01.皇后、糾弾される

 初冬のある日、呉三娘は朝廷に呼び出された。

 後宮の女人たちは基本的に外に出ることはできないが、皇帝の許しがあれば行楽に出ることもできるし、宮中の一角で監視付きではあるが家族と会うこともできる。今回は当然皇帝の許可があっての外出だ。


 皇帝が政務を執るのは後宮との境目にある聴世殿と勤政殿だ。朝、聴世殿で母后とともに臣下からの報告を聞き、その後勤政殿で書類の処理などに励む。

 朝一で呼ばれたので、聴世殿で朝臣から話があるのだろう。

 嫌な予感しかしない。


 皇后の準正装を身にまとい、重くて座りの悪い鳳冠をぐらぐらさせながら、呉三娘は輿に乗った。

 普段いたくおとなしくしており、やることといえば十日に一度のお茶会くらいの呉三娘だ。呼び出される覚えなどない。ということは、何か起きたのだ。皇后を呼び出すほどのことが。


「皇帝陛下にご挨拶申し上げます」


 聴世殿に足を踏み入れ、まずは皇帝に挨拶。


「皇太后陛下にご挨拶申し上げます」


 皇帝の背後、御簾の後ろにいる皇太后にも挨拶をする。

 と、皇帝が苦笑しながら手招きをした。


「皇后、こちらに」


 そう言って、皇太后のいる御簾の方を指さした。

 そうであった。政治には女性は関わらない建前があるので、聴世殿では御簾の後ろに隠れなければならない。朝廷の行事や神事では堂々と顔を晒しているのに、謎である。


「失礼しました」


 呉三娘も苦笑して、皇太后の隣に移動した。皇太后はちらりと皇后を見ただけで、特に何もいわなかった。


 聴世殿の東の間には、皇帝のための宝座が置かれており、その後ろに皇太后のための宝座が置かれている。その前に楊中書令はじめ三省六部の長と禁軍の将が立っていた。


「さて、皇后を呼び出したぞ。何か言いたいことがあるとか」


 皇帝がおざなりに声をかけると、刑部尚書が口を開いた。



「恐れながら、皇后陛下の不義密通の訴えが来ております」





 告発者によると、呉皇后は凰麟宮に男を連れ込み昼日中から情事に耽っていたという。

 呉三娘は心中で首を傾げる。


「娘盛りをみすみす無為に過ごすのが悔しいお気持ちはわかりますが、あなたは央国の皇后なのです。浅はかなことをなさいましたな」


 刑部尚書は侮蔑の色を隠しもせずに、呉三娘を睨みつけた。呉三娘はしばし彼の得意げな顔を見つめ――彼は確か、呉三娘の皇后冊立に強硬に反対した一派であったな、と思った。樨国公にこれ以上の力を与えるべきではない、と。代わりに推挙したのは一体誰であったか……。


「まず、私は不義密通などという過ちは犯していない。

 次に、その告発には疑義がある。『男を連れ込み昼日中から情事に耽った』詳細の説明を求めます。

 最後に、告発者がどのような者であるかを明らかにしなさい」


「恐れながら、告発者をお教えするわけにはいきません」


「名前まで明かす必要はない。どういう経緯で皇后の行動を知るに至ったのかを教えなさい」


「……ある宦官です」


「なるほど。

 ところで、皇帝陛下にはご退席いただいた方がよいと思うが。これから情事の詳細を確認したいのでな」


「ことの隠蔽を図ろうというのですか!」


 刑部尚書が声を荒げた。確かに、そう思われても仕方ないなとも思うので、呉三娘は早々に引いた。


「いいえ、ええと、まあいいや」


 それから、ちらりと皇太后に視線を送った。皇太后は事態を楽しんでいるようで、口元が笑っている。それはそうだろう。今の後宮を知っている者なら、彼の言い分は荒唐無稽過ぎる。


「これから私は告発への反論を行います。

 刑部尚書には、その告発者と私との言い分を、公平に調べ、見極めてほしい」


 呉三娘の言葉に、刑部尚書はいかめしい顔でうなずいた。


「まず、その証言をした宦官は皇后宮付きの者ではない。

 私の身辺に侍ることができるのは、皆樨国ゆかりの者ばかり。

 そして、彼らは私に忠誠を誓っているので、よそ者に私の情報を漏らすはずがない。

 彼らは、たとえ私が夜な夜な裸で踊り狂っていても『皇后陛下は霓裳羽衣の舞を嗜んでいらした』と言うはずだ」


 くすり、と皇帝が笑いを漏らした。双子侍女のしれっとした顔を想像したのだろう。


「確かに、皇后宮付きの者ではありません」


 刑部尚書も皇后の言い分を認めた。


「かつてはいざ知らず、現在、後宮の諸事は基本的に女官が司っているから、ごく一部を除いて、常日頃から後宮の皇后宮の周囲をうろつける宦官は、輿を運ぶ内僕局の者くらいだね?」


 先帝の御代に宦官が強権を握った経緯から、皇妃のお気に入りの一部の者を除き、宦官は本来の職掌――皇帝の近侍や輿の運搬、後宮外との連絡役など――に戻された。現在、後宮の運営は基本的に女官が司っている。


「――おそらくは」


「ところで皇太后陛下、皇后宮の門の外から、窺うことができる皇后宮の範囲はどのくらいでしょうか?」


 もはや皇太后は笑みを隠そうともしていない。


「そうね、せいぜい門の周辺くらいではないかしら。回廊の物音も聞こえるかもしれないけれど、塀を隔てているから、よほどの声でも出さない限り外には聞こえないと思うわ。第一姿が見えないのだから、証言の信憑性に問題があるしね。

 輿を運び込む者であっても、輿は階の下に着けるから、まあちょっとやそっとの声では聞こえないわね」


「とのことだ、刑部尚書」


 刑部尚書はきょとんとしている。

 彼は当然ながら一度も後宮に足を踏み入れたことがないのだろう。興味を持ったこともないに違いない。


「告発者は皇后宮の建物の中には入れない者である。

 建物に入れない者が、皇后が情事を行っていると察するということは、私が建物の外か、あるいは門の外まで聞こえるような大声で喘いでいたという意味になるのだけど。後者の場合は私以外の者の声とか猫の盛り声という可能性は排除できないよね。

 それか、門の目の前でまぐわっていたとか……」


 皇太后が帳からそっと手を出して皇帝の耳を塞いだ。


「だから、まずお前は告発内容を精査し、告発者の身元を洗わなければならなかったんだよ。

 これが皇后宮の者が告発したというなら信憑性もあるだろうが、どこの誰とも分からぬ宦官ではね」


 刑部尚書は黙り込んだ。彼も馬鹿ではないので、皇后の言うことに筋が通っていることはわかっているのだろう。気になるのは、刑部尚書ともあろうものが、こんな杜撰な告発をした点だが――

 呉三娘の言葉を引き継いで、皇太后が付け足した。


「それから、後宮のことを後宮の外へ漏らすことは大罪ですよ。その告発者がいかに皇帝への忠義に篤い者であれ、処罰は免れないと思いなさい」

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