04.双子侍女は寸劇を演じる

「やあ、今日は大変だったらしいね」


 輿を降りて皇后宮に入ると早速、皇帝は皇后に声をかけた。

 まだ少し、夕食には早い時間だ。今朝ほどあのような騒動があったので、話を聞きに来たのだろう。呼びつければいいのに、引きこもりたい皇后を気遣ってくれる。こういうところがいい子だなあと呉三娘は思う。


「本当ですよ。

 お母上も大変だったのではないですか?」


「ああ、それはもう。

 梅香殿へ向かおうとしたら輿が壊れたとかで宮殿を出られなくてね。

 侍女を使者にやろうとしたらお祖母様が先回りしていて、侍女では入るに入れず……君が来てくれて、不本意ながら助かったようだ」


 皇太后の「不本意」な顔が目に浮かぶ。呉三娘と皇太后の仲がよくないように、皇太后と太皇太后も決して友好的な関係ではない。


「とはいえ、おかげで内侍省を切り崩せると張り切っているよ。

 よりにもよって『皇后の不義』などという讒言、愚かにもほどがある」


 内侍省とは宦官の組織だ。皇族の財産の管理や皇帝の秘書的業務、後宮以外の皇帝の生活空間の管理が主な仕事となっているが、先帝の時代までは後宮六局の女官の業務の大半も担っていた上、朝廷の――武官の官職まで得る者が出始め、ついには無謀な外征を支援するに至った。

 先帝の退位に伴い、拡大していた職務は本来の職掌に戻された。現在の後宮での影響力は限定的ではあるが、太皇太后という強い後ろ盾があるため、内侍省にはいまだに先帝時代の旧臣が居座っている。


「うーん、樨国人は不義を犯しても妊娠しないと思っているんじゃないですかね?

 それか、ごまかせると思うほど私が間抜けだと思っているか」


 呉三娘は名ばかりの皇后である。皇帝とは一度も閨を共にしたことがない。だというのに妊娠したら、不義密通しましたと大声で喧伝しているようなものだ。いかに引きこもりとはいえ、夫たる皇帝とは日常的に交流があるのだ。

 その状況で不義密通するなど、よほど愚かか向こう見ずか。


「前後の見境もなくなるほど激しい恋に落ちちゃったのかもしれないですよ~」


「私が?」


「そう。

 『私は籠の中の鳥、自由な恋などできない……』」


「『だけどある日、出会ってしまったの、運命の人に……』」


「おい」


 突然の寸劇の始まりである。嘉玖と寿珪が芝居がかった表情で手と手を取り合った。


「『ああ三郎、どうしてあなたは三郎なの?』」


 ――誰だよ、三郎。


「『もう行ってしまうの? 朝告げる鶏を打ち殺し、烏は弾き飛ばして、夜が二度と明けないようにしてしまいましょう』」


 ――一夜を過ごしちゃった。


「『だけどあなたと私は敵同士、結ばれることはない。どうかその名を捨てて、私のものになって……』」


 ――三郎、敵の家の人なんだ。誰だよ。


「『三娘、梅はどのような名でよばれようとかぐわしさは変わらない。ならば呉という姓を捨てようと、君は君、私は私だ、よろこんで香家の名を捨てよう!』」


 ――香家の設定なんだ、そして家捨てちゃった。


「『この世で君と結ばれなくとも、死後の世界で結ばれるなら十分だ!

 おお! この薬はよく効く! さらば、俺は死ぬ!』」


 ――三郎死んだ!? 家捨てたのに!?


「『ああ、三郎、どうして私に毒を残してくれなかったの?

 ならば私はこの短剣で、さあ、短剣よ、我が胸がそなたの鞘!』」


 ――私も!?


 嘉玖(三郎役)がぱたりと倒れ、寿珪(三娘役)がその上に重なるように倒れた。


「……」


 皇帝が控え目に拍手する音が、室内に響き渡った。


「……起きなさい」


 双子侍女は起き上がると、少しばかり誇らしげにお辞儀をして見せた。褒めてない。


「世間知らずの小娘じゃあるまいし、そんなに激しい恋に落ちたなら、まず後宮を出るよ。いざとなったら宮城の壁をぶっ壊して駆け落ちしますから。

 こそこそ隠れるなんて冗談じゃない」


 勇ましく呉三娘は拳を素振りした。ひゅんっと鋭い音がして、目の前に座っていた皇帝の顔にそよ風が吹いた。


「それはやめてほしいなあ」


 呉三娘ならそうするだろうなと思い、皇帝は苦笑した。


「冗談はさておき、讒訴は許されざる罪だ。機密を漏洩した宦官の罪も重い。当然処罰は重くなるし、私としても軽く済ますつもりはない」


 皇帝が凛々しい顔で言う。紅顔の少年のきりっとした顔に、呉三娘と双子侍女が微笑んだ。


「ところで、香淑妃の呪詛の件はどうなっている?

 皇后が調査することになったんだろう?」


「……ええ、成り行きで」


「あなたは意外とお人好しだよね」


「お人好しというか、最近後宮で事件が起きすぎなんですよ。

 この一年、幽霊皇后でも全く問題なかったのに。

 香淑妃の件だって、どうせなら楊徳妃を殺せばよかったんです。それを待たずに告発するなんて拙速もいいところです」


「楊家の差し金という線はないのかな……ないか。

 楊家も香家も、皇后の座は争っていても決定的な失脚までは望んでいない。

 不義密通と同じく、宮中での呪詛は重罪だ。犯人一人の死罪ならまだいい方で、族滅もありうる。母上だって無事では済まない」


「当然、この件は楊家も香家も排除したい勢力が起こした疑獄事件だと考えています」


 言わずとも、この場の者は全員分かっている。

 太皇太后が今上皇帝の廃位を狙っているのは周知の事実だ。息子である囚われの先帝を奪還して、復位させることを望んでいる。今上帝の後見たる香皇太后も、忠臣の楊家も、呉家も、今上帝自身も消したいと考えているのは彼女らの他にはいない。


「うん、具体的にはどうするつもりなの?」


「やることは戦と同じです。

 事実を確認し、潰すべきところを、潰したい形で、潰します。

 まずは龍婕妤の話を聞くところからですかね」

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