短編、或いは殴り書き
珠子
スケッチ「とある公爵の退屈病」
不図、私には影が無いのではないかと思い付く事がある。もしくはこの足元にある黒は、私の内に蠢く体液が重力によって地に染み私の形に滲んでしまっているのではないかしらと、それも致し方ない事だと一人頷く事がある。何しろつまらない。退屈なのだ。皆が時代に翻弄されている。
酒だ。酒だけだ。取るに足らぬ世の中を一度に最高の喜劇へと豹変させるのは。ああ、健康のためには確かに酒こそが最も必要だ。酒が無ければ私はとうに死んでいただろう。酒は美しい。酒は語る。酒はつまらぬ憂いを忘れさす。どんな食事も色事ももはや味など感じなくなってしまったが、酒の味は脳に来る。礼儀など、無粋を抜かすことは許さない。貴様の本性を見せてみろ。私の素顔を暴いておくれ。千変万化たる宴の呼び水よ。ここは素晴らしい喜劇舞台。思う存分笑わせてくれ。
元来私は大変な笑い上戸であった。人々が私に振る舞うユーモアに、私はそれはそれは笑わせてもらったものだ。しかしいつからか、「笑う者は痴れ者だ」という風潮が広まり、高貴な身分たる者安易に笑みなど見せてはならぬと教育された。なるほど笑みは双方の油断を誘う。笑みによって得られる副産物など高が知れているのだから、無駄は省くべきである。なんという苦行かとはじめこそ身を強張らせたが、笑いを封印する事は呆気ないほどに簡単だった。すぐに悟った。私は、今まで一度たりとも心の底から笑ってなどいなかった事を。
人は何故笑うのだ。何故笑いを必要とするのだ。不安だからだ。得体のしれないこの世の中が不安で不安で仕方がないのだ。無論私もその一人。あらゆる画家は、聖女の微笑をまるで幸福の象徴のように描くだろう。その象徴に我々は知らず知らずのうちに洗脳される。それこそお笑いだ。頭部を纏うこの薄皮一枚で、猥雑に淀む人間を知ることなど出来るはずが無い。それなのに、どうして上っ面の皺ひとつに安堵を求め見出だせよう。人間は皆演技する。それぞれが誰に言われたワケもなく、己の環境に応じ配役を決め、その役に徹する。これはとても興味深いことだ。「役者になろう」「舞台人になろう」などと意気込む必要など無いことがよく分かる。この世こそ、喜劇舞台そのものなのだから。
幼い頃の私は、ユーモアを振舞われニコニコケラケラと笑う天真爛漫な子ども役に。ああ、大して面白いことなど、心の底から笑えることなどこの世にはありはしないのだという
それでは退屈病の貴族に戻るとしよう。この世は退屈だ?ええ全くその通り。酒をもて。この世は全て愚かな人間の作ったマガイモノ。その矮小な脳髄にウォッカを注げ。そうすれば多少はマシだろう。今日は友人が一つ芝居を打つらしい。そこに私も加われという。素晴らしい。生きるも死ぬるも笑むも悲しむも全て台本通り。ならば盛大に演じてやろう。私は観る者を魅了し万雷の拍手を得るだろう。私は何者か。それは私を観る者だけが知っている。私を笑い、怒り、蔑み、恋をする。観る者の、脳の数だけ、私は存在しよう。
そこは玉座か監獄か
この世の叡智は役のみぞ知る
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