EP5.瀬名くんと2人きり
学級委員の仕事って、授業の号令や整列時の点呼、あとはホームルームの進行に、たまに先生からの連絡をみんなに伝えたり、そういうこと。だからこんな風に、放課後に作業を与えられることなんてほぼない。
滝川先生はどうしても外せない用があるらしく、「これをホッチキスで留めてほしいの」と私と瀬名くんにプリントを渡した。
味気ない文化祭の罪滅ぼしなのかなんなのか、この千種高校には5月に一泊二日で行くバス旅行なる行事がある。先ほど滝川先生から渡されたプリントはその日程や諸注意が印刷された、俗に言う"旅のしおり"というやつであった。
いつもは日直の子が教室の鍵を施錠することになっているが、今日は私たちが鍵を預かっている。教室に瀬名くんと2人きり。「とりあえずプリントを分けることから始めようか」と、私の声が静かな教室に響いた。
3台の机を横にピタリと並べてもう3台と向かい合わせてくっつける。計6台を使用して、私たちは作業にあたった。
この前の告白を気まずく思っているのは瀬名くんも一緒なのか、私たちの間には沈黙が流れている。そもそも瀬名くんって自分から話すタイプじゃないし、気まずく思っているかどうかは不明なんだけど。私個人としてはどう接していいか分からないほどには気まずく、居心地の悪さを感じていた。それは瀬名くんに告白されたことと、セナくんに「僕以外の人にあまり優しくしないでね」と釘を刺されたことに関係している。
本当はこんな風に避けたりしたくないのだ。それは私の信念に反する行為。だけど未だに首に残っているあの日のセナくんの手のひらの感触が、私の感情を操り支配する。
ページごとに重なっていたプリントを分け、それをクラスの人数分とあと数部余分に作った。あとはホッチキスで留めて、完成したものを滝川先生に渡せば作業は終了だ。この空間からも解放されるぞ、と立ち姿勢から座り姿勢に変えようと椅子を引けば、瀬名くんも私に倣って着席をした。私の目の前の位置ではなく斜め前に座ったところを見るに、瀬名くんも気まずさは感じているらしい。
トントンとプリントの端を揃え、パチンパチンとホッチキスで留める。トントン、パチンパチン。規則正しいリズムが心地良い。
「あ、の……」
その心地良いリズムを崩した瀬名くんのくぐもった声に「わっ、」と驚いてしまう。そんな私を見た瀬名くんは心底という声音で「ごめん、」と口にした。
「ううん!全然!めっちゃ集中してた」
「……うん、正木さんの作ったしおりすごく綺麗」
うっとりとそう言った瀬名くんは、脇に積んでいる出来上がったしおりの端を指先でゆっくりとなぞった。わぁ、紙で指切ったら痛いのに、という私の心配を他所に、瀬名くんは何事もなく指を引っ込めて作業を再開する。私の作ったしおりを綺麗だと言ったけれど、瀬名くんの方に積まれたしおりの方がずっと揃っていて綺麗だよ、と気遣われた事実を恥ずかしく思った。
だけど瀬名くんはお世辞でもなんでもなく本当にそう思っているのか、何度もチラチラとこちらを見ては私の作業工程を確認してくる。先ほどまで心地の良かった、トントン、パチンパチン、が途端に不協和音に感じて、なんだか居た堪れない。
「瀬名くん見過ぎだよー、集中できないじゃん」
「あっ……!ご、ごめん!指綺麗だなって、見ちゃってた……ごめん……」
恥ずかしくなるならそんなこと言わなきゃいいのに。自分で言ったことに照れるなんて、瀬名くんって天然なのかな?しかも、私はなんて返せばいいの?
言葉を返せない私に申し訳なくなったのか、瀬名くんは再び「ごめん、」と口にして、「あの、あの、」と新たな話題を探しているようだった。
その姿に、無理に話さなくてもいいよ〜、という気持ちになって、なんならそれを実際に口にするつもりだった。しかし私の言葉は、一際勢い良く発せられた瀬名くんの「あの!」に遮られる。
「なに?どうしたの?」
「あ、の……新島くんのこと怖くないの?」
「……?全然!ただのチャラい嫌な奴じゃん」
あっけらかんと答えると、瀬名くんは肩を震わせ始めた。どうやら彼の笑いのツボにはまったらしい。
「正木さんって、ほんと……正義感が強いよね」
「嬉しー、ありがと!よく言われるんだ」
褒め言葉は素直に受け取っておく。まぁ、今までも散々そうやって褒められてきたし、自分でもそう思うから、謙遜する方が嫌味だろうという判断だ。
「……いつからなの?いつから"正しいことを正しい"って言えたの?」
「え?どゆこと?」
「……いや、正木さんの"間違ってることを間違ってる"って言える性格は、小さい時からなのかなぁ……って、」
「あぁ、気づいたときからずっとだよ!もしかしたら生まれた時からかもねぇ」
私の冗談を聞いた瀬名くんは「ふっ」と鼻で笑う。今回の笑いどころはお気に召さなかったようだ。
「そっかぁ……じゃあ今までも、イジメられてる子を助けたこともあったんじゃない?」
「うん、もちろん!色んな子を助けてきたよぉ!あ、中学の時は後輩くんを救ったこともあるんだ〜」
トントン、パチンパチン。
「へぇ……、イジメられてた子ってどんな子だった?」
トントン、パチンパチン。
