02.香淑妃、糾弾される

 双子侍女が爆笑している。


「――不義密通か特殊性癖かの二択!」


「まあ、たぶん、私たちが稽古する声が聞こえたんじゃないかと思うんだよ。

 だけど、ろくに調べもせずに頭ごなしに糾弾する奴に教えてやる義理はないし」


 呉三娘は手にした棍――三尺ほどの棒状の武器――を手の中で弄びながら笑った。

 場所は皇后宮の北の門の前。門と皇后宮までは七丈あるし、皇后宮と階の最下段までは二丈ほどある。この距離で情事であると判別できるほどの声が聞こえるはずがないのだ。実際にその場に立ったことがある者なら分かったはず。刑部尚書も担がれたのかもしれない。もしくは、荒唐無稽でも押し通せる自信があったか。


「それで、その尚書殿はどうなったんですかあ?」


「さあ? 調べなおしてるんじゃない?」


「ちゃんと『ごめんなさい』できる人だといいですねえ」


「無理だろうねえ。私に謝るくらいなら職を辞するだろうよ」


 というか、そうでもしないと命が危ないだろう。呉三娘を追い落とそうとしたのは、彼一人の考えとは思えない。刑部尚書ともあろう人がするにはあまりに杜撰な告発だった。何らかの裏があると考えるべきだろう。

 そして、宦官が絡むからには、少なくとも後宮のどこかの勢力と繋がっているはずだし、「きちんと精査」すればその背後の者たちに触れないわけにはいかなくなる。となれば、口封じに殺されることもあり得るからだ。


「いずれにしろ口の軽い宦官の方は追い出すことになりそうだけど。皇太后様が乗り気だからね。命があるといいねえ」


「宦官は太皇太后陛下の勢力ですもんね~」


 ちなみに、皇后宮には樨国から連れてきた宦官が二名だけいる。主な役割は後宮の外との連絡役だ。侍女たちは皇帝の「お手付き」になる可能性があるため、男性との接触がある外部との間では通常宦官が伝達役となる。


「皇太后陛下といえば、楊徳妃様が体調を崩されたみたいですけど~」


「いや、違うと思う。さすがに昨日の今日でそれはないでしょ」


 くるくると棍を回しながら呉三娘は笑った。

 ところが、のどかな昼下がりをぶち壊して、皇后宮付きの女官が再び駆けてきた。


「皇后陛下にご報告!」


 そして、双子侍女と皇后の前で跪いた。嘉玖が取り次ぐ。


「話しなさい」


「はい、香淑妃様が楊徳妃様を呪詛したかどで幽閉されました!」


「香淑妃が呪詛? 幽閉って誰が?」


 あまりのことに、呉三娘が直接下問すると、女官は呉三娘に向き直って応えた。


「はい、宮正きゅうせい令旨りょうじを奉じて梅香殿ばいこうでんに参じたらしく」


「令旨? 私は発していないから、皇太后……のはずないか、じゃあ太皇太后様ってことか」


 令旨とは、皇太子、皇后、皇太后、太皇太后が発する文書の一つである。皇太子は現状冊立されておらず、三人の后のうちの誰か、ということになる。


「そう……なりますね」


 女官も消極的にだが肯定した。

 呉三娘は棍を寿珪に渡し、着替えの指示を出した。


「梅香殿に向かいます。先触れを」





 梅香殿は香淑妃の居殿である。東西二列、南北三列に並ぶ西六宮の中で、一番南の西側の宮殿だ。楊徳妃の蓮生殿の南西にあたる。

 呉三娘は本日二度目の準正装に身を包み、輿に揺られて梅香殿を訪れた。門には「禁」の張り紙がされているが、無視して扉を開けさせる。

 寿珪の手を借りて輿から降りると、香淑妃の住まう梅香殿の正殿から女の話し声が聞こえた。刑部尚書ではないが、門まで聞こえる結構な大声である。


「皇后陛下のお成り!」


 先導の女官が声を張り上げると、太皇太后付きの宦官たちが振り返った。そのうちの一人が慌てて殿内に駆け込んでいく。

 呉三娘は構わず歩みを進めた。


「これはこれは太皇太后陛下、ご機嫌麗しゅう」


 殿内に足を踏み入れると、五十がらみの貴婦人が梅香殿の宝座に腰かけており、香淑妃は床に跪かされていた。呉三娘は丁重に挨拶し申し上げる。


「呉皇后、久しぶりですね」


 はく太皇太后は軽くうなずいた。


「後宮の管理は一体どうなっているのですか。いくら皇帝の従妹だからといって、呪詛をするような娘をのさばらせるとは」


 太皇太后の視線を追って、香淑妃を見やる。かなり厳しく追及されたのだろう、いつも天真爛漫な少女は顔色を失って泣きじゃくっていた。


「太皇太后陛下のお手を煩わせてしまい申し訳ございません。お知らせいただき、ありがとうございます。

 私が知ったからには、必ず真実を明らかにして、責を負うべきものに罪を償わせます」


 ぴくり、と太皇太后の眉が動いた。


「西方の獣は耳がよいこと」


「お褒めにあずかり光栄です」


 呉三娘も、にこりと笑った。


「けれど、皇后の介入は不要です。

 この娘がすべてを白状すれば解決です。忙しいそなたの手を煩わせずとも、この暇な老人が片づけておきますよ」


「いいえ……」


「香淑妃!」


 反論しようとした呉三娘の言葉を遮って、太皇太后は香淑妃の名を呼びつけた。


「いい加減観念なさい!

 お前が呪いをかけたおかげで楊徳妃は倒れてしまったのです。

 もう二度とこのようなことはしないと誓いなさい!」


「いいえ……っ」


「口答えなど許しません!

 楊家と白家は、この国が起こるより前から続く名門貴族。互いに助け合ってきた長い歴史がある。その楊家の娘を、ぽっと出の官吏の娘が害するなど身の程知らずも甚だしい!

 さあ、今すぐ額づいて許しを請い、二度としないと誓いなさい!

 そうすれば命だけは助けてやれるかもしませんよ」


 老齢の夫人が発するとは思えぬ力強い声である。窓の玻璃はりがびりびりと震えたような錯覚すら覚える。


「でっでも……」


「太皇太后陛下、お待ちください」


 呉三娘は努めて穏やかな声で割って入った。


「香淑妃が何か過ちを犯したのだとしても、その言い方では『はい』とは言えません。そう答えたが最後、呪詛という大罪を犯したことになってしまいますから。

 まずは事実を確認した上で改めて罪を問いたいと存じます。

 この皇后の責任のもとで」


「しかし、皇后は香淑妃と仲が良いと聞く。公平な裁きができないのではありませんか」


「それは誰が裁いても同じこと。完全に公平な者などおりません。

 なれば、皇帝陛下にお願いいたしましょうか?」


「女のいざこざに皇帝を巻き込むものではない。

 ……よいでしょう。くれぐれも、一方に肩入れをしないように」


「もちろんです。太皇太后陛下の寛大なお心に感謝申し上げます」

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