デイリー三題噺

ざき

#1 「川」×「ミカン」×「嫌な目的」=「童話」

 外から「おおい、おおい」と呼び声がしたとき、男は火鉢に当たりながらミカンを頬張っていた。

 何しろ冬のずいぶん寒い日である。ここらでは雪が降らない代わりに北っ風が強く、薪割りを終えた男は早々に小屋のような家に引っ込むと火鉢に炭を熾して凍えた指を炙り、それから取って返して庭に生えているミカンの木から2ツ、3ツをもぎ取って、また火鉢に戻ってふうと一息ついたところだった。そんな折に呼び声がしたものだから、男はしかめっ面をして聞こえないふりを決め込もうとしたのだが、あんまり長いこと呼び声が続くものだから、ついに音を上げて外套を羽織り、外に出ることにしたのである。


 男の家の前には幅2間ほどの川がざあざあと流れていて、枯れて虫の食った木の葉を渦を巻いて押し流しているのだが、呼び声はその向こうから聞こえていた。見ると、旅人風の男が半ばうずくまるようにして、しきりにおおい、おおいと叫んでいる。野盗にでも遭ったのか着ている外套は破れ、頭に載せた笠はほつれており、よほど憔悴しきった様子であった。


「何ぞ、旅人さんか」

 男がそう問いかけると、旅人ははっとしたように顔を上げた。それから男が野盗のたぐいではないと見て取ると、せきを切ったように話しかけてきた。

「ああ、あんたここらの人かい。つい二、三日まえに峠を越えてきたんだが、そこで持ち物もなんも失くしちまった。ちいと助けてはおくれんか、雪が降らんもんだから喉が渇いて仕方ない」


 なるほどここから峠といったら随分遠い。旅人が疲れ果てているのも道理だが、しかし喉が渇いたとは妙なことだ。

「そうは言うがお前さん、水ならそこに川が流れているじゃあないか。寒いときたら分かるが、喉が渇いたんならそいつを飲めばいいだろう」

 そう言ってみたが、旅人はとんでもないといった風にかぶりを振った。

「なにをおっしゃる。こんな寒い時分に川の水なんか飲んだ日にゃ、骨まで凍り付いちまうよ。なにか持ってきてはおくれんか」


 そう言ってまた、旅人はそこに縮こまってぶるぶると震えている。どうやら男の小屋まで歩く気力もなさそうな様子である。さてどうしたもんかと考え込んで、男はそこにミカンの木があることを思い出した。庭に行ってミカンの中から、よく肥えたのを三ツ選ぶと、川の方に戻って旅人に声をかけた。


「そら、湯を沸かすんじゃ遅かろうからこのミカンをやろう。受け取れい」

 そう言ってミカンを一ツ投げ渡そうとするが、何せ男の指も瞬く間に冷え切っていて、放ったミカンは当てを外して川の方にぽーんと飛び込んでしまう。

「旦那、それじゃあ受け取れんよ。もうちっとこっちに放っておくれ」

 男は仕方なし川の方に近寄って、二ツ目のミカンをポーンと放ってみるが、今度は旅人の方が手元が狂って受け取り損ね、また川の方に飛び込んでしまう。

「こら、ちゃんと受け取らんか」

「しかし旦那、こんな凍み豆腐みたいな指じゃあ、そう器用なことはできませんで。どうにかこっちに手渡してはおくれんか」


 そうは言ってもこの川、飛び越すには遠かろう。何かないかと見渡すと、ちょうど川のほとりに茎のふとい葦がいくつか、ざあと風になびいている。男はそれを掴むと、それを頼りにえいやっと体を乗り出して、旅人の方に手を伸ばした。

「そら、これで届くか」

「もう少しでさ。もうちっとこっちに」

 旅人も手を伸ばすがなかなか届かない。男はさらに体を乗り出して、ミカンを差し出した。

「これで届くか」

「あともうちょっと、もうちょっとだけ」

 旅人の手には触れるが、どうも心許ない。三ツも落としては叶わんと、男はさらに体を伸ばす。

「そうら、これでどうだ」

 そう言ってミカンを差し出すと、不意に旅人の目がかっと開き、男の手首をつかんで大きく引き込んだ。体勢を大きく崩した男は、なすすべなく川にどぼん、と転げ落ちる。たちまち、身を削るような冷たさが男を襲い、男は泡を食って顔を上げた。

「このやろう、何をする」

 そう男が叫ぶが、旅人はいつの間にやら受け取っていたミカンを手に弄びながら、男をじいと眺めてにやにやと笑っている。ひとしきり眺めたあとで、旅人はこう言った。

「やあすまんなあ、だが生憎と流れ水は渡れんのだ」


 ああ南無三、こやつ鬼かと男は気づくももう遅く、凍えきった体はやがてゆっくりと水底に沈んでいった。男がすっかり沈んでしまったのを見て、鬼は男をずいと引っ張り上げて、こう独りごちたとか。

「さて、凍らせたミカンは旨いと聞くが、肉は果たしていかがなもんか」

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