座って」と 、見た目にも明らかにフカフカなL字ソファに私を座らせた。
スピード交際に発展した運命的な出会いの日から毎日連絡は取っていたが、放課後はセナくんが色々と忙しく、直接会うのは今日が初めてだった。初めてのデートがお家デート。その響きだけでもドキドキしてしまうが、それを選んだのはセナくんの立場を気遣ってのことだ。
セナくんは「テレビに出てるわけじゃないんだから大丈夫だよ?」と言っていたが、それでも彼は人気モデル。どこで誰に見られるかも分からない環境でデートをすることは憚られた。
キョロキョロと部屋を見回していた私にセナくんがくすりと笑い、「このお茶飲み易くてさぁ」と言いながらマグカップを目の前のテーブルにゆっくりと置いた。なんでも抗酸化作用がすごいキノコのお茶らしい。やばい、オシャレだ。
ゆっくりとマグカップに口をつけたのは湯気が出るほどの熱さだったからで。それでも「熱っ」と舌に火傷を負った私に、セナくんは焦ったように「大丈夫っ?!」と声を大きくした。
「大丈夫!私猫舌なんだよね」
「ごめん〜!僕が熱く淹れすぎたね。舌見せて」
……え?なんて言った?キョトンとした私にセナくんはもう一度ゆっくりと「舌、見せて?」と同じ言葉を紡いだ。私が聞き逃したとでも思ったのだろうか。違う違う。そうじゃない。聞こえなかったんじゃなくて意味が分からなかったのだ。
舌って火傷したら他の人に見せるものなの?そりゃ、怪我をしたらその部位を見せることもあるけど……え?これもそゆこと?だけど、舌を見せるのって……恥ずかしすぎない?!
普段口腔内に隠れている舌を見せることは私の羞恥心を煽った。それは下着を脱ぐことと同意、いや、それよりももっとすごい、下着を脱いで秘部を見せることと同意であった。
戸惑いで中々行動に移せない私を、セナくんの「心配だから、見せて?」という優しい声が急き立てる。純粋に心配してくれてるセナくんを見てると、邪推して恥ずかしがってる私の方が異質に感じた。
躊躇いがちにおずおずと舌先を出せば、「もっと。それじゃ見えないよ」とセナくんは眉尻を下げる。その憂患のみを湛えた眉の下がりに罪悪感が刺激される。恥ずかしがってる場合じゃないと、思い切って出した私の舌の先を「ここかな?赤くなってる」とセナくんの指先が悪戯にツンとつついた。
「んっ!」
「あ〜、引っ込めちゃダメだよ。まだ確認してるんだから」
思いもよらぬセナくんの行動に反射的に舌を引っ込めた私の行為を咎められる。普段の私なら理不尽すぎるよ、と責めそうなのに、なぜだか彼には逆らえない。私は再びゆっくりと舌を彼の眼前に晒した。
「あは、素直でかわい〜。ここ?それともここが痛い?」
狭い舌先の上を、微妙に位置をずらしながらセナくんの指先が移動する。舌先はジンジンとまだ痛みを訴えてきているのに、心臓の苦しいほどの締め付けに比べれば瑣末なことすぎて。どこが痛いのか分かんないよ、と私は目をきつく閉じた。
広くない舌を丁寧に調べあげながら、セナくんは「舌ずっと出してるのツラいね?」と私を気遣った。その通りすぎて頷いたけど、セナくんは気遣いの言葉とは裏腹に「可愛いからもう少し頑張って」と、舌裏に指先を滑り込ませた。
これはもう火傷を心配してるとかじゃないじゃん。薄々気づいていた事実を裏付けるその行為。しかし拒めないのは相手がセナくんだからだろう。キツく目を閉じた私の耳に、セナくんの荒くなり始めた息遣いが聞こえる。その息遣いと、意図せずともしてしまう唾液の音とに耳を犯されている気になって、頭がおかしくなりそう。
「んっ、」
咄嗟に舌を引っ込めたのは唾液が私の顎を伝ったからだ。恥ずかしすぎて消えたいと思うのに、セナくんは私を追い立てることをやめてくれない。引っ込んだ私の舌を追いかけて口腔内に指を突っ込み、舌だけでなく頬裏の粘膜や上顎も蹂躙するように刺激して「ほんと可愛いね」と流れ落ちる唾液を舐め上げた。
「やっ、汚い、」
セナくんの指に邪魔をされて、本当はこんな風にハッキリと音を紡げなかった。エッチな漫画みたいに、「やらっ、きらない」みたいな、相手を誘うための舌足らず。それが面白かったのかセナくんは笑いながら「汚くないよ、美味しい」と、唾液を舐めた舌先で私の肌を丁寧に味わった。
「僕のこと好きじゃないのに、こんなやらしい顔できるんだね」
存分に味わい尽くしたのか、満足げなセナくんの舌が下唇をペロリと舐める。笑っている表情とは対照的に、セナくんは皮肉にも聞こえる言葉を吐いた。
