三十二着目「夕太郎、魂身のステップ」
「きりーつ、気をつけー、礼っ!」
号令なんて何十年振りだろう、学生時代に戻った気分で懐かしいな。
講習が始まるいつもの光景……のはずだった。
だがしかし、目の前にはいつもの吉野執事ではなく、見ているだけで朝から胃もたれする顔、アクの強い人物が目の前にいる。
そう、僕の天敵……
「喜びたまえ、ひな鳥達。今日の講師は、オレだ!」
一縷さんは自信満々に胸を張り、親指で自らを指し言い放った。
「ワ~!(さいあく~)」
僕は感嘆の言葉だけ声を上げ、本音を隠した。
一方、リョーマ君は……
「やったぜー!最高!!」
大喜びだった。
(推しがいるって良い事よな……)
「ハッハッハッ!このスーパーステイツ・スーパースターの一縷先生が来たからには、明日の紅茶テストはパーフェクトだっ!」
「ハイッ!有り難き幸せ!」
リョーマ君は、より一層目をキラキラとさせている。
(なんだよ『スーパーステイツ』って……めんどくさいなぁ~。お腹痛くならないかな~熱でないかな~吐き気とかないかな~
あ~あ~、こんな時に限って健康体だわ……)
「フッフッフ、では早速、諸君らの日ごろの成果を見せて貰おうか!先ずは基本ステップからいくぜっ!」
そう言うと、颯爽と一縷さんは手拍子を始めた。
『アンドゥトロワ・アンドゥトロワ』
ロビンズエッグブルーに入社してから毎日、このステップを踏んでいる事もあり、咄嗟の掛け声でも僕らは自然と体が動くようになっていた。
「おー、咄嗟の動きに対応して、なかなか二人ともいいじゃないか~。オシッ!お前らついて来いよ!」
一縷さんは手拍子を止め、一緒にステップを踏み始めた。
『アンドゥトロワ・アンドゥトロワ・アンドゥトロワ』
掛け声と共にリズムが早くなる。
「エッ、ちょっとそういうの習ってないです!」
必死ながらも僕は足がもたつき始めた。
「頭で考えるな!体で考えろ!」
「えっ?体で考えるってナニ?結局考えろって事??」
僕は、一縷さんの謎アドバイスに余計に訳が分からなくなり、全くついていけなくなってしまった。
「リョーマ合格!夕太郎ダメッ!」
「ありがとうございます!」
「ゼェゼェ……すみません……」
「フンッ、真のスペード流を見せてやるよ!」
そう言うと、一縷さんはさらにステップを踏み始めた。
『アンドゥトロワ・アンドゥトロワ・アンドゥ……』
『シュンッ』
剃刀のように鋭いステップに……
『ズバッッ!!』
大地を揺るがすかのような、力強い踏み込み
「えっ……早すぎて見えなかった……」
これまで習ったステップと全く別物に、僕は唖然としてしまった。
「そう、全然カッコ良さが違うだろ。スピードと力強さを併せ持った、最強に硬派な流派がスペード流だ」
僕らに振り返りながら得意げに告げる一縷さん。
「えっ?スペード流って何ですか?」
僕はスペード流が何なのかわからず、一縷さんに質問をした。
「はっ?夕太郎お前、流派も知らずに、よくここに受かって来れたな?」
「そーなんスよ。コイツ、ホントなんも知らないんすよ~。だからオレが一から教えてやってるんス」
ここぞとばかりに、一縷さんに媚びを売るリョーマ君。
まあ事実だし、日ごろお世話になってるだけになんも言えねー。
「すみません……」
「ならば、スーパーステイツ・超絶カッコイイスペード流というものを教えて差し上げよう!」
『パチパチパチ』
リョーマ君はひたすら感動していた。
「そもそも、我らフットマンの名前の由来は、歩兵からきている。
兵役の任を解かれた歩兵たちを、そのまま主人が継続的に雇用した所から由来する。
やがて、フットマン達は、主人やその賓客が食事する席に給仕する家庭内使用人としても働くようになったんだ」
「ほうほう」
僕は、生まれて初めて一縷さんの事を感心した。
「また、男性使用人は、女性のメイドに比べコストが高く、お屋敷に男性使用人を置くこと自体が貴族にとっては、己の栄華を他の貴族たちに見せつけるステータスシンボルでもあったんだ。
だから、フットマンは召使として『使う』為の物だけでなく『魅せる』為の存在でもある!
すなわち、フットマンとは、一つのステップ、一つの所作、どれをとっても常に美しく。そして、力強くなくてはならないのだっ!
数ある流派のなかで、本来の歩兵らしさを体現しているのがスペード流なんだ!」
「あー!だから一縷さんの動きは一際、誰よりも力強さがあるんですね!」
僕は、素直な感想を述べた。
「おっ!夕太郎、お前わかってるな!」
一縷さんの機嫌が明らかに良くなるのが、一目瞭然だった。
「一縷さんは、スペード流の開祖なんだぜっ!ヘヘンッ」
人差し指で鼻を擦りながら、推しを自慢げに紹介するリョーマ君。
(いや、別にお前がスゴイわけじゃないから……)
「良いか諸君ら、誇り高きスペードは『
その辺のチャラチャラした流派とは、全く似ても似つかない!
フットマンの本性とは、戦いに明け暮れる戦士だ!