「やっぱり僕みたいだった?」
どうやら瀬名くんは作業の手を止めたみたい。先ほどまで聞こえていた規則正しい音がやんでいる。
今までしていた音が突然しなくなるのって相当不気味だ。ホラー映画とかでもここぞってとこで劇伴がピタって止まって、お化けとかゾンビがワァーって出てきたりするでしょ?あれに似てる。
しかも瀬名くんの質問の真意が分からない。何か欲しい答えがあるのか、それともただ純粋に聞いているだけなのか。
「えー、その男の子?小さかったことしか覚えてないなぁ」
と、無難な返答。しかし本当にそれ以上を覚えていないのだから、そうとしか答えようがない。
「中ニだったら、まだ成長始まってない男の子もいそうだしね」
「んー?違う違う。後輩だから、その子中一だよ?」
瀬名くんの言葉に訂正を入れると、私は一度止めた作業の手を再び動かし始めた。だけど瀬名くんは相変わらずジッと座ったままだ。
「あ、それこそ、中一だったら成長期まだだったのかもね?今会ったらめっちゃ背が高くなってたりしてー」
あの時助けてあげた子が立派な高校生になっている。うん、悪くない。悪くないどころか最高すぎて、自然に頬が緩んでいく。
「……その子と、もし今会えたら気づけるかな?」
ようやく作業を再開した瀬名くんがぽつりと、どこか遠慮気味に呟いた。
「気づかないと思う!あはは、絶対分かんない〜」
「……どうして?」
「だってほんとに、小さかった、ぐらいしか覚えてないもん!あ、あと!」
今度は私が作業の手を止めた。瀬名くんの手元が流れるようにしおりを作っている。トントン、パチンパチン。瀬名くんの指って関節がハッキリしてて男らしいのに、肌が白いし、指も長くて、綺麗。思わず見入ってしまった私の意識を呼び戻したのは、瀬名くんの「あと?」という、話の続きの催促だった。
「あ、あと、可哀想だな、って。ずっと俯いてたの。可哀想でしょ?」
ふふふ、と当時を思い出して笑う。なにもその光景が面白かったわけではなくて。よくよく考えてみれば、その子も瀬名くんと同じだなぁ、と思ったのだ。俯いててイジメに耐えてる。可哀想でしかない。
「ほんとだね、とっても可哀想」
「でしょ?!だから助けてあげたの!」
そう言ったのと同時に私は伸びをして「終わったー!」と清々しい気持ちで叫んだ。瀬名くんの方を見れば、彼もあと一部を留めればそれで終わりなようだ。
「僕も終わった。……その子、喜んでた?」
「ん?覚えてなーい。でもイジメから助けてもらったんだよ?そりゃ嬉しかったと思うよ?」
変なことを聞くな、と思った。だけど瀬名くんらしいな、とも思った。「職員室に持ってこー」と、私の分と瀬名くんの分のしおりを一つにまとめる。ついでに教室の鍵も返却するので、自分の荷物と施錠も忘れてはいけない。
合わせていた机を元の形に戻し、自席に荷物を取りに行く。そしてそのまま私が出来上がったクラスの人数分+αのしおりを抱えれば、瀬名くんは「ぼ、僕が持つよ」と慌てた。
「大丈夫大丈夫!私、力持ちだよ?」
「……だけど、僕は男だよ?」
「あはは。それは知ってるー。だけど私は、新島くんのこと怖くないよ?」
瀬名くんは新島くんのこと怖いでしょ?、とくすりと笑えば、瀬名くんは徐に私の肩を掴み、その勢いのまま私を背後の黒板に押しつけた。
バサバサと音を立てて出来上がったばかりの旅のしおりが私の腕から落ちてゆく。あー、せっかく綺麗に作ったのに……と、そんな場違いなことを考えていた。
「……ごめん、痛いよね」
謝罪の言葉も私を気遣う言葉も、未だに私の肩を押さえつけている強い力の前では薄っぺらだ。そう思うなら離してほしい。
「痛いし、びっくりした……けどごめん、瀬名くんのこと傷つけた」
ほんの冗談のつもりだった。だけどそれは彼のプライドを刺激したようだ。
「僕は男だよ?」
「?知ってるよ」
そんなの言われなくても、それは肩に込められた力の強さが証明している。続け様に言った「離して」の言葉を聞いた瀬名くんは「……ごめん」と頭を下げて、漸く力を抜いた。
「本当にごめん、」
「……うん。そもそもは私が酷いこと言ったから……ごめん」
2人で謝り合いながら職員室を目指し、不在の滝川先生の机の上にしおりを置いた。勢い良く落としてしまった割には綺麗なままだ、とホッとする。
職員室を離れた後、下駄箱に着いたところで、瀬名くんは「あ、の、」と口を動かしてから言い淀んだ。
「ん?なに?」
「……やっぱり僕、正木さんのこと好きなんだ。どうしても付き合いたい」
それを今言う?!あんなことがあった直後だよ?!と、空いた口が塞がらない。
「ごめん、私彼氏いるから。それにこれから先、私が瀬名くんのことを恋愛対象として見ることは、何があってもないから」
ごめんね、ともう一度頭を下げて私は一人、生徒用玄関を飛び出した。ハッキリキッパリと断ることは一種の優しさで、私は正しい行動をしたわけだ。
目前に迫ったゴールデンウィーク。私は早くセナくんに会いたいと、スマホを握りしめた。後ろは振り返らなかった。
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