やらしい顔って、私今どんな顔をしているんだろうか。余程物欲しげに瞳を潤ませ、頬は蒸気し、唇を充血させているのかもしれない。いや、今はそんなことより否定しなければいけないことがあるでしょ、と、ふわふわと宙に浮いた心地の意識を必死で連れ戻す。
「私、セナくんのこと好きだよ」
「どこが?出会ったばかりで僕の何を知ってるの?ああ、それとも顔かな?」
私に否定をしてほしいのか、それとも本当にそう思っているのか、セナくんの心は読めない。彫刻のように整った顔が表情を無くせば、途端に恐ろしくなった。先ほどまでの熱が引いてゆく。
「そんな……じゃあ、セナくんは?私とセナくんは同じ条件だよね?」
視線を合わせることは出来なかった。俯きながら拳を握り締めてその疑問をぶつけることが精一杯だ。
「僕は沙耶香ちゃんのことが大好きだよ。なんでかって、それはまだ秘密。だけど、」
信じて、と懇願にも似た声音で訴えてくるセナくんの理論に、それは余りにも横暴過ぎやしないか?と思った。けれど、私を見つめる熱っぽい視線と、私の髪を梳く優しい手つきに、愚かにも絆されてしまう。
「あー、心配だなぁ。沙耶香ちゃん可愛いすぎるもん。ね、正直告白されたりしてるでしょ?」
その言葉に思い出したのは、つい先日瀬名くんから受けた告白であった。これって正直に言うべきなの?それとも誤魔化した方がいいの?と、恋愛経験皆無の私は一瞬の内に悩んだが、その時点でセナくんにはバレバレだったようで。私の反応を見るなり「やっぱりされてるんだぁ」と、子供のように不貞腐れて唇を尖らせた。
「……うん、この前ね。けど頻繁にされたりとかはないから!私モテないし!」
「え〜、絶対嘘だ。沙耶香ちゃんがモテないわけないじゃん。ねぇ、どんな子に告白されたの?」
先ほどよりも距離を詰めたセナくんが"逃がさない"と言うように、私の腰を抱いた。あと少し動けば唇が当たりそうなほど顔も近い。こんなの心臓に悪いよ、と反射的に俯いた私の頬をセナくんの手のひらが覆う。
「ねぇ、目を逸らさないで。僕だけを見てて」
一度視線を合わせれば、縫い付けられたように逸らすことができない。恥ずかしい。だけどセナくんの瞳に私が映ってること、それが嬉しい。
「で、どんな子?」
「暗い感じで、セナくんとはタイプが全然違うよ。イジメられてて可哀想な子なの」
「へぇ、イジメられっ子かぁ。よく告白できたね?」
「私がイジメから助けてあげたの。だから懐かれたんだと思う」
告白されて困っちゃった、と付け足せば、セナくんの瞳が嬉しそうに細められた。良かった。私、選択を間違えなかった、と安堵の息を漏らす。
変わらず私の頬に添えられていたセナくんの手のひらがスルスルと下に移動し始めた。なんだろ?と思ったのも束の間、その手のひらは緩く柔い力で私の首前面を覆う。普段、というか今まで他人にも、自分でさえもしてこなかった危うい触り方に自然と息が止まった。
「沙耶香ちゃんは優しいねぇ。益々好きになっちゃうな」
美しい微笑みとは似つかわしくない首に手をかけるという行為。ドキドキと心臓がうるさいのはときめきなのか、それとも緊張感からくるものなのか、考えることも躊躇われた。
「ちゃんと息しなきゃしんどいよ?まだ首絞めてるわけじゃないんだから、息できるでしょ?」
まだ?まだってなに?それってこれから首を絞める可能性があるってこと?
パチパチと瞬きを繰り返す私を見て、セナくんは楽しそうに頬を緩める。
「でも僕以外の人に優しくしすぎると、ヤキモチ妬いちゃうなぁ」
「ヤキモチ?」
「うん……僕、嫉妬深いからさ。沙耶香ちゃんの感情は全部僕のものだよ?」
それは、セナくんのためだけに笑って、泣いて、怒って、喜んで、ということだろうか。そんなの無理だよ……、と思うのに、なぜたが否定の言葉も出なければ、首を横に振ることもできない。気道を人質に取られているからとか、そういうことじゃなくて。私はセナくんの瞳に見つめられれば逆らえないのかもしれない。
素直に頷いた私にセナくんはとても満足そうだ。
「良かった、そう言ってくれて」
と、同時に首から離されたセナくんの手。今手を離すってことは、否定してたら何をするつもりだったんだろう。まさか……首絞め?
途端に恐ろしくなって、自分の首を守るように咄嗟に両手でそこを隠せば、セナくんはコロコロとそれを肯定するみたいに笑った。
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