もっと、荒々しくギラギラした野望を心に宿せ!!そして、闘争心を燃やせ!!」
そう熱く語る一縷さんのジャケットの胸元には、小鳥のピンバッチの隣に、青く輝くスペードのピンバッチが付いていた。
「わー、これカワイイな~」
僕は一縷さんの熱い語りそっちのけで、ピンバッチに興味を示した。
「オイッ!お前っ!一縷さんの熱い語りに、ハートがビートしないのかよっ!失礼だろっ」
僕を叱るリョーマ君に……
(え~、でも僕戦いとか嫌いだし、何よりも熱意とか根性論とか暑苦しいの苦手だから、やっぱ改めて一縷さんとは合わないな~)と思った。
「うむ、まあ良い。お嬢様を命懸けで守り抜く“信頼”の証が、このインペリアルブルーに輝くスペードのピンバッチには、込められているのだよ」
「へー、結構“設定”も深いんですね~」
僕は、余計な一言多かったらしい。
『💢っ』
僕の“設定”発言に明らかにムスッとする一縷さん。
「ほらっ、もう一度スペード流のステップやるぞ」
一縷さんのテンションが一段階下がってしまった。
『アンドゥ……』
「ここまでは、いつも通りだ」
『トロ……』
「ここまで、ステップをため込むんだ」
『ワッ……』
「ここで、ズバッと踏み込め!」
「そうだ、リョーマ。お前はスペード流のセンスがあるな」
「マジすかっ!やったー」
「夕太郎、それじゃ『ズバッ』じゃなく、『シュパ』になってるぞ、そもそも踏み込みのスピードと力強さが足りない」
「えっ、それって全部足りないって事じゃ……」
「そうだな!でも安心しろ!これから毎日腕立て腹筋スクワット100回やれば、君でも出来るようになるからな。ハッハッハ」
「……絶対にヤダ」
「それと力強い動きというのは、身体の柔らかさから生まれるんだ……」
そう言うと、一縷さんは、手足の力をだらんと抜き、うねうねと動き出した。
「ちゅーちゅータコかいな~」
謎の言葉を唱えながら、一縷さんは徐々に全身の力を抜き、タコのような動きをしだした。
「お前らも俺のマネしろ!」
「えー、カッコ悪い~ヤダ~」
嫌々やる僕に対して、全力で尽力するリョーマ君。結果は明らかだった。
「リョーマ合格!夕太郎ダメッ」
(ですよね……)
「マンツーマン指導だ」
一縷さんは、僕の真正面に向き直った
「いいな~」
羨ましそうに見るリョーマ君。
(良くねーよ。最悪だわ……)
「夕太郎、お前もっとタコの口になりきれ!」
「えっ?力の抜き具合とかじゃないんですか?」
「違う!!お前はすぐそうやって、口答えして頭で思考するから、雑念が多すぎるんだ!目を瞑って一つの事に集中しろっ。まずはタコの口だ!」
「はいはいっ……(ホントめんどくせーな~コイツ)目を瞑れば良いんですね……」
僕は、言われるがまま『ちゅう』と言いながら、唇を尖らせた。
「もっとだっ!もっとタコの口になりきれ!!」
(さっきからタコの口って言うけれど、別にタコの口は尖ってないだろ……)そう思いながら、僕は目を瞑ったまま、眉をしかめ『ちゅう~う~う~』とさらに唇を尖らせた。
「……すー」
「…はー…」
「すーはー……」
(あれ?さっきから急に一縷さんが黙っちゃったけど、なんで……?てか、さっきから『すーはー』の音と共に謎の熱源が近づいて来る感じする……)
背筋から悪寒を感じた僕は『バッ』と目を開けた。
すると、そこには目を瞑り『ちゅう』と、まさにタコの口のように唇を尖らせた一縷さんの唇が、今まさに僕の唇に迫る寸前だった。
「オレの目印~」
そう言いながら、唇を尖らせながら迫ってくる一縷さんの唇……
「いや~ん、ヘンタイッ!!!」
僕は思いのほか、乙女な声が出てしまったと同時に、思いっ切り一縷さんを右手でビンタしてしまった。
『ビシッ!!』
漫画みたいに吹っ飛ぶ一縷さん
「あっ、すみません!でも、だってアナタがヘンな事するから!」
左頬が真っ赤に『手』の形に腫れあがる一縷さんが、起き上がり右手を挙げ、グッドのポーズをする。
「そうだ、今のステップ、それがスペード流だ!」
そして、僕は気付いた。もう一方で恐ろしい殺気が僕の方に降り注がれているのを……リョーマ君だ……
「オレの一縷とキスしやがって……オレですらまだしたことないのに……」
怒りと嫉妬の炎に燃え上がるリョーマ君
「いや、してないから!いまギリだったから、それに向こうから来たし」
僕は、必死に誤解を払うもリョーマ君には逆効果だった。
「うわぁ~ん、ネトラレ、目の前でネトラレた……」
リョーマ君は、その場で膝から崩れ落ち、泣き出してしまった。
ちなみに、“ネトラレ”とは“寝取られる”の意味であり、つまりここでは、推しが目の前で取られたの意味である。
カオスな状況……
こうなってしまったら、事態は収拾が付かない。
僕はふと、冷静になって一縷先生に問いただした。
「あの……そろそろ、紅茶について教えてくれません?」
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