05.龍婕妤は証言する

 翌日、呉三娘は龍婕妤の宮殿を訪れた。

 香淑妃が呪具を埋めたのを目撃したと証言した龍婕妤は梅香殿の西の配殿、凌寒殿りょうかんでんに住んでいる。年は十四歳。

 東方を治める橙国公とうこくこうの弟の娘だが妾腹なので、地位は正三品婕妤と正一品の徳妃や淑妃より数段劣り、あてがわれた宮殿も狭いため侍女もあまり連れてくることはできない。今も傍に控えるのは老侍女と宦官一人ずつだけだ。

 龍氏は呉氏と同じく政治に興味がなく、都に姿を現すことすら稀な一族だ。あまりに稀過ぎて歴代の皇帝は動向を探るために妃嬪として女を一人、廷臣として男を一人出仕させるよう命じているくらいだ。


「婕妤、龍哀哀りゅうあいあいが皇后陛下にご挨拶申し上げます」


 作法通りに礼をした龍婕妤は、少しばかり色黒で、背の高い少女だった。海藍色かいらんいろの襖と銀鼠色ぎんねずいろの裙という、海洋民族の橙国人らしい色づかいだ。銀の歩瑶がよく似合っている。少々年齢にしては落ち着いた色合いの服装ではあるが。


「楽になさい。そこに座って」


 呉三娘が声をかけると、しずしずと席に着いた。


「さて、ここに私が来た理由はわかるね?」


「はい、皇后陛下」


「では、あなたが目撃したという、呪詛の状況を教えてくれる?」


「はい、皇后陛下。

 私が御花園ぎょかえんへ散策へ行こうと、宮殿を出たときに、香淑妃様と侍女二人が蓮生殿の東の門の前にいて、侍女の陰に隠れるように香淑妃様がしゃがんでおられたので……御気分でも悪いのかなと思い、声をおかけしたところ、香淑妃様は大慌てて立ち上がられましたが、手が泥だらけで……。

 その時は、そのままその場を立ち去ったのですが、やはり気になって。散策から戻った時に、もう一度蓮生殿の前を通ったので、香淑妃様がしゃがんでいらしたところを注意してみたところ、塼ががたついていたので、外してみました。

 外してみたら、そこに呪符が埋まっていたのです」


 龍婕妤は早口で一息に語り切って、震えるため息を零した。

 彼女は十日に一度の皇后宮のお茶会でも控え目で、自分から何かを言うことはなかった。こんなに長くしゃべったのは初めてではないだろうか。そもそも、彼女と体が弱いらしき芹充媛せつじゅうえんは十日に一度の茶会も欠席しがちだったので、もしかすると呉三娘はこの少女の本来の姿を知らなかったのかもしれない。


「そう、それはいつのこと?」


「ええと、四日前です」


「宮正に告発したのはいつ?」


「……一昨日です」


 宮正が香淑妃を幽閉したのは昨日。告発の翌日には取り調べが始まり、その日のうちに太皇太后が令旨を発したというわけだ。随分と迅速な対応だ。


「なぜすぐに言わなかったのかな」


「ただのいたずらだと思ったんです。

 まさか、本当に楊徳妃様がご病気になるなんて、夢にも思わず、だけど蓮生殿で病人が出たと聞いて、きっとあの呪符のせいだと思って、そんなこと放置できないと思って、その……宮正に申し出たのです」


「そう。

 呪具を埋めるとなると、それなりに深く掘らなければならないけど、香淑妃は何か道具を使っていたのかな」


「さあ、よく見えなくて……」


「よくわかったよ。

 あと、一つだけ。あなたが見つけた呪符はどこにあるのかな」


「宮正が持ち去ったと、思います」


 龍婕妤が答えると同時に宦官が茶を持って戻ってきた。穏やかな香りの緑茶だ。動揺している彼女には丁度いい。

 そう、龍婕妤は動揺している。呉三娘の目を見ることができないし、手を組んだり外したりと落ち着かない。


「そう、じゃあ宮正にも聞いてみる。

 ありがとう」





 梅香殿の南端にある正門を出ると、南東は皇帝が執務を執る聴世殿と勤政殿のある一角だ。

 これがあるから、梅香殿と蓮生殿は人気の宮殿なのだ。一番近い百花殿ひゃっかでんは楊家と香家が牽制しあって空室になっている。


「御花園に向かうのに、わざわざ蓮生殿の前を通るかなあ」


 西六宮の六つの宮殿は、東西二区画、南北三区画。梅香殿は西側の一番南、蓮生殿は東側の真ん中。御花園は西六宮の北東、皇后宮の北に位置している。

 もちろん、皇后宮と蓮生殿の間の通路を通ってもいいのだが、この通路は皇后や位の高い妃嬪がよく通るので、他の者はあまり通りたがらない。梅香殿の西の通路の方をよく使う。


「龍婕妤が嘘をついているんですか~? それはまた何で」


「龍家は権力欲のない一族ですよ~? 香淑妃様を陥れるとは思えませんけど~」


 それは確かにそうなのだ。橙国は海洋資源と温暖な気候のおかげで十分に豊かだ。ただ、楊徳妃や香淑妃に比べて、龍婕妤の表情や仕草は落ち着きがなかった。話にまとまりがなかったし、やたらと話す割に細かいところを覚えていなかった。

 楊徳妃は特に聡明な子だとしても、十四といえばあと一歳で成人の歳である。この落差は気になるところだ。

 それに、普段の大人しい様子と宮正に自ら告発という行動の嚙み合わなさは何なのだろうか。


「そこなんだよねえ。でも香淑妃が呪詛なんて迂遠な方法をとるとは思えないし。

 だけど、誰かが嘘をついてるんだよねえ。

 まあ、誰の差し金かはバレバレなんだけど」


「まあねえ」


「あからさまでしたからねえ」


 皇太后にしろ太皇太后にしろ、隙あり、即斬るという感じである。

 今は遠き孫女官曰く、後宮は戦場だそうだから、やらねばやられるという感覚なのかもしれないが。もしくは。


「隠すつもりがないんでしょうね~。

 何しろ皇后がこれですから~」


 呉三娘がなめられているか、である。

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