07.皇太后は上機嫌

「芹充媛、顔を上げなさい」


 いまだに体調が回復しないという芹充媛のため、呉三娘は再び蓮生殿を訪れていた。芹充媛は、蓮生殿の西の配殿、不染殿ふせんでんに住まっている。

 不染殿はどこか血の匂いがした。十六だから、蕭菊と雪薇の堕胎成分――女性の血の道に影響を与える――で初潮前の娘たちと違う症状が出たのかもしれなかった。


 呉三娘が不染殿に入った時、真っ青な顔をした芹充媛はすでに跪いていた。装束を緩めに着付けているのは、まだ体調が優れないからだろうか。

 流石は名門貴族の掌中の珠、美しい娘である。やつれてはいても、いや、やつれているからこそ、どこか凄みのある美貌であった。口元に並んだ三つのほくろですら、欠点ではなく色めいて見える。皇太后はほくろが多いことをあげつらっていたが、逆に言うと他に貶すところがなかったとも言えるだろう。


「どれほど重大なことを引き起こしたか、分かっているね」


 皇后の許しを得た芹充媛は、侍女に助け起こされて力なく椅子に座りこんだ。体の前でしっかりと握りしめた手は微かに震えている。

 演技には見えない。


「はい、まことに申し訳なく、どのような処分でも受け入れるつもりです」


「あなたは、蓮生殿の妃嬪へ堕胎効果のある茶を贈り、その身体を害した。

 毒殺を試みたと疑われても仕方のないことですよ」


「……はい」


 彼女は妃嬪たちの中で最年長だ。ものの道理もよく分かっているのだろう。


「とはいえ、この後宮において、『堕胎薬』というのは本来の意味をなさない。

 よって、故意によるものではないと私は判断した。何より、あなた自身が一番害を受けている。

 あなたは誤って蓮生殿の妃嬪に堕胎効果のある茶を贈り、害を与えた。

 正式には追って沙汰しますが、半年間の俸禄差し止めと、宮殿からの外出禁止を命じることになると思います」


「皇后陛下のご温情に、感謝いたします」


 芹充媛はよろよろと立ち上がり――というかずり落ちて、そのまま床に額づいた。


「私は死を賜ってもおかしくない罪を犯しました。

 命を救っていただいたこの御恩は、一生涯忘れません……!」





「芹充媛ねえ。古いだけであんまりぱっとしない家柄なのに、変なところで悪目立ちしたものね」


 ――どうして皇太后がわざわざ会いに来るの!?


「今後、どんな些細なものでも口に入れるものは、必ず容器に中身を明記するよう、後宮中に触れを出しました。もう、このようなことは起きないでしょう」


 皇太后に上座を譲った呉三娘は、若干迷惑な顔を隠しもせずに言った。

 芹充媛に処罰を言い渡した翌日、なぜか皇太后が皇后宮を訪れ、なぜかお茶をすすっているのである。


「ふふ、『ぽっと出の官吏の娘』に濡れ衣を着せようとして、名門の娘が処罰されるなんてね。ああ、翁茶がおいしいわ」


 皇太后が飲んでいる翁茶は、なんだかケチがついてしまった芹充媛の翁茶を呉三娘がもらい受けたものだ。もちろん、除虫菊ではないことを冥に確認させている。除虫菊であっても、何となく皇太后なら腹を壊しもしない気もするが。


「ふん、小梅しょうばいの出仕の時、配殿に入る妃嬪をごり押ししたのは、こういう訳だったのだわ。龍婕妤も随分と分の悪い賭けをしたこと」


 本来、梅香殿にも香家の派閥の新興貴族や科挙出身の知識人層の娘が入るはずだったようだ。どうやら白太皇太后の横槍があったらしい。

 まあ、呉三娘にとってはどうでもいいことだが。


「あのー、御用向きは何でしょうか」


「あなたねえ……相変わらず直截な言い方しかできないのね。顔に早く帰れって書いてあるわよ。

 まあいいわ。あなたに不義密通の濡れ衣を着せた者の処罰が決まったから、一応知らせに来たの」


 そういう自分だって「ざまあみろ」と顔に書いてあるくせに――と思ったが、口には出さない呉三娘である。


「左様でございますか」


内侍監ないしかん楠国なんこくに左遷。内僕令ないぼくれい奚官局けいかんきょく書吏しょりに降格。その他の内僕局の宦官は全員、御陵墓ごりょうぼへ左遷。禁を犯した密告者だけ死罪だけど、本人だけで親類縁者の連座はなし。

 刑部尚書は職を辞して故郷に引退するそうだから、それ以上は深追いしない。皇帝からもお口添えがあったしね。

 どう、何か文句はある?」


 内侍監とは内侍省の長、奚官局は内侍省の一部署、罹病・喪事を担当する部署で書吏は品階のない下位の官職だ。御陵墓は歴代皇帝の墓のことで、生前同様に生活できるよう、女官や宦官が配属されているが、央都郊外の半地下の宮殿であり、左遷先でも最も酷な環境と言われている。


「いえ、皇太后陛下のなさることに文句など。

 それにしても、随分と大胆に手を入れられましたね」


「まあね、告発と呼ぶのも憚られるお粗末な内容だったもの。皇后へ冤罪を着せたことは明白、となれば厳罰に処すのも当然ってわけ。讒訴した宦官もすぐに分かったし。内僕令に減刑をちらつかせたら、すぐに吐いたわ。そうそう、面白いことも教えてくれたわね」


「ああ、だから彼だけ央都に残れたのですね」


「そういうこと。

 そうそう、後任の内侍監と内僕令に推薦したい者はいる? 今なら聞くだけ聞いてあげてもよくってよ?」


「いえ、樨からは二人しか宦官を連れてきておりませんので、結構です。

 皇太后陛下にお任せいたします」


 呉三娘が折り目正しく辞退すると、皇太后は我が意を得たりとばかりに、ほほほ、と笑った。上機嫌である。


「そう、欲のないこと。それでは私の方で決めましょう」


「どうぞどうぞ」


 元からそのつもりだったろうに、皇太后もわざわざ皇后宮まで足を運ぶのだから、親切なものである。


「ところで、芹充媛の処分は聞いたけど、龍婕妤はどうするつもりなの?

 小梅を貶めようとしたのよ、ただで済ますわけないわよね」


 ――こちらが目的でしたか。


 呉三娘が皇太后の元へ行かなかったので、あちらから出向いてきたということらしい。


「ええ、見間違いにしても悪質ですから」


「見間違い、ねえ」


「たとえば、円が五つ、円状に並んでいたとします。

 まっさらな目で見れば、ただ円が五つあるだけです。

 その直前に梅の花を見ていれば、梅の花に似ているな、と思うかもしれません」


「ふうん。この季節に梅の花を見せた者がいるとは思えないけどねえ」


「まあ、それは、ね」


「まさか、今度は梅香殿に入り込むつもりじゃないわよね」


「ははは。いやあ、まさか! さすがに顔を知られていますから」


「ふふふ。そうよね」


 微笑みあった皇后と皇太后は、次の瞬間、すっと真顔に戻って茶をすすったたのだった。